2024年11月のブログです
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じーじが日の丸と君が代をきらいになったわけについて考えてみたい。
じーじは子どもの頃、ゼロ戦のプラモデルが大好きだった。
ゼロ戦だけでなく、隼や紫電改も好きだった。
「少年マガジン」に連載されていたちばてつやさんの『紫電改のタカ』などは毎週、楽しみに読んでいた(もっとも、調べてみると、『紫電改のタカ』は反戦のマンガだったらしいが、当時だけでなく、つい最近まで、じーじはそれは知らなかった。ちばさん、ごめんなさい)。
それがいつ頃からか、敵の戦闘機にも人間が載っていて、撃ち落されると死んでしまうんだ、とわかってきた。
戦闘機だけでなく、戦車や戦艦にも人が載っていて、やはり人が死ぬんだ、とわかってきた。
中学ではなくて、高校の時だったと思うが、歴史の教科書で、日本軍の兵隊さんが日の丸を背負って、中国を攻めている写真を見た。
中国軍だけでなく、中国の民衆をも攻撃をしている写真もあった。
これは衝撃だった。
同じころ、ベルリンオリンピックのマラソンで優勝をした朝鮮人の選手が、日の丸を胸につけて、嬉しそうではない表情で表彰台にのぼっている写真も見た。これも衝撃だった。
たぶん、このころから、じーじは日の丸が嫌いになったと思う。
そして、君が代も、国民主権、主権在民とは合わない歌詞だと思うようになって、嫌いになった。
就職の時、中学校の社会科の先生になりたかったが、日の丸・君が代の学校現場での強制が強まっていた。
間違って裁判所に入ってしまったが、裁判所という国家権力の一端を担う現場では、なぜか日の丸・君が代の強制はなく、定年まで勤められた。
中学校の先生になっていたら、入学式や卒業式で君が代を歌わずにおそらくくびになっていただろうと思う。
じーじは子どもたちの入学式や卒業式に一度も出なかった。
小心者のじーじは、子どもたちの目の前で、自分だけが起立をせず、君が代を歌わないで揉めるという勇気はなかった。
子どもたちにはかわいそうなことをしてしまったと思うが、幸い、ばーばが君が代や日の丸に無関心な(?)人だったので、代わりに出席をしてもらって大助かりだった(?)。
じーじの孫娘はチューリップの歌が大好きだ。
どの花見ても♪~きれいだな♪~、という歌詞はいい。
差別や偏見、分断とは無縁の世界だ。
こういう国歌なら喜んで歌いたい。
国旗もチューリップだったらいいなあ、と思う。
日本の封建時代を壊したのは蘭学で、オランダは日本との縁が深い。
日本の皇室とオランダの王室も仲がいい。
チューリップの国歌や国旗は、平和と学問の象徴になりうるだろうと思う。
こんな夢を見ていると、日の丸や君が代を尊敬することはできなくなってくる。
他国への侵略を否定し、反省をしないのは、やはり卑怯だ。
フロイトさんは、きちんと反省をしないと不幸を反復するという。
他国への侵略を反復してはならない。
日の丸や君が代が大好きな人たちに反対はしないし、歌ったり、踊ったりしてもらっても結構だが、嫌いな人への強制は困る。
じーじは子どもたちの学校時代を除いては、日の丸や君が代に個人的な恨みはないが、嫌いなものは嫌いだ。
困ったじーじである。 (2024.11 記)