たぶん2015年ころのブログです
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もう10年近く前のことになりましたが,じーじの初めて活字にしていただいた論文です。
当時,家庭裁判所の臨床現場で苦労をしていたことや工夫をしていたことを文章にしてみました。
その頃,『臨床心理学』誌の編集長だった河合隼雄さんが,臨床現場で忙しくて論文を書けない人でも気楽に投稿をしてください,とのお誘いを誌面でされていたことがあり,ずうずうしくも拙い文章を送ってしまいました。
新潟の片田舎で,中央の流行も知らずにこつこつと実践してきたことを後輩に書き残したいという気持ちもありました。
今,読み返してみると,記述がかなり不十分な部分が目につきますが,その後も当時とやっていることはあまり変わりません。
変わったのは少しだけ理屈や理論を言えるようになったことくらいでしょうか。
面会交流はご存じのように家庭裁判所の調停のなかでもとくに難しい話し合いのひとつです。
そこでいろいろな条件は必要ですが,ためしに面会交流の試行を行なってみることで,それまで頑なだった親ごさんの気持ちが和らぐことがよくあります。
そこらへんのことをウィニコットさんを中心に精神分析の考えなどを参考に考察してみました。
単に面会交流がうまくいくことだけではなくて,その中での子どもさんや親ごさんの成長も考えてみました。
そして,むしろ大切なことは,そこでのお父さんとお母さんの精神的な成熟と,そこへの周囲からのいくばくかの心理的な援助のあり方なのだと思います。
今後も力のある心理臨床家をめざして努力していきたいと思います。 (2015?記)
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2021年1月の追記です
臨床心理士として個人開業をしてからも、面会交流の相談や援助を続けています。
臨床の形式から、別れた子どもさんと何とか会えないか、というご相談のカウンセリングが中心となっています。
子どもに会わせてくれない監護親への攻撃心が強いクライエントさんが多く、心情は理解できますが、そのままでは面会交流が実現できないので、少しでもマイルドになるような援助が多くなります。
監護親の大変さにも配慮できるようになると、少しは展開も違ってきそうな気がします。 (2021. 1 記)
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2024年11月の追記です
この論文でご紹介させてもらった事例は、男の子とお父さんの試行の事例で、もう今から25年以上も前のもの。
当時、4~5歳だった男の子も、今では30歳くらいになっているのではないでしょうか。
その後の情報はまったく知るすべもありませんが、少なくとも男の子の名前をその後、地元の家庭裁判所の少年部で聞くようなことはなく、多難な思春期もなんとか無事に乗り越えたようです。
おそらくは今頃、お父さんになっているであろう男の子が、いいお父さんになられてることを切に祈っているじーじです。 (2024.11 記)