ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

お父さんとお母さんが離婚をするといって揉めている時の子どもの気持ちを考える-「おとな」の親になるために

2024年11月12日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2014年ころのブログです

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 お父さんとお母さんが離婚をするといって揉めている時のことを考えてみたいと思います。

 お父さんとお母さんは何らかの縁があって結婚をし、子どもさんをもうけ、しかし、何らかの理由で離婚をするといいます。

 もっとも、冷たく言ってしまえば、二人はもともとは他人です。

 しかしながら、子どもさんにとっては、生まれた時からお父さんとお母さんがいる家庭で暮らし、お父さんとお母さんがいる家庭が、いわば、全宇宙です。

 その全宇宙が、突然壊れるだけでもショックなのに、そこで、お父さん、お母さんのどっちと一緒に暮らしたい?と聞かれても、子どもさんにとっては、正直、それに答えることは相当に難しいと思います。

 かなり強靭な精神を備えた大人であるならまだしも、10歳前後の子どもさんにそれを求めるということは、壊れた宇宙のどっちに行きたい?と聞くようなもので、不可能なことを強いているような気がします。

 子どもさんは、お母さんもお父さんも、あるいは、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんながいる世界に育ち、みんなが大好きなのが本当のところです。

 そこから何か結論を選べ、と言われても困ってしまうのが現実でしょう。

 子どもさんの気持ちは複雑です。

 そうすると、どうすればいいのでしょうか。

 日本の法律では離婚をする際には一人の親権者を決めなければなりません。

 お父さんとお母さんが離婚をしても、子どもさんが自由に行き来をできるなら、子どもさんはかなり救われるでしょう(もっとも、夫婦の紛争が相当に激しい時には、そうはいっても、とりあえず子どもさんがどっちにいるかという監護者を決めることでも、さらに延々と揉めるケースも多いです)。

 しかし、それで困るのは、他でもない、ご両親にとって大切な子どもさんです。

 ここは、親ごさんの面子より、子どもさんの気持ちや立場や状況を優先して考えませんか(夫婦の紛争の際、子どもの幸せのため、とはいいながら、じつは親ごさんや家の面子にこだわっている親ごさんは多いです)。

 親ごさんの面子より、子どもさんのお気持ちを大切にできるような「おとなの親」が必要だと思います。

 そして、いずれにせよ、子どもさんにとっては、お父さんもお母さんも、どちらもが本当に大切な存在です。

 きちんとした面会交流を実現させることが、子どもさんのためにも、また、お父さんやお母さんの精神的な成長のためにも、ひじょうに大切なことになると思います。

 そういう貴重な機会を、周囲も協力をして、実現させてあげてほしいなと心から願っています。        (2014?記)

 

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佐々木譲『警官の条件』2014・新潮文庫-組織の無責任さと男の生きざまを描く警察小説

2024年11月12日 | 小説を読む

 2020年11月のブログです

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 佐々木譲さんの『警官の条件』(2014・新潮文庫)を久しぶりに読みました。

 6年ぶり。

 例によって、細かいところは忘れていたので、またまた、ハラハラ、ドキドキしながら読んでしまいました。

 警察官三代目の真面目な主人公(佐々木さんの『警官の血』(上・下)(2010・新潮文庫)に登場)と、陰で「悪徳警官」と噂される派手な先輩刑事。

 この二人の警察組織における生きざまと組織の論理とのせめぎあい、そして、二人の男としての人生が描かれます。

 あらすじはあえて書きませんが、すごい小説です。

 佐々木さんは警察組織と暴力団を描かせるとぴかいちの作家さんですが、本当に詳しく、感心します。

 とてもリアルに読めます。

 そして、組織と個人の問題。

 佐々木さんの警察小説ではいつも焦点となりますし、また、マイクル・コナリーの描くボッシュ刑事などもいつも悩まされている課題です。

 もっとも、考えてみれば、これは社会的な存在として生きる人間にとっては、永遠のテーマかもしれません。

 どんな組織、会社であれ、そこで良心的に働こうと思えば、必ずどこかで直面するテーマなのでしょう。

 そこでどう振る舞い、何を大切にして生きるのかが、人生を決めるのかもしれません。

 運が悪ければ、命を落とす人もいるかもしれません。

 そういうギリギリのところで生きる人たちを描くからこそ、良質の物語になるのだろうと思います。

 せっかくの人生、後悔のないように精一杯生きていきたいと思います。         (2020. 11 記)

 

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お父さんとお母さんのそれぞれの良さを認めることの大切さ-「おとな」の親になるために

2024年11月12日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2011年ころのブログです

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 長い間,家庭裁判所の離婚調停に立ち会ってきました。

 いろいろなケースがあり,いろいろなことを考えさせられました。

 その中で一番印象に残っていること。それは,人はどうして争いたがるのか,ということです。

 もう少しで仲直りができそうだというのに,そこでまた,どっちが親として立派なのかと,再び争ってしまう,そんな親ごさんたちをいっぱい見てきました。

 子どもさんたちにとっては,どちらも,いいお父さん,お母さん,なんだけどなあ,と思います。

 そもそも,お父さんとお母さん,どっちがいい親かなんて,誰が決められるのでしょうか?

 お父さんにはお父さんなりのよさがあり,お母さんにはお母さんなりのよさがあって,子どもさんたちにとってはどちらも大切な親ごさんで,上も下も,一位も二位もなくて,両方が必要だと思うのです。

 そして,だからこそ,子どもさんたちには離婚後もお父さんとお母さんの協力が必要になりますし,別れて暮らすことになる親ごさんとの面会交流が大切になります。

 ですから,今からでも,できるだけ早くに競争や争いはやめて,すぐにでもご両親が可能なご協力をして,子どもさんたちの面倒をできるだけ協力をして見ていくことが大切になると思います。

 子どもさんたちは,きっと,ご両親のご協力と仲直りを心から望んでいると思いますし,少なくとも子どもさんたちの前では笑顔の楽しそうなご両親の姿を楽しみにしていると思います。

 子どもさんたちのためにも,もっと「おとな」の親ごさん,そして,本当の「おとな」になりたいものだ,と思います。      (2011?記)

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 2021年6月の追記です

 どうしても争いを繰り返すしてしまうことの問題は、フロイトさんが反復ということで述べているように今では思います。

 人は不幸の反復を、これに気づかないと繰り返してしまうようです。

 離婚や親権争いや面会交流の問題も、反復の視点から見てみると、少しだけ違って見えてくるかもしれません。       (2021.6 記)

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 2024年11月の追記です

 変な例えですが、お父さんとお母さんのどっちがいい?ときくことは、みかんとりんごのどっちがいい?ときくことに似ているような気がします。

 あるいは、バナナといちごのどっちがいい?とか…。

 どちらもそれぞれにいいわけですから…。

 これって、なんか、比較する土俵が違う(?)というか、もともと比べることに無理があるような感じがします。

 ごはんとパンはどっちがいい?もそうでしょうか?

 日によって、その時によって、必要なものは違うけれど、どちらも大切なもの、という点では共通しています。

 男友達と女友達はどっちがいい?という質問もそうでしょうか?

 あるいは、恋人と親とどっちが大事?とか…。

 みんなそれぞれに大切な存在ですよねぇ。         (2024.11 記)

 

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