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ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングなどを相談、研究しています

じーじ臨床心理士が面会交流の援助について考えてみる-家庭裁判所での司法臨床の経験と臨床心理士の経験から

2024年11月05日 | 「おとな」の親を考える

 2024年11月のブログです

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 臨床心理士として面会交流の援助について考えてみる。

 じーじは原則的には、別れた親子の面会交流の援助は、お父さんとお母さんが一緒の場か近くにいる形式で行なうことを目標としている。

 子どもを育てているお母さん(あるいはお父さん)が、別れて暮らすお父さん(あるいはお母さん)と子どもが遊ぶところを一緒に見れることは、お母さん(あるいはお父さん)の不安を減じることができて、その後の面会交流を双方だけで実施することに移行しやすいと思う。

 別れて暮らすお父さん(あるいはお母さん)は、その際、少し窮屈な思いをしたり、緊張をしたりするだろうが、それを乗り越えて子どもと交流することの意味はとても大きい。

 子どもも、別れて暮らすお父さん(あるいはお母さん)との交流をお母さん(あるいはお父さん)に見てもらったり、お母さん(あるいはお父さん)と目を合わせたりできて安心だし、時々は、お母さん(あるいはお父さん)の許に行ったりして、自由に遊ぶことができることが多くなると思われる。

 別れたお父さんとお母さんが一緒の場にいることには、双方の努力と少しの我慢が必要であろうが、子どものためである。

 親の都合で離婚をしたのに、離婚後も親の都合を優先して子どもに会いたいなどというのは言語道断、離婚後は子どもの都合を優先すべきだろう。

 なお、別れたお父さんとお母さんが一緒の場か近くにいることが難しいような場合には、子どもと別れたお父さん(あるいはお母さん)が会うためには第三者の仲介が必要になり、その際はアクシデント(トイレ、事故、病気、その他などなど)の発生に備えて仲介者は男女二人以上のチームが必要になるが、じーじの場合は一人で仕事をしているので、それは難しい。

 さらに、DVの経験や強い憎悪などのために、別れたお父さん(あるいはお母さん)と子どもが会うことができない場合があるが、そういう時には、写真や手紙、誕生日プレゼントなどでの間接的な交流の援助となる。

 また、それすら難しいような場合には、別れたお父さん(あるいはお母さん)は子どもへの養育費の送金を確実にして、子育てに参加し、その後の間接的な交流の可能性を待つことになると思われる。

 こじれた人間関係の修復はとても難しい作業で、時間もかかるが、カウンセリングなどを利用してもらうことで、修復の糸口を見つける可能性は皆無ではないと信じたいし、そういう可能性を祈りたいと思う。           (2024.11 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通う。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事する。

 1995年頃、調査官でも落ちこぼれ、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事 個人開業で、心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区

 mail  yuwa0421family@gmail.com  

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加藤博二『森林官が語る山の不思議-飛騨の山小屋から』2017・河出書房新社-山の不思議な物語です

2024年11月05日 | 随筆を読む

 2017年のブログです

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 加藤博二さんの『森林官が語る山の不思議-飛騨の山小屋から』(2017・河出書房新社)を読みました。

 といっても、戦後まもなくに出された『飛騨の山小屋』(1948・真実新聞社)という本の再刊ですので、昔の雰囲気が漂います。

 加藤さんには他に、『深山の棲息者たち』(1937・日本公論社)や『密林の怪女』(1940・日本公論社)という本があるらしいですが、題名からして少し怪しげな雰囲気ですし、また、戦時中にこのような本を書くというのもすごい感じがします。

 そして、この本も不思議な本です。

 なんといえばいいのでしょうか、山に暮らす人々の素朴な生活、貧しいゆえの哀しい話、昔の差別による辛い話、そのような中での一服の清涼剤のような物語、などなど、一口では表わせない山の人々のさまざまな生活、お話が描かれます。

 けっして幸せとはいえないのですが、しかし、そこにはなぜか落ち着きがあります。

 現代は便利ですが、なにかもの足りない感じがして、人々はなんとなく不安げでいるという時代ですが、漱石さんがいうまでもなく、どこかが間違っている気もします。

 再び、戦争や支配、侵略などの大きな失敗をする前に、もっともっと、人やこころを大切にするすべを真剣に考えてもいいころなのかもしれません。

 そんなことを考えさせられる、不思議だけれども、いい本です。          (2017. 11 記)

 

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