2024年11月のブログです
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わからないことに耐えることやあいまいさに耐えることの大切さについて考えてみる。
精神科医の中井久夫さんは、シェイクスピアさんの『ハムレット』を引用して、世の中には人間の力ではわからないことがいっぱいあること、そして、わからないことに耐えることの大切さについて述べている。
人はわからないことがあると不安になるが、そこで安易に結論を急がずに、わからないことに耐えて考え続けることの大切さに言及し、それが希望を失わないためにも大切なことだと述べる。
一方、精神分析のビオンさんは、詩人キーツさんがやはりシェイクスピアの作品の中にあいまいさに耐えることの大切さについて述べていることに触れ、早急に結論を出すことに消極的な能力、負の能力(ネガティブ・ケイパビリティー)の重要性について述べている。
わからないことやあいまいなことに耐えて考え続けることは、成熟をした人格には不可欠な要素の一つであるようだ。
人格が未熟な人は、早急な結論を求めて、考え続けるということが苦手だ。
白か黒か、右か左か、イエスかノーか、などと二者択一の答えを求めがちだ。
しかし、おそらくは、正解はその間のグラデーションの中のどこかにあるのだろうと思う。
社会的には、自分の考えを主張し続けて、対立をあおるのではなくて、話し合いの中で、妥協点や一致点を見出していく作業が成熟した社会である。
十分な話し合いをせずに自己の正義のみを主張するような人は、社会を分断し、差別し、違う意見の人を排除することになるだろう。
多数決の原理は、一見、民主的に見えるが、話し合いが十分でない社会では、数による支配、力による支配になり、それは、独裁や全体主義、ファシズムの一歩手前の危険性をはらむ。
ヒトラーだって、当時、最も民主的と言われたワイマール憲法のもとで合法的に政権を獲得し、その後は数と暴力でナチズムを推し進めたことを忘れてはならないだろう。
わからないことに耐えることやあいまいさに耐えて考え続けるという成熟した人々が行なう政治が、こういった危険性を防ぐことになるのではないかと思われる。 (2024.11 記)