たぶん2011年ころのブログです
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長い間,家庭裁判所の離婚調停に立ち会ってきました。
いろいろなケースがあり,いろいろなことを考えさせられました。
その中で一番印象に残っていること。それは,人はどうして争いたがるのか,ということです。
もう少しで仲直りができそうだというのに,そこでまた,どっちが親として立派なのかと,再び争ってしまう,そんな親ごさんたちをいっぱい見てきました。
子どもさんたちにとっては,どちらも,いいお父さん,お母さん,なんだけどなあ,と思います。
そもそも,お父さんとお母さん,どっちがいい親かなんて,誰が決められるのでしょうか?
お父さんにはお父さんなりのよさがあり,お母さんにはお母さんなりのよさがあって,子どもさんたちにとってはどちらも大切な親ごさんで,上も下も,一位も二位もなくて,両方が必要だと思うのです。
そして,だからこそ,子どもさんたちには離婚後もお父さんとお母さんの協力が必要になりますし,別れて暮らすことになる親ごさんとの面会交流が大切になります。
ですから,今からでも,できるだけ早くに競争や争いはやめて,すぐにでもご両親が可能なご協力をして,子どもさんたちの面倒をできるだけ協力をして見ていくことが大切になると思います。
子どもさんたちは,きっと,ご両親のご協力と仲直りを心から望んでいると思いますし,少なくとも子どもさんたちの前では笑顔の楽しそうなご両親の姿を楽しみにしていると思います。
子どもさんたちのためにも,もっと「おとな」の親ごさん,そして,本当の「おとな」になりたいものだ,と思います。 (2011?記)
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2021年6月の追記です
どうしても争いを繰り返すしてしまうことの問題は、フロイトさんが反復ということで述べているように今では思います。
人は不幸の反復を、これに気づかないと繰り返してしまうようです。
離婚や親権争いや面会交流の問題も、反復の視点から見てみると、少しだけ違って見えてくるかもしれません。 (2021.6 記)
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2024年11月の追記です
変な例えですが、お父さんとお母さんのどっちがいい?ときくことは、みかんとりんごのどっちがいい?ときくことに似ているような気がします。
あるいは、バナナといちごのどっちがいい?とか…。
どちらもそれぞれにいいわけですから…。
これって、なんか、比較する土俵が違う(?)というか、もともと比べることに無理があるような感じがします。
ごはんとパンはどっちがいい?もそうでしょうか?
日によって、その時によって、必要なものは違うけれど、どちらも大切なもの、という点では共通しています。
男友達と女友達はどっちがいい?という質問もそうでしょうか?
あるいは、恋人と親とどっちが大事?とか…。
みんなそれぞれに大切な存在ですよねぇ。 (2024.11 記)
おっしゃる通りですね。なかなか難しいです。
そういった場合、親ごさんも寂しい家庭で育ってきている場合がありますので、そこらあたりからの理解と援助が大切になるのでしょうか。
優先されるべきは子供のことよりも自分の自明性が毀損することの無いように、必死で抵抗し闘い続けること・・・
昨日も今日も明日も、何処かで子供が引き裂かれ傷つき壊されていく・・・
ZIP
「おとな」の親になることが大切だと思います。
親だって、最初は半人前。子どもを育て、守っていくことで、少しずつ一人前の親になっていくのでしょうね。