みなさま、どもどもこんにちは! そうだいでございます~。
いや~、気づけばもう、11月もおしまいでございます。今年も終わりが見えてきちゃったよ!
だいたい、今年の大仕事もあらかた過ぎまして、残るは年末のバタバタのみとなってまいりましたよ。個人的なことを申せば、今年で今まで続けてきたある生活スタイルが区切りを迎えまして、来年からは全く経験したことのない新たなるフェイズに突入する予定でございます。仕事自体は大して変わらないですけど。
まぁ、できればその辺のスタイルが一刻も早く「生活の安定」につながってくれると良いのですが……世の中そんなにうまくはいかねぇか! いろいろ挫折も苦労もするでしょうが、めげずに頑張っていきたいものであります。
さぁ、そんな感じでどうにかこうにか今年2024年も完走できそうな気配が見えてきたわたくしなのですが、先日、たぶん今年最後の映画鑑賞になりそうな作品を観てまいりました。ほんとはこの前の『八犬伝』がラストになる予定だったのですが、周囲での評判が結構よかったので、遅ればせながらこちらも観に行こうと思い立ったのでありました。
来月12月はねぇ、なんか観に行く気のおきるラインナップじゃなくて及び腰なんですよね。ま、東京に毎年恒例の城山羊の会さんの演劇公演を観に行く予定なので、映画はもういいかな~と。
映画『十一人の賊軍』(2024年11月1日公開 155分 東映)
『十一人の賊軍』は日本の映画作品。PG12指定。
江戸幕末の慶応四(1868)年一月に勃発した戊辰戦争のさなかで、新政府軍と対立する幕府方の奥羽越列藩同盟にしぶしぶ加担していた新発田藩の新政府軍への寝返り事件をもとに、たった十一人の罪人が新発田藩の命令により砦を守る壮絶な戦いに身を投じていく群像模様を描く。
本作の撮影は新潟県新発田市(新発田城、市島邸)、南魚沼市(雲洞庵)、宮城県白石市(白石城)、千葉県鋸南町などで行われた。
もともと本作のプロットと脚本は、映画『仁義なき戦い』初期四部作(1973~74年)や『大日本帝国』(1982年)などの脚本で知られる笠原和夫(1927~2002年)が1964年に執筆したものであったが、主人公側である賊軍が全員死んでしまう結末が当時の東映京都撮影所所長だった岡田茂(1924~2011年)の意にそぐわず却下され、企画はいったん打ち切りとなった。当時、激怒した笠原は原稿用紙350枚分もの脚本(ホン読み・検討会議用の第1稿)を破り捨ててしまい、プロットだけが残されていたという。
後年、笠原のインタビュー本『昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫』(2002年 太田出版)でそのエピソードを知った映画監督の白石和彌は、笠原が描こうとした本作のドラマこそが現代の日本が抱える社会問題とシンクロすると確信し、東映での映画化が決定した。
また白石は、「物語のラストについてはプロットから改変しています。時代が変わるときに、誰が生き残って未来を見ていくのか。この作品のヒロイックさ、物語の強さは笠原さんにしか思い付かなかったものがある。僕らはそれを信じて、今の時代へのメッセージを込めました。」と語っている。
生前の笠原が遺した本作のシノプシス(物語のあらすじ)は、『笠原和夫 人とシナリオ』(2003年 シナリオ作家協会)に収録されている。
あらすじ
慶応四(1868)年七月。
江戸幕府の重要港である新潟を守る越後国新発田藩の城代家老・溝口内匠頭は進退窮まっていた。
江戸幕府方の奥羽越列藩同盟と新政府軍との日本を二分する戊辰戦争が激化する中、新発田藩は密かに奥羽越列藩同盟から新政府軍への寝返りを画策するが、新発田城には奥羽越列藩同盟の軍勢が出兵を求めて押しかけていた。そんな折、ついに新政府軍の到来が迫る。新発田城を出ない同盟軍と新政府軍とが鉢合わせしてしまっては、新発田は戦火を免れない。
絶体絶命の状況に一刻の猶予も無くなった内匠頭は一計を案じ、新政府軍の進撃を食い止める起死回生の一手として、新発田藩境にある砦への籠城作戦を命じる。集められたのは殺人、賭博、火付け、密航、姦通など人道を外れた罪で死罪を申し渡された十名の罪人たち。彼、彼女らに課された圧倒的に不利な命懸けの作戦とは、「新政府軍が砦を突破して新発田領内に侵攻することを防ぐこと」、ただそれだけだった。
死を覚悟していた罪人たちに見えた、「生き残る」という一筋の希望。勝てば無罪放免という約束を信じ、罪人たちは己のために突き進む。新発田藩、新政府軍、同盟軍、三者の思惑が交錯する中、それぞれの執念が渦巻く十一人の壮絶な戦争が始まる。
おもなキャスティング
侍殺しの政(まさ)…… 山田 孝之(41歳)
駕籠かき人足。妻さだを手籠めにした新発田藩士の善右衛門を殺害して死罪を言い渡されるが、新発田藩境の砦を守り抜けば無罪放免だと言われ、不本意ながらも決死隊とともに戦場に駆り出される。
鷲尾 兵士郎 ……仲野 太賀(31歳)
新発田藩の剣術道場の道場主で直心影流の使い手。城代家老・溝口内匠頭の命により砦を守る決死隊に参加する。
博奕打ちの赤丹(あかに)…… 二世 尾上 右近(32歳)
武士から金を巻き上げていたイカサマ博徒。
火付けのおなつ …… 鞘師 里保(26歳)
新発田の女郎。子を堕胎させられた恨みで男の家に放火した。
花火屋のノロ …… 佐久本 宝(26歳)
新発田の花火師の息子。捕らえられた政を死んだ兄と思い込み脱獄を助けた。
女犯の引導 …… 千原 せいじ(54歳)
檀家の娘を手籠めにするなど、数多くの女犯に及んでいた坊主。
医者のおろしや …… 岡山 天音(30歳)
医師の息子。医学を学ぶためにロシア帝国へ密航しようとした。
死にぞこないの三途 …… 松浦 祐也(43歳)
貧乏百姓。⼀家心中を図るが自分だけ死ねなかった。
二枚目 …… 一ノ瀬 颯(27歳)
新発田随一の色男。武家の女房と恋仲になり姦通で捕らえられた。
辻斬り …… 小柳 亮太(元・大相撲前頭筆頭豊山 31歳)
新発田藩内の村で大人数の村人を無差別に殺害した浪人。
爺っつぁん …… 本山 力(55歳)
新発田で名主の強盗殺人を犯した剣術家。
入江 数馬 …… 野村 周平(31歳)
罪人たちとともに砦を守る命を受けた決死隊の隊長。城代家老・溝口内匠頭の重臣で溝口の娘・加奈の婚約者。
溝口 内匠頭 清端 …… 阿部 サダヲ(54歳)
新発田藩城代家老。藩の実権を掌握し、領地が戦火に見舞われぬよう画策する。
溝口 加奈 …… 木竜 麻生(30歳)
溝口内匠頭の娘。入江数馬の許嫁。
さだ …… 長井 恵里(28歳)
政の女房。耳が不自由である。
溝口 伯耆守 直正 …… 柴崎 楓雅(16歳)
新発田藩第十二代藩主。
山県 狂介(のちの有朋)…… 玉木 宏(44歳)
新政府軍先鋒総督府参謀。新発田藩を新政府方に取り込もうと画策する。
岩村 精一郎 高俊 …… 浅香 航大(32歳)
土佐藩士。新政府軍先鋒総督府軍監。山県の右腕として働く。
色部 長門守 久長 …… 松角 洋平(47歳)
米沢藩国家老。奥羽越列藩同盟新潟港総督。新発田藩に新政府軍との決戦を迫る。
斎藤 主計頭 作兵衛 …… 駿河 太郎(46歳)
米沢藩士で色部の側近。奥羽越列藩同盟参謀。
荒井 万之助 …… 田中 俊介(34歳)
小暮 総七 …… 松尾 諭(48歳)
杉山 荘一郎 …… 佐野 和真(35歳)
水本 正虎 …… 佐野 岳(32歳)
水本 正鷹 …… ナダル(39歳)
寺田 惣次郎 …… 吉沢 悠(46歳)
里村 官治 …… 佐藤 五郎(45歳)
溝口 みね …… 西田 尚美(54歳)
世良 荘一郎 …… 安藤 ヒロキオ(42歳)
仙石 善右衛門 …… 音尾 琢真(48歳)
おもなスタッフ
監督 …… 白石 和彌(49歳)
脚本 …… 池上 純哉(54歳)
音楽 …… 松隈 ケンタ(45歳)
録音 …… 浦田 和治(75歳)
音響 …… 柴崎 憲治(69歳)
特撮 …… 神谷 誠(59歳)
制作 …… ドラゴンフライエンタテインメント
配給 …… 東映
これですよ! この作品を観に行ってきました。
白石監督の作品を観るの、けっこう久しぶりなんですよね。なんと
『凶悪』(2013年)いらい11年ぶりなんですよ! 池脇千鶴さんサイコー!!
……ここで「あれ?」って思った特撮ファンの方、いらっしゃいますか? そうなんです。実はわたくし、特撮ファンとしてはあるまじきことに、白石監督のアマゾンプライム配信ドラマシリーズ『仮面ライダー BLACK SUN 』(2022年 全10話)を、まだ観てないのよぉ!
我ながらまことにひどい話であります。だって私、正真正銘『仮面ライダー BLACK 』(1987~88年放送)にリアルタイムで夢中になった少年だったのよ!? 全身漆黒の仮面ライダーと全身シルバーガッチャガチャのシャドームーンとの宿命の対決にハラハラドキドキして、ゴルゴム大神官のビシュムさまにメロメロになって、北海道の夕張ってそんなにものすごい理想郷なのかと騙されまくってたのよ~!?
でも、ど~か勘弁してほしいのは、『 BLACK SUN』って、なんかめちゃくちゃ敷居が高くないですか……? アマプラ入ってないし、なんか人種差別問題や政治問題にからめたテーマになってるらしいし……激重な物語はもう私、『仮面ライダーアマゾンズ』でむこう半世紀はノーサンキュー状態になってますんで……ちょっと、そうとう覚悟を決めないと観始められそうにないんだよなぁ。
当然、いつまでも観ないで済む話でもないとは思いますので、いつか必ずひもとくことになるとは思うのですが……ルー大柴さんの演技が最高らしいっていうのもムチャクチャ気になるし。
ただまぁ、そちらの話はひとまずさておきまして、今回はそんな白石監督の劇場最新作なのであります!
本作ですが、現在の日本映画界でもひときわ存在感のある白石監督の作品であると同時に、あの伝説の脚本家・笠原和夫が1964年に執筆していながらも、その在世中にはついに撮影されなかったという悲運の脚本の、満を持しての映画化という売り文句も前面に押し出されております。
ここで、今回鑑賞した作品の内容に入る前に、この「笠原和夫の幻の脚本の映画化」というポイントについて確認していきたいのですが、上の Wikipedia記事を読んでもわかるように、本作は厳密に言えば「笠原和夫の脚本」を映画化したものではありません。笠原和夫が遺した「プロット」もしくは「シノプシス」を元に脚本が制作された映画、ということになります。アウト?セーフ?ギリギリなラインの売り方!!
ここで簡単に「脚本」と「プロット」と「シノプシス」、この3つの違いに触れておきたいのですが、「脚本」というのは、そらもう実際に映画なり TVドラマなりラジオドラマなりアニメ作品なりを制作するスタッフさんや出演俳優の皆さんが手に持っている台本に書かれたストーリーのことで、具体的に撮影されるやり取りや登場人物のセリフがかっちり決まっている、作品の最終完成形のことです。
それに対して、「プロット」というのは映像化したい物語の「材料と設計図」をざっと羅列したものであり、「シノプシス」というのは物語の「あらすじ」ということになります。
つまり、昔話の『ももたろう』を例に挙げれば、「桃太郎:川から流れてきた桃の中から生まれた男の子で、成長して鬼どもを討伐する。」、「イヌ、サル、キジ;桃太郎に同道して鬼討伐を助ける。」といったキャラクター紹介や、「おばあさんが川で桃を拾う。」→「桃の中から桃太郎が生まれる。」という感じでざっくりした話の流れをリストアップした設定資料集みたいなものがプロットで、「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが……(略)……宝物を持ち帰り、幸せに暮らしましたとさ。」といった話の流れを簡単に説明したものがシノプシスということになるのです。
そして、上の記事を見ても気になるのが、果たして笠原氏が遺したものが『十一人の賊軍』のプロットなのかシノプシスなのか、どっちなんだい!?というところで、笠原氏が脚本をビリビリに破り捨てた時に残したものはプロットだったはずなのに、笠原氏の死後に出版された書籍『人とシナリオ』の中に収録されているのはシノプシスということらしいのです。え、どっちも残ってんの?それとも、プロットとシノプシスを混同してるのか? まぁ、これは『人とシナリオ』を購入して読めばいい話なのですが、残念ながら本が高額なので私は買ってないのです。ぎゃふん!
そうなもんで、映画のパンフレットを買って、白石監督と脚本を担当した池上純哉さんの対談記事も読んでみたのですが、白石監督が最初に入手したのは「16ページのプロット」で、そこには「主要な登場人物が全員犬死にする」という結末まで書かれていたのだそうです。しかし、その一方で池上さんは同じ話をしていながら「最初にシノプシスを読んだ時」とも語っているので、おそらくはプロットとシノプシスがごっちゃになったような笠原氏のメモが残っていたんじゃないかな~という雰囲気なんですよね。
前置きが長くなりましたが、要するに私が言いたいのは、今回の作品が、あの『仁義なき戦い』シリーズで有名な笠原氏の脚本作品であると意気込んで観るのはちと間違いということです。具体的に登場人物がどうしゃべって、あの藩境の砦でどういった攻防戦が繰り広げられたのかを考えたのは白石監督であり池上脚本の仕事なので、別にこの作品だけを「伝説の作品!」と持ち上げるのはいかがなものか、ということなのです。ましてや、本作の結末は笠原氏の構想とはあえてちょっと違うものにしていると白石監督が公言しているので、あくまでも本作に対する笠原氏の貢献度は、平成・令和の『仮面ライダー』シリーズでの「原作・石ノ森章太郎」とか、「スーパー戦隊シリーズ」での「原作・八手三郎」くらいのものととらえてよろしいのではないでしょうか。根柢の魂は継承しているとしても。
あと、私が気にしたいのは、笠原氏が本作の構想を練り第1稿を執筆したのが「1964年」であるというところで、それはつまり、笠原氏がプロの脚本家となって8年目、彼にとって最初のヒットシリーズと言ってよい『日本侠客伝』(主演・高倉健、監督・マキノ雅弘 東映)の第1作を世に出した頃なのです。あの伝説の脚本家にも、こんな雌伏の時代があったのね!
要するに、そんな時期に映画化できなかった『十一人の賊軍』で笠原氏が伝えたかったテーマは、その後の『仁義なき戦い』を筆頭とする数多くの名作の形をとって映像化されていったはずなので、『十一人の賊軍』が何か特別の理由で封印されたというわけでもないし、笠原氏だっていつまでもこの作品の映像化を悲願にしていたわけでもなかったんじゃないの~?ということなのです。むしろ、初期の作品を掘り起こされて恥ずかしがっておられるのでは……
そして、この作品を観た多くの方が連想したでしょうが、本作は『七人の侍』(1954年)や『隠し砦の三悪人』(1958年)といった、普通の時代劇ではスポットライトの当てられない無名の人々を主人公にした黒澤明監督の時代劇映画にかなり似通った種類の作品になっています。もちろんパクリではないのですが、そういった、同じ土俵に立つことを想像するだけで手足がガクガク震え、目がくらんで鼻血が噴出して失禁ビシャーとなってしまうような無茶無茶な強敵を向こうに回すことを覚悟しなければ、今回の60年ぶりの映画化はできなかったことでしょう。白石監督も、どえらい仕事にチャレンジしたものです……
そして、世界のクロサワ映画もさることながら、今回の作品と非常に似た時代設定の時代劇映画として、私が強く想起してしまったのは、まぁけっこう多くの人がピンときたかとは思うのですが、この作品なんですよね。超傑作!!
岡本喜八・監督 『赤毛』(脚本・岡本喜八&広沢栄 1969年 東宝)
これこれ~! 主演・三船敏郎!!
観てない人は、絶対観て!! 最高なんですよ。
この作品は、『十一人の賊軍』とほぼ同じ時期、薩長新政府軍の東日本進軍の際に信州で起こった「赤報隊」の悲劇を描くアクション時代劇です。新政府軍が民衆の支持を得るためにわざと流したデマ「年貢半減」を広めた部隊「赤報隊」が、都合の悪くなった新政府軍に賊軍扱いされて捕縛・処刑されたという事件を元に、赤報隊の残党となってしまった農民あがりの兵士・権三が宿場町に立てこもって新政府軍と宿場の代官所と三つ巴の死闘を繰り広げるという物語なのですが、名も無い民衆を虫けらのように押しつぶそうとする権力と、それに必死に抵抗する宿場町の人々の熱いエネルギーをみごとにエンタメにまで昇華させた大名作です。三船敏郎の泥臭い情熱もカッコいいし、寺田みのりん(合掌……!)や高橋悦史の若さもまぶしい。そして当時28歳の岩下志麻姐さん(松竹)の神々しさときたら~!! あと、岸田森サマに草野大悟に砂塚秀夫、天本英世に花沢徳衛、あげくのはてにゃ伊藤雄之助と、地球上の生きとし生ける岡本喜八ファンが狂喜乱舞する、とんでもない奇跡の一作なのです。
いや~、これ、『十一人の賊軍』の第1稿が書かれて5年後に映画化された作品なんでしょ? しかも、笠原氏がいた東映のライバル会社である東宝で。う~ん……笠原氏が『十一人の賊軍』の企画を蒸し返さなかったのも、わかる気がするような。相手が悪すぎるというか、もうよそでやっちゃったし、みたいな。
はっきり申しまして、ここで『十一人の賊軍』と『赤毛』を似ていると比較するのはわたくしの妄想でしかないわけなのですが、共通しているのは、どちらも結果だけで言えば無惨きわまりないバッドエンドではありながらも、それぞれの形で最後の最後にある種の「救い」というか、「未来への希望」を明確に描いているという点なのです。これは、他の作品で言えばあの『ローグ・ワン』(2013年)に通じるものがある味わいですよね。血はとめどなく流れましたが、新しい時代を切り開く「芽」は確実に生き残った!みたいな。
その点、笠原氏の構想をそのまま映画化しただけで「主要メンバー全員死亡」にしなかった白石監督の判断は非常に素晴らしく、光り輝くほうへと走り出していく姿で終幕する『十一人の賊軍』は、このラストカットで大いに救われるものがあったのではないでしょうか。
でもまぁ~、そこにいくまでの路程は残酷そのものといいますか、観ていて痛々しい展開や描写の連続ですよね。キッツイなぁ~!
ここまでくどくどと申してきたのですが、私自身の本作に対する印象というか感想は、決して高いものではありません。
なんでかっちゅうと~……私、残酷な展開自体は別にどうでもよろしいのですが、爆発に巻き込まれて焼けただれた顔とか、大砲が直撃して爆散した死体の肉片だとか、皮一枚でつながってるだけでブラ~ンとなってる二の腕だとかを、お金をかけてリアルに映像化して何がたのしいの?って思っちゃうんですよね。
この映画は、そんな残酷描写で一体なにを伝えたいのか……それは当然、戦争や憎しみ合いの醜悪さなのでしょうが、そこを直接描かずに、俳優の演技や間接的な映像演出で観客に想像させるのが、プロとしての腕の見せ所なんじゃないかな~、と強く思ってしまうのです。
もちろん、私は特殊撮影技術としての残酷描写を全部キライだと言うつもりなど毛頭ありませんし、大御所になってしまいますがトム=サヴィーニやスクリーミング・マッド・ジョージといった天才たちによる、実生活でいっさい役に立たない特殊すぎる技術効果の数々は本当に大好きです。
でもそれらは、ホラー映画という「うその世界」に立脚するイリュージョンのあらわれなのであって、実際に世界各地の戦争・紛争地帯で起こっている惨劇を逐一再現することを目的にはしていないはずです。それじゃドキュメンタリーに見せかけた「ただのうそ」ですよね。
この、『十一人の賊軍』という物語を、白石監督は「荒唐無稽で夢のあるフィクション作品」にしたいのか、それとも「戊辰戦争の敗者側の様子をリアルに再現したえせドキュメンタリー」にしたいのか?
おそらく白石監督には、ああいった希望あるラストをより効果的にするために、そこにいくまでの悲劇を徹底的に残酷に描くという意図があったのでしょうが、なんかそういう作品って、何十年たっても繰り返し観られるようになるんですかね……さっきに例に挙げたホラー映画の描写って、一周まわって笑っちゃうような100% ウソっぽい勢いがあるので何度も観られるのですが、本作で松尾諭さんが木っ端ミジンコになるくだりを観て爽快な気分になったり笑ったりする人はいないと思うんだよなぁ……それ、エンタメかぁ!? 松尾さんじゃなくて『仮面ライダー V3』のドクバリグモだったら大爆笑ものなんだけどなぁ。不思議なもんです。
とにもかくにも、文章がいつも以上に回りくどくなってしまったのでかいつまんで感想を言いますと、「残酷すぎてヤダ!」と、この一言になります。残酷なのは別にいいんですが、描き方が問題なんですよね……
あれですか、白石監督は『仁義なき戦い』の笠原和夫というイメージを逆輸入させちゃって、この作品をこんなに必要以上に残酷無比な描写だらけにしちゃったのかな!? いや、いらんて、そんなの!
あと、本作でもう一つ「う~ん」と思ってしまったのは、主人公たちが直接守る砦と、敵方(新政府軍)が狙っている標的(新発田城)が別の場所にあるものなので、物語の目指す方向性が「砦を守りきること」と「新発田藩を無血開城すること」とで微妙にズレているため、映画の途中で砦の戦いが終わっても物語は終わらず続くというスッキリしなささです。新発田城からのろしが上がったら終了、っていうゴール設定もな~んかドラマチックじゃないですよね。そんなん溝口内匠のさじ加減ひとつやんけという釈然としないものが、隠しきれずに最初から露呈しているのです。それじゃ、あんなじゃじゃ馬だらけの集団の心がまとまるはずがありませんよね。そんなトカゲのしっぽ切りルートまっしぐらな作戦に参加するなんて、どんだけ純真無垢な奴らなんだという話ですよ。ふつう、砦に行く途中で鷲尾たち侍勢をぶっ殺して即解散しますよね。別に藩に人質とられてるわけでもないんだし、その藩だって今日明日存続してるかどうかも怪しいもんなんだし!
しかも、新政府軍を率いる参謀の山県は、新発田藩に侵攻するためのルート上にある砦が難攻不落であることを知ると、けっこうあっさりと「じゃ別ルートで。」みたいな感じで、砦と関係ない道から新発田城に入ってしまうのです。いやいや、それじゃ犬死にすぎやしないかい!? 主人公チームどころか、必死こいて砦の攻略に血道を上げていた鎧武&ナダル兄弟の努力もアホみたいじゃないですか!
そりゃね、「狂介」なんていう昨今の DQNネームも裸足で逃げ出す名前こそ名乗ってはいますが、今作のラスボスである新政府軍の山県は、のちに内閣総理大臣&明治の元勲になる大物なんですから、その彼が主人公たちに殺されるなんて展開にはならなそうなことはよくわかっております。だから、主人公たちも完全勝利のハッピーエンドを迎えられそうにないことは容易に想像もつくのですが、だからといって、そんなにやることなすこと全てを「意味なし。」とおとしめることもないじゃないですか! そりゃないっすよぉ~、少しくらい努力の甲斐があってもいいじゃないっすかぁ!
ちなみに、ここらへんは映画ではいっさい語られていないのですが、史実では新発田城下すぐ近くの新潟港付近は新政府軍の艦隊6隻(うち軍艦2隻)による砲撃と四日間にわたる上陸戦でがっつり焦土と化しているので、エピローグで溝口内匠を囲んで新発田の民衆があんなにニコニコできるほど平和で済んではいないと思います。ちなみに、映画にも出ていた米沢藩の色部長門と斉藤主計(史実の斎藤作兵衛?)は新潟港の合戦で壮烈な討死を遂げており、地元の山形県米沢市で色部は「米沢藩上杉家の戦犯責任を一身に引き受けた偉人」として顕彰され、新潟市の討死した場所は現在、戊辰公園として整備されて石碑が建っているそうです。だりが、こっつ視点の映画も作ってけろず!!
とまぁ、いろいろと重箱の隅をつつくような小言を申し立ててはきたのですが、やっぱり「戊辰戦争と言えば北陸戦争、北陸戦争と言えば越後長岡藩の河合継之助!!」というイメージの固定化がはげしかった昨今において、長岡藩陥落後の新発田藩における一挿話にクローズアップした本作の意義は非常に大きいものがあったと思います。ガトリング砲だけが北陸戦争じゃねぇぞと!
あと細かいところでいうと、先込め式なのでリロードが難しいゲベール銃かミニエー銃を何丁もかついで、撃つたびにガチャッと捨てて次の銃を持つといった所作をちゃんとしていたミリタリー描写も良かったですよね。効率は最悪だけど……
そしてこれだけは言っておきたいのですが、この映画、ちゃらちゃらした遊び人ふうの尾上右近さんがほんとに良かった!
言動は軽率なのですが、一瞬先には全員玉砕しかねない砦の中において、空元気でも場を明るくしようとふるまう生命力みなぎる役柄を、右近さんは目をキラッキラ輝かせて好演していたと思います。なにかと斜に構えて集団から距離を置いていた主人公の政よりもよっぽど魅力的でしたよね。なんかそれこそ、岡本喜八作品での米倉斉加年(まさかね)さんを彷彿とさせる陽気と色気がありました。しぇんしぇ~い♡
いや~、やっぱ歌舞伎界はすごいですね。こんなフレッシュな才能がゴロゴロしてるんだもんなぁ。そういえば、あの『八犬伝』にも右近さんは出ていたのですが、お岩さん役だったのか! 気づかなかった……いろんな仕事してるなぁ。
あと、現在の日本女優界における「和顔」ジャンルの隠れた才能として、限りない伸びしろを持つ秘密兵器・鞘師さんを抜擢したキャスティングセンスにも感服つかまつりました。蒼井優さん、黒木華さんに続く次世代の平安顔覇者は、鞘師さんで決まったな……嗚呼、日本武道館で熱狂していたあの頃がなつかしい……
いろいろ言いましたが、この『十一人の賊軍』は、今現在の日本映画界の潮流をみる上で非常に重要な指標となる作品であると感じました。正直、好きな作品とは思えなかったのですが、いろんなことを考えるきっかけになるコストパフォーマンスは十二分にありましたよ!
でも、まぁ……白石監督の『BLACK SUN 』を観る気持ちはまた遠のいちゃったかも……いや、いつかは観ますよ! いつかはね……