長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくり世界史 第2回『トロイ戦争』

2010年09月10日 00時59分02秒 | ざっくり世界史
 どうもこんばんは。そうだいです。今日は台風の過ぎ去った後ということで、突如として秋のようなさわやかな風の吹くステキな1日となりました。昨日までの酷暑はどこへ? まぁ、明日また戻ってきちゃうんでしょうけど。でもさすがに9月、秋は確実に近づきつつあるんですねぇ。

 さぁ、今回もヨーロッパの壮大なる「帝国」の歴史を追跡する旅へ出かけましょう! ついてこられる人はどのくらいいるのカナ~、そして、私はこのジャーニーをどこまで続けられるのカナ~!?
 前回に予告した通り、ローマ帝国の始まりを知るためには、紀元前16世紀にまでさかのぼらなければなりません。紀元前16世紀には何があったのか? ハイその時期、ペロポネソス半島(現在のギリシア)で青銅器を使用したミケーネ文明が発祥したんですねぇ。
 ちなみにその時代、中国では黄河文明から発展した最初の王国・殷(いん)ができており、日本はまだまだ縄文時代。竪穴式住居だったんだな、あのころ。
 ミケーネ文明の発展した時代、ギリシア地方にはアカイア人による小さな都市国家(ポリス)が数多く生まれました。そして、それぞれがゆるやかな同盟関係をむすんで存在していたわけなんですが、ここに強力なライバルとなる勢力が立ちはだかります。
 それが、ヨーロッパ地中海の東、入江のようになったエーゲ海をはさんでペロポネソス半島の向かいに位置するアナトリア半島(現在のトルコ)で発展していた、トロイ文明だったんです。トロイ文明もミケーネ文明と同じ青銅器文明なのですが、始まりは紀元前3000年ごろ。ミケーネよりもはるか昔から発展していた地域だったんですね。ミケーネ文明はさまざまな都市国家の連合体だったのですが、トロイ文明は王が全てを支配する1つの王国でした。
 おそらくはエーゲ海の交易利権をめぐっての争いだったのでしょう。大いに発展したミケーネ文明の諸国は、ついに決定的に対立したトロイ王国に対して戦争をふっかけます。それが、紀元前1250年ごろに起こったとされる「トロイ戦争」だったんですねぇ。
 ところでみなさん、今からちょっと前、2004年に公開されて大ヒットしたハリウッドの大スペクタクル映画『トロイ』(ヴォルフガング=ペーターゼン監督)はごらんになったでしょうか? 伝説の英雄・アキレス役を演じた筋肉ムキムキのブラッド=ピット、かっこよかったですねぇ! この『トロイ』に描かれていた戦争こそが、問題の「トロイ戦争」だったわけなんです。有名な「トロイの木馬」作戦のシーンもちゃんと出てました。多少、映画をおもしろくするための現代的アレンジはあったものの、古代のロマンをふんだんに盛り込んだ素敵な作品だったと思います。2時間半という大ボリュームではありますがおすすめですよ。
 さてそのトロイ戦争なんですが、結果はミケーネ文明側の勝利に終わり、1500年以上の歴史をほこったトロイ王国は、あわれ滅亡とあいなりました。ここで、ローマ帝国の始まりを考える上で重要なキーパーソンとなってくる人物が1人登場します。その名はアイネイアス。トロイ国王の娘を妻にした、トロイ王族の将軍です(映画『トロイ』には登場しなかったような……コラ、脚本家! カットしないでね)。
 トロイ戦争でも、勇敢に敵側の将軍アキレスなどと戦ったアイネイアスだったのですが、国王の死とトロイ王国の滅亡を目の当たりにして、「トロイ王家の血を絶やすわけにはいかねぇ!」とばかりに、妻子を連れて地中海にのがれ、イタリア半島への亡命をはかります。
 途中、暴風雨のために北アフリカの都市国家カルタゴにながれつくなどのトラブルにみまわれつつも、死んだ親父の霊のアドバイスを受けたりして、さすらいのアイネイアス一家はついに念願のイタリア半島上陸に成功しました。
 しかし、アイネイアスたちのたどりついたイタリア中西部・ラティウムの地に彼らを待ち受けていたものとは……! 以下次号!! みたいな~。

 蛇足ながら、トロイ戦争で勝利をおさめたギリシアのミケーネ文明は、それから100年たつかたたないかという紀元前12世紀中ごろに、謎の滅亡をとげます。原因は、ギリシア北部か地中海からやって来た異民族の侵略を受けたためと言われているのですが……うむむ、おごれる者も久しからず。アテナイやスパルタなどがあらわれ、再びギリシア地方が世界史の話題にのぼってくるのはそれから300年後、紀元前8世紀ごろのことになります。

 あぁ~、しんど…… 
 
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そうだいのざっくり世界史 第1回『はじめに』

2010年09月09日 13時34分49秒 | ざっくり世界史
 どうも~。そうだいでございます。昨日は台風9号の影響が私の町にもバンバン来まして、けっこうな量の雨のために、一時は道のところどころが川になっちゃうという事態になっていました。夜になってすぐに冠水はひいてくれたんですが、ずーっと降り続いていた雨と強い風はキツかったですねぇ。ただ、そのおかげで今日は台風一過、気温もおだやかでさわやかな晴れとなっております。夏もこれで一段落といったところでしょうか。だといいなぁ!
 さて、昨日もそんなことを言いましたが、いよいよ私も出演する劇団の公演が明日に近づいてまいりました。10~13日に上演する予定です。やったるでぇ!
 ということで、これからしばらくの間は、ちょ~っとこのブログ「長岡京エイリアン」の更新ペースも軽めにさせていただきたいかな、と思います。ある程度は公演に集中させていただきたいと、ハイ。
 しかぁし! だからといって丸ごと休みにするのも、わたくし的には日記っぽくなくてピンとこない。なにか内容を変えてお送りしたいんですね。
 そんなこんなで、今回からしばらくは、今までのように私の考えをブツブツつづる形なのではなく、先日に紹介した「神聖ローマ帝国」にからめて、「ヨーロッパにおける帝国の歴史を勉強していこうかなぁ、なんとなく」というシリーズをやっていきたいと思います! 要するにここを私の「世界史授業ノート」にしちゃおうというくわだて。なんという唯我独尊企画!
 とにかくですねぇ、「神聖ローマ帝国大好き!」と言っておきながら、神聖ローマ帝国のことを何も語ることができなかった衝撃の事実に、非常に悔いが残ったんです、私。
 でも、私が神聖ローマ帝国が好きな理由は、大半が神聖ローマ帝国の「伝統」を守ろう、あるいは壊そうと必死にもがき続けた人々の歴史にあるんです。だとするのならば、その帝国の「伝統」というものをまず説明しなければ、神聖ローマ帝国が好きな理由なんて1ミクロンも伝えることができない。じゃあヨーロッパで生まれた帝国の「伝統」とはなんだったのか? その歴史を、最初から追ってくしかねぇじゃねぇか。やろうやろう! というわけなんです。

 ……果てしねぇ!
 やれんのか、そんなこと? この前だって、『新世紀エヴァンゲリオン』の使徒シリーズであっぷあっぷしてたじゃないの……いやいや、やらいでか! だって好きなんだもの! 愛があればオールOK! そうですよね、城島リーダー?
 さっそくいってみよう。八幡大菩薩と塩野七生先生、われにご加護を! あと、明日からの舞台本番、成功しますように。

 ヨーロッパの歴史において、「帝国」が誕生したのはいつだったのか。そして、その「帝国」という言葉の具体的な意味とは?
 始める前に申しておきますが、ここから私がつづっていく内容の多くは、無数にある解釈のうちのたった1つを、私が自分の好みで選んだものです。したがって、なるべく最もポピュラーな説を取り上げてはいきますが、他に有力な異説があったり、根拠が薄かったり、世界史の試験問題の模範解答とは違うような内容もあるかもね?ということをご理解下さい。要は私が、そうだったらおもしろいな!っていう説の方を選んだってことです。歴史に詳しい方、そこらへんを寛大にひとつ!
 ヨーロッパで生まれた最初の帝国は「ローマ帝国」で、誕生した年は紀元前27年。そのころ世界がどうだったかを見てみましょう。タイムマーシンにぃい~、おーねがいぃい~!!
 日本は、紀元前10世紀くらいから稲作文化がじょじょに伝わってきて900年たつかたたないか。だいたい本州全域で田んぼが見られるようになってきたかな、という弥生時代中期です。ちなみに、日本の弥生時代はあと300年くらい続きます。のんびりしてるねぇ~。
 一方で中国では、すでに紀元前206年に建国されていた前漢帝国が、皇帝の政治無関心のためにかたむきつつありました。滅亡はそのおよそ30年後です。
 そうなんです、同じ「帝国」でも、中国の帝国の方が、ヨーロッパよりも早く誕生していたんですね。中国最初の帝国は紀元前221年に建国された秦帝国で、最初の皇帝はご存じ始皇帝(即位は数え年で39歳)でした。帝国の歴史でいうと、ヨーロッパよりも中国の方がだいたい200年ほど先輩だったということになります。先輩すぎ!
 とはいえ、ここで忘れてはならないのは、「帝国」という言葉はあくまで日本人のくくり方によったものであるだけで、中国の「帝国」とヨーロッパの「帝国」とは、まぁーったく意味の違う国の形なんだ、ということなんです。
 むしろ、スタート時点の様子を見てみると、ヨーロッパの帝国は、中国の帝国のような方法を「やらないようしよう」という考え方から生まれた国の形だったらしいのです……

 そんなこんなで、次回は、ヨーロッパの帝国ができるまでの歴史を追ってみましょう。紀元前27年のローマ帝国建国へ向けて、時代は紀元前16世紀からスタートだ!

 せ、1500年も前から……大丈夫か? 終わんのか、コレ!?
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今日は普通の日記です

2010年09月08日 07時51分45秒 | 日記
 昨日はなかなかグレイトな日だった。何がグレイトって、グレイトとしか言えないからグレイトなんだ。このグレイトを言い表すなんてことはどうでもいい。
 やるのなら、さらに上をいくアルティメットグレイト(Ultimate Great 略してUG)にすることだ。UGチャンスはいくらでもあるだろう。ただ、それを見つけることができるかは俺次第。
 まずは、UGを10~13日のお客さんの前で確実に披露することを考える。そのためには、新しい1日が始まった今日から、UGめざして突き進むことだ。それが、昨日のグレイトへの最高の礼になる。忘れない、待ってな昨日。
 さぁこの誓いを、これから昇る太陽に……って、今朝はそうとう久しぶりの雨雲だった。太陽は見えやしねぇ。ボヤ~っと明るくなりやがった。さすがは太陽。なかなかのじゃじゃ馬だ。

 三条会の劇団アトリエ公演(千葉県千葉市にて)、よーろっしく~!!
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嗚呼、わが心の神聖ローマ帝国

2010年09月07日 08時59分49秒 | ざっくり世界史
 みなさん、おはようございま~す。そうだいです。いやぁ、最近は劇団の稽古も本番3日前と言うことで佳境に入ってきまして、家に帰ったらまずズドンと夢の世界におちてしまうサイクルになっております。そのため、このブログを更新しているのも次の早朝といった感じになってまして、陽が昇るのを窓から眺めて「今日も暑そうだなオイ……」と感慨にふける朝型ライフを楽しんでいるわけなんです。
 朝型ライフなんて、学生時代にもできないことだったんですけどね! 大学受験の時には、私はもっぱらAMラジオの深夜放送を聴きながら3~4時まで机に向かっているという深夜型の勉強をやっていまし……すいません、ウソです! ほんとは勉強するよりも深夜ラジオを聴く方がメインだったんです! 哀しいかな、戻らぬ日々よ。愚かしいかな、未来を知らぬ若者よ!! おい、高校3年生の私! アンタのことよ~!
 そんな未来の私の声も届きようのなかった受験生の私は、なんとか勉強の世界から逃避できないものかともくろみ、もともと好きだった歴史の教科の中におもしろいロマンを探すという、勉強以外の超不純な目的でそのあたりの教科書を眺めていたものです。
「ふが~。日本史はまあまあ知ってることが多いからなぁ。思い切ってなんにも知らない世界史の方が妄想がふくらんでよさそうだにゃ~。」
 そして、私はついにその国家の存在を知ってしまったのです。
「……ん? なにこれ。『神聖ローマ帝国』? なんかむやみにカッコいい国名だな。自分で神聖だって言っちゃってるよ、この国! え、これローマ帝国となんか関係あんの? だって、地図に書いてある国土がローマ帝国とぜんぜん違うじゃん! え、え、1806年に神聖ローマ帝国は『解散』!? 帝国が解散? そんなやんわりした終わり方なの? 帝国って、もっとデススターが爆発したりしてド派手な終わり方するんじゃないの!? 解散って、バンドじゃないんだから。」

 やられました。私は中世のヨーロッパ地図から登場しだしたこの「神聖ローマ帝国」というやたらイカした名前の国家に夢中になってしまったのです。果たしていかなる国家なのか?

 ところで、みなさんもここまでこの文章をお読みになってうすうすお気づきになっておられるかと思いますが、私そうだいはヨーロッパ人ではありません。極東の国に住むアジア人です。そんな私が神聖ローマ帝国を語るということに、私はいささかひるんでしまいます。
 「何を大げさな」と思われる方もあるいはいらっしゃるかもしれませんが、神聖ローマ帝国というか、その中にある「帝国」という言葉とヨーロッパ全体の歴史とは表裏一体、切っても切れない関係にあるらしいのです。もちろん、国がどうとかなんて関係のない民衆の生活視点から見た歴史も無視できないのですが、ヨーロッパ中の偉い人たちが、実に395年のローマ帝国東西分裂から20世紀に至るまでという1500年にわたる長い時間をかけてしのぎをけずった「帝国の看板」争奪戦も、現在のヨーロッパを考える上で大変に重要な話になってくるんですね!

1回戦
 カール大帝の西ローマ帝国(フランク王国)VSビザンティン帝国
2回戦
 神聖ローマ帝国VSビザンティン帝国
3回戦
 神聖ローマ帝国VSローマ教皇
4回戦
 神聖ローマ帝国VSナポレオン1世のフランス帝国
5回戦
 オーストリア帝国VSドイツ帝国VSロシア帝国

 ずいぶんあらいまとめ方ですが、こんな感じの闘いがあったのです。う~ん、燃える!
 今回は、具体的な神聖ローマ帝国の愛すべき魅力の説明まではいきませんが、なるべく早いうちに紹介したい! ホントにステキなんですから。ということで、今回は神聖ローマ帝国のすばらしさを一言で見事に表現してくださった、18世紀のフランスの思想家ヴォルテールの言葉をひいて、むすびとしたいと思います。

「神聖でもなければローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない。」ヴォルテール


 
 
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金田一先生、そろそろ事件です

2010年09月06日 08時57分33秒 | ミステリーまわり
 おはようございます、そうだいです。今朝も、私の部屋の窓からは青空が見え、やる気まんまんの日光がさし込んできております……それでも、ただよう雲の大きさが日々確実に大きくなってきているのが、秋のおとずれを告げているような、そう信じたいだけのような。
 先日、推理小説が好きだと言ったことがありましたが、私にとって読んだ量・ハマッてしまった深さともに最大規模となった小説家は、横溝正史(よこみぞ せいし)でした。横溝正史と言えばもちろん、「名探偵・金田一耕助シリーズ」ですよね!
 私が横溝正史の小説を読むきっかけとなったのは、横溝作品のうちかなり多くの作品が発行されていた角川文庫との出会いからでした。
 確か中学生1年生くらいだったと思うのですが、まずその時に私は星新一のショートショートにゾッコンになっており、本屋に通っては、さわやかな明るいグリーンの背表紙の文庫本を探しておりました。今から15~20年ほど前の当時は、主な星作品を出版していた新潮文庫と角川文庫はともに背表紙の色が同じ明るいグリーンだったのです。作家さんごとに背表紙の色が変えられていた出版社が現在よりも多かったため、私は毎回、本屋の色とりどりの本棚を見てはわくわくしていました。
 さてそんなある日、いつものように本屋で星文庫を探す私だったのですが、
「あ、あったあった。さーて今日は角川文庫にするか。買ってないのはどれだったかな……ん?」
 なぜか、作家の名前順で並んでいた本棚のうち、星新一の「ほ」の棚からもうちょっと進んだ、私からみて右側にいった方角から、圧倒的な「黒」のオーラが漂ってきたのです。
「ゴゴゴゴゴゴ……(少年マンガの効果音に出てくるあんな感じです)」
「ひえ~、こ、怖い! 黒い! しかも、黒い背表紙にグリーンのタイトル文字!? 同じグリーンなのに星新一とは大違いだ。不気味でしかない! この人、冊数も多ければ一冊一冊もページ数が多そうでぶっといなぁ。こんなデザインの文庫本を発行する、あなた様のお名前は!?」
 それが、横溝正史の角川文庫本シリーズだったのです。衝撃的な出逢いでした。またその黒地に緑で書かれたタイトルがおどろおどろしいのなんのって。
『八つ墓村』、『犬神家の一族』、『三つ首塔』、『病院坂の首縊り(くびくくり)の家』、『獄門島』……
 私は圧倒されました。いちいちこえぇ!『八つ墓村』って。もっと他にアピールするポイントはなかったのか、その村?
 まぁビックラこきましたね。さっそく、少々刺激は強そうですが、星新一の文庫本を全部呼んだら次に読むのは絶対ヨコミゾだ!と心に固く誓うそうだい少年なのでした。
 そして、しばらくしてから読み始めた横溝作品の数々は……まさにめくるめく魅惑の読書体験を私にもたらしてくれました。推理小説としての完成度もさることながら、文章の雰囲気が独特の魅力をはなっているんです。くせがあるのに読みやすい! 大衆小説の神髄と言ったらよいのでしょうか。
 横溝作品といえば、いやおうなしに映画やTVなどで映像化されたイメージが強いかと思いますが、原作はちょっと違うような気がします。名探偵・金田一耕助は映像化されたイメージよりももっと人間くさくダーティな感じがするし、古き良き田舎の事件だけでなく、戦後の復興直後の東京を舞台にした作品も多いです。なによりも作者が、作品の雰囲気はちゃんと創り出すとして、それ以上にトリックの整合性や提示された謎の論理的な解決の方に力を入れていたことがわかる、モダンともいえる原作の構成は、血みどろな怨念の連鎖といった映像作品とは違った印象があります。
 原作と映像、どちらがいいのかは私も悩ましいところなんですが、映像の大胆なアレンジを生前に寛大に許容し、はては映画などに自ら出演して金田一耕助と会話したりしていた横溝正史のふところの大きさは素晴らしいですね。
 横溝作品の個々、また映像化作品については、またの機会にということで。
 ちなみに、私が一番好きな金田一耕助俳優は、鹿賀丈史さんでーす!

 
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