大学入学共通テストに臨む受験生(1月、東京都文京区の東京大学)
「理系か文系かを、そもそも分けること自体がおかしい」。こう語るのは生物学者で起業家でもある高橋祥子氏だ。
政府の教育未来創造会議やこども未来戦略会議の有識者メンバーを務め、ことあるごとに「文理分け」はイノベーションを求める今の社会になじまないと「不要論」を唱えてきた。
11年前、東京大学大学院時代に遺伝子解析サービス会社を立ち上げた。以降、初対面の人と名刺交換する際に「謝罪」されることがままあるという。「わたしは文系人間なので(高橋さんの)話がわからないかもしれません……」といった具合だ。
国づくりの人材育成を最優先
ロボットにしろ人工知能(AI)にしろ、ゲノムにしろ、先端技術が私たちの生活に深く入り込むようになったのは21世紀に入ってからといえる。
「学生時代の専攻が『文系』というだけで、その後、先端技術を学ぶ意欲をそがれた大人がたくさんいる。経営にも政治にも行政にも科学や技術は必須な時代なのに、文と理を分ける日本の教育環境がテクノロジー社会に大きな影を落としている」と高橋氏は力説する。至極もっともな主張である。
日本社会には長い間、時間をかけてすり込まれたバイアスのようなものがある。大学に入るのにあたり「数学や国語の好き嫌い、得手不得手」を尺度に選んだ「理系か文系か」。
それが「理系は論理的で文系は情緒的」といった、その人の人間性をも支配する非科学的な慣習に化け、人生に染みついていくのもしかりだろう。
「理系」や「文系」に該当する英語の表記は存在しない。もちろん、科学の世界には自然科学や人文科学、社会科学といった分類はある。
しかし「理系か文系か」のように学問を大ざっぱに2つに切り分ける思考法は、明治維新以降、近代国家へまい進する過程で日本独自に培われてきたといえる。
原子から素粒子、細胞から分子、遺伝子へと、自然界にある現象はどんどん細分化して観察すれば、隠れた普遍の法則がみえてくる。近代哲学の父とされるデカルトが提唱した「要素還元主義」に立脚し科学は発展した。
そんな学問を西欧社会から導き入れるにあたって、殖産興業や富国強兵を掲げる日本は、国づくりに直結する人材育成を最優先し、実学に重きをおいた。法学部は官吏を急ごしらえするため、そして世界に先駆けてつくった工学部は優れた技術者を輩出するためであった。文系と理系の区分はある意味、必然だった。
戦後深まっていく「すみ分け」
1918年には第2次高等学校令に「高等学校高等科ヲ分チテ文科及理科トス」との文言が入り、文と理の線引きが教育の現場に浸透していくことになる。
そして第2次大戦後、文と理の「すみ分け」は深まっていく。高校や大学へ進学する子どもの数が急増、欧米社会に追いつき、追い越せと高度経済成長下で「型にはめた」人材の育成に励んだ影響が大きい。偏差値への崇拝といったいびつな受験競争も手伝い、入試に不要な勉強は効率よく捨てるのに文理分けは好都合で、やがて「低年齢化」していく。
科学史家で5年前「文系と理系はなぜ分かれたのか」を著した隠岐さや香・東京大教授は、中学受験の塾において文系向きか理系向きかを指導するケースを知らされ、驚いたという。「子どものころから理系か文系かというアイデンティティーに縛られるのはよくない」
1959年、英物理学者で著述家のC・P・スノーが「二つの文化と科学革命」と題して講演した。学問を営む上での文理の分断に警鐘をならし、学術界で論争を巻き起こした。
あれから65年、次代を担う高度人材を育む場で、なかなか崩れない、そして崩そうとしない「文理の壁」がそびえる。
日本の科学力の進展を阻み、イノベーションの芽をつぶしているように思う。学問を究める博士をどこかないがしろにし、活躍の場を奪う「科学を軽んじる社会」とも通底しているようにみえる。
知の力を混ぜ合わせる必要
科学が立ち向かう領域は今や「自然」か「人間」かと、単純に二分できる時代ではない。
「人新世」という言葉が注目されるように、温暖化問題は20世紀以降の人口爆発と経済成長という人間の営みが地球に多大な負荷をかけた結果生じたものだ。新型コロナウイルスの感染拡大も、病原体そのものよりも人の行動が大きな影響を及ぼした。
課題解決、リスク回避には「自然をみる理系、人間や社会をみる文系」の知の力をうまく混ぜ合わせる必要がある。男か女か、日本人か外国人か。
ダイバーシティー(多様性)という名の下、世間は、人と人とを隔てる無意味な垣根をできるだけ取り払う方向へ動いている。ならば時代遅れの「文と理」という曖昧模糊(もこ)とした区分も早期に解消すべきだろう。
変革の兆しはある。例えば、国立大学で率先して入試改革に取り組んできた筑波大学。「文系か理系かということではない、その人の学問を希求する力や思いをきちんと判定できるようにしないといけない」と、永田恭介学長は改革の意義を語る。
明日の社会を支える高度な人材を育むには、学問を教える仕組みを環境や時代の変化にあわせて柔軟に変えていかねばなるまい。文理融合や文理横断はもちろん結構だが、その前に必要なのは「文理分け」を廃する教育改革である。
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日経記事 2024.02.19より引用
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良いことを言っている。 しかしこの分類で教育を受けて来た人間は、李家の人間は別に文系のことも理解できる。 文系で育つと物理数学・医学・化学・生物の基礎がないから、全く理解が出来ないというのが現状でしょう。
今後の教育を変えていく必要があると思う。