Anna Louise Strong
アンナ・ルイーズ・ストロング ( 1885年– 1970年)
アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト-1 生い立ち
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よほどモスクワの生活が気に入ったようで、一九四〇年までモスクワをベースにして暮らした。毎年一月から四月には、共産主義思想礼賛の講演に帰国した。 スターリンにとっては重宝なジャーナリスト(第五列)だった。
彼女は、『ニューヨークタイムズ』モスクワ支局長ウォルター・デュランティに匹敵するスターリンの良き広告塔だった。
彼らの語るバラ色のソビエト社会を信じ、ソビエトを国家承認(一九三三年)した大統領がフランクリン・ルーズベルトであった。 モスクワに駐在する所謂『ジャーナリスト』の報告が実態とかけ離れた歪んだものであることは、当時国務省の若手外交官であったジョージ・ケナンが苦々しく警告していたが、ルーズベルトは自分の好みで構築した民間人人脈を重用した。
スターリンの良き広告塔となったアンナが中国共産党との接触を求めて訪中したのは一九二五年のことであった。 スメドレーのように中国を活動拠点とはしなかったが、アンナはモスクワを拠点として訪中を繰り返し、中国共産党幹部と接触した。 同党に気に入られた彼女は、毛沢東や周恩来のお気に入りになった。
毛沢東とのインタビューが報じられたのは、戦後の一九四六年八月のことである。 蒋介石を敵視し、中国に共産党政権が成立することを望む彼女の願望がよく表れた内容である。 以下がその抜粋である。
アンナ : 仮に米国が蒋介石への支援を止めた場合、蒋介石はどれだけ戦いを継続できるでしょう
か。
毛沢東 : 一年以上は可能だ。
アンナ : もし米国が蒋介石に支援の中止を伝えたらどうなるでしょうか。
毛沢東 : 米政府からそんな動きは出ていないし、蒋介石も戦いを止める気はない。
アンナ : 中国共産党はなぜ戦い続けるのかと我が国民に聞かれたら、私はどう答えたらいいでしょ
うか。
毛沢東 : 蒋介石は国民を虐殺していると伝えなさい。生きるためには抵抗せざるを得ない。 貴女
の国の人々も理解できるでしょう。
アンナ : 我が国がソビエトとの闘いを始める可能性については如何ですか。
毛沢東 : 確かに米帝国主義は対ソ戦争を考えているようだ。 反ソもプロパガンダが行われている
のはそのためだ。 このプロパガンダには、米国の反動勢力が抱えている自己矛盾を糊塗
する狙いもある。 米国民と反動勢力との間に、そして米帝国主義者と他の資本主義国家
の間には溝がある。 ソビエトは世界平和の守り神であり、米国民の反動勢力による世界
支配の防波堤になっている。
アンナ : もし米国が、アイスランド、沖縄あるいは中国内にある基地からソビエトに核攻撃を仕掛
けたらどうなるでしょうか。
毛沢東 : 核爆弾は、米国反動勢力が人々を恐怖させるだけに使う『張子の虎(paper tigers)』だ。
更に言えば蒋介石も、彼を支援する反動勢力も『張子の虎』だ。
アンナの毛沢東インタビューは話題となった。核兵器を『張子の虎』と呼び、核戦争を怖れない毛沢東の態度に世界は驚いた。 米国内の蔣介石支援勢力屁の牽制となる見事なインタビューをこなす彼女に、スターリンはほくそ笑んだ。
延安の洞窟での子のインタビューの『成功』以来、彼女には『Paper Tiger Lady』のニックネームがついた。 彼女は『億万人の中国:一九二七年から一九三五年の革命的闘争(China's Million : the revolutionary struggles from 1927 to 1935)』を一九三五年にニューヨークの出版社から上梓していた。 彼女と毛沢東の濃密な関係は、彼女の死(一九七〇年)まで続くことになる。
アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト-3 周恩来との蜜月
に続く