ナポレオン戦争以後の一世紀間にヨーロッパからアメリカに移住した者のうちの四分の一は『イギリス』からの移住者だった。このうち、ほぼ半数のアイルランド人は別に扱う必要があるが、十九世紀においてもイギリスはアメリカ国民の形成に大きく寄与し続けるのである。
イギリスからの移民を特徴づけたのは、工業的職業の者が多かったことである。特に不況期の失業は移民を促した。 ジョン・フォード監督の名作『わが谷は緑なりき』は、美しい自然と暑い人情のウェールズの炭鉱町で、昔かたぎの父親に従う一家が、不況とストライキの中で引き裂かれていくさまを描いたものであある。
多くのイギリス系移民がアメリの農場に定住した。 一九八〇年、合衆国におけるイングランド生まれの二〇%は農業に従事していた。
またイギリスの熟練工は、アメリカ産業で引く手あまただった。 文化的にもイギリス系移民は恵まれていた。言語も宗教的伝統も同じだったから、彼らは『見えない移民』と呼ばれて、特有のエスニックな文化をあまり発展させず、急速にアメリカ社会に吸収されていった。
しかし、アメリカの工業が急成長を遂げた十九世紀末になると、彼らの熟練はもう必要でなくなり、経営者はイギリス系労働者を敬遠するようになった。
彼らは高賃金に固執し、また労働運動にも熱心だったし、故国の伝統的な技能に固執しようとしたからである。
こうして、イギリス系労働者はアイルランド系や南・東ヨーロッパからやってくる『新移民』に、その職を譲り渡すようになるのである。