「聖なる怪物たち」、いきなり巻きで話が進みましたね
しかし代理母だと思っていた女性が、夫の不倫相手→単なるカッコウだったというのは驚きでした
圭子が可哀相だな・・・というのが、自分でも不思議ですが2,3日頭から離れなかったです
自分の子供だと信じている圭子。そうではないと知ったら・・・と思うと、最終回どういう行動に出るのか。
中谷美紀さんがまた釘付けの演技ようやく主人公の若様も困り顔から真実を追求してどや顔になってきましたね
若様の出生の秘密もありそうですが・・・「原作と違う結末」らしいので、どうなるか楽しみです
「最後から二番目の恋」、また千明と和平の掛け合いが楽しかったです
つくづく鎌倉の海っていいなあ・・・と。観光客が増えるのではないでしょうか?
フツーの、付き合い始めの恋人同士みたいな感じになってきた千明と真平ですが、万里子も千明に恋をしているようで
予告では「真平とアニメ声の女の子がやっちゃった」みたいなことを和平が言ってたんですが・・・どうなっちゃってるんでしょうか
最終回まで波乱がありそうですね
回転寿司のくだりは笑いつつもイタタタ・・・身につまされました~アラフォーとしては
仕事もばりばりやってきて、恋愛の楽しさも知っていて、いろいろなところに行っていろいろなものを見て、味わって、世界の広さも知っていて、自分の身の丈も知っているけど、世界にはもっと楽しいものや素晴らしいものがあるって分かっているから、そこそこにとどまれなくて。
そういう自分が身の程知らずだと、心のどこかで分かっているんだけど、それでも、まだ。
まだ「自分に合う手袋」をきょろきょろしながら捜している女子たち。
日本にたっくさんいると思う
ちなみに昨日朝9時に娘が「おばあちゃんに電話する」というので電話してみたら、義理妹に電話かわって
「今寝てたんだけど、りおちゃんからの電話でおばあちゃんに起こされたよ~」
という義理妹今年で40歳。
そうだよね~、休みの日くらい寝てるよね~、でも40になっていいよね~、と思う。
わたしもやりたかったわ、そういう生活。
朝ドラ「カーネーション」。
ヒロイン交代の最後の週。
女一人でミシン1台、3人の娘を育て上げたヒロイン・糸子。
力強く、勇気をもらえるヒロインであった
東京に出ないか、ここにいたら宝物がひとつひとつなくなっていくのを一人で見るだけだ、というほっしゃんに
「へたれは泣いてろ。うちはなにもなくさへん。ただ死んでくだけや。」
と勝ち誇った笑みを浮かべる糸子。
心の中のきらきらした思いでは、誰にも奪えないし消えない。
岸和田でしっかり根付いて生きていく。
店と子供3人を育てる糸子が、一度だけのロマンス。なんか救いであった。別れに泣けたその潔さ。
尾野真千子さんは「火の魚」や「名前をなくした女神」に出ていたのだけど、印象に残った女優さんでありながら、同一人物と分からなかった
まったく違う人になっている、大竹しのぶさんや上野樹里さんみたいな「カメレオン俳優」なのかも。
「カメレオン俳優」といえば、松山ケンイチさん。
先週観られなかった「平清盛」。
また清盛は大変なことをしでかす。それを実はマッチョ、陽炎の辻の色男、山本耕二さん演じる貴族が目を付ける。
なんかこの清盛、やたら「わーはっはっはっ!」と豪快に笑っているシーンが多い
「世の中をもっと良くしたい、仕組みを変えたい、正義の男」みたいな感じであるが、これが陰湿な「平家にあらずんば人にあらず」という権力者へ変貌していくのが見所であるにせよ、今の清盛は能天気すぎ・・・という印象
カメレオン俳優・松ケンの本領を発揮する前に、視聴者が飽きて離れてしまわないかと心配である
そこに超!細かい貴族・山本が出てきて・・・これは面白くなってきた
そしてアラタ帝の藤木直人・佐藤義清への執着・・・これでいやで義清が出家して西行になっちゃったのかなんて
本当の嫡子である弟は、平氏のために自分の恋をあきらめて、一族に有利な結婚をすることを決めたようである。この弟、若くして死んでしまう。気の毒
そして母・宗子は後年、この早世した息子に似ているからと源頼朝の助命を嘆願し・・・いずれ平氏滅亡に向かっていくのは皮肉、というか運命って・・・と思います。歴史って面白い
NHK「それからの海」。
少し観たのだけど、ちょっとつらくて観られなくなってしまった。
神戸の震災のことが題材となってテレビに現れたのが、たしかドラマ「きらきらひかる」であったと記憶している。
今調べてみたら、ドラマの放映が1998年。震災は1995年であったから3年後だった。
それはヒロインの先輩の妹の娘が、震災で亡くなっていた、という物語であった。
それを観ながら
「ああ、震災がこうやって取り入れられていく時期が来たのだな」
と感じた。震災に遭ったものとしては、なんか複雑な心境であった。
自分にはまだ終わっていない出来事なのに、もう過去のこととしてこうやってフィクションに取り入れられていくんだな、と。
まるで歴史の教科書に出てくる出来事のように。「1995年阪神淡路大震災が起こり、5千人以上が亡くなる」みたいな感じ。
こうして世間は忘れていくんだよね、なんて思ったものですが。
「それからの海」は、東北の被災者の人々が出演しているので、その声がそのまま届く。
少しだけ観たところの、「震災見学ツアー参加者に、津波に流されたけど助かった女性が体験を話す」というところ。
その女性は、もっと高台に上ろうとしたところ、杖をついたおばあさんが後ろにいて、手をつかんで尻餅をついたところ、波にのまれてしまった。
流されて、息が続かないと思ったところ、波がひいて助かった。
けれど
「でも、助けられなかった」
と悔やんでいる。自分さえ危なかったのに、悔やんでいる。
そしてその体験を、ツアーに来た人々に語っている。
そのたびにきっと何度も思い出す。話すことは癒しになる面もあるんだろうし、亡くなった方への供養になるのかもしれない。
そういう人が、今たくさんいて。まだ1年しかたってなくて。
そこにはさまれるドラマ部分。
娘が寝る時間もあったので、テレビを消してしまったのだけど。
あとで新聞のテレビ欄の「試写室」にこんな記事があった。
「家を失った被災者らが実際の体験を語り、その一言ひとことに言葉を失う。作り手の思いは伝わる。私たちはこの災害を過去にしてはならないのだ。ただ、あまりに過酷で、まだ生々しい現実に、フィクションを取り入れた作りには違和感を拭えない。二度見ても率直な感想だ。」
新聞記者ってすごいな、と思った。
わたしが感じたことそのままであった。
震災から1年たつ。
忘れないために、という気持ちは喚起された。またボランティア始めよう。