晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

山本一力 『いすゞ鳴る』

2012-08-08 | 日本人作家 や
この小説は、山本一力の今まで読んだ作品とはちょっと違って、ふたつの
舞台を織り交ぜてあり、まあ、とはいっても例えば「日本橋」と「深川」の
ふたつの舞台が出てくる作品もありましたが、『いすゞ鳴る』は、江戸と土佐
という遠い遠い距離です。

さて、どういったことで江戸と土佐がつながってくるのか、というのは物語の
核心なのですが、一言でいうと「お伊勢参り」です。

土佐の鯨漁師の男たち、そして江戸の深川に住む両替商の主人やその他住人たち、
これらがお伊勢参りに行くまでの話と、現地での話となっていて、それこそ「弥次
喜多」のような道中での話は軽くしか出てきません。

ところで、このお伊勢参りに欠かせないのが「御師」と呼ばれる、ツアコンといい
ますか、この御師の先導で旅に出ることになっていて、御師になれるのは、地元の
尊敬をあつめている人格者で、知識、博識、見識もひろく、また、夢見で予言なんか
もできちゃったりします。

この”予言”がキーワードで、土佐の鯨漁師を率いる御師は「お伊勢参りで出会う、
江戸の子どもは、いずれ土佐に来る」、そして江戸の御師はというと、裏店に住む
ごく平凡な家族のひとり息子を、自分の後継者だと予言し、旅に同行させます。

といって、この少年、名前を朝太というのですが、彼が主人公かというとそうでは
なく、話の主軸は、土佐の鯨漁師の歴史や暮らしぶり、江戸深川の両替商、伊勢屋
の歴史や深川界隈に住む住人たちの暮らしぶりとなっています。

土佐藩のなりたちは、藩主の山内家の初代、「功名が辻」でおなじみの山内一豊が
関ヶ原で豊臣方に味方したということで外様となり、江戸幕府が開かれてから、御城
築城の資金や材料などを出させられたり、世間では「土佐いじめ」といわれるほど、
ようは幕府は土佐藩の謀反を恐れ疑っていました。

そこで、幕府から土佐に派遣される役人には、ありとあらゆる接待をして、謀反の
疑いなしのお墨付きをいただくことになります。
その接待の中でも特に喜ばれたのが、鯨の肉。このおかげで、本来は造ることが御法度
とされていた高速船も鯨の漁のためなら、ということでお目こぼしされることに。

安政二(1855)年に江戸で起きた大地震、のちに「安政の大地震」と呼ばれる震災
で江戸ではたいへんな被害となり、その翌年、地震の影響なのか、正月が明けても土佐湾
に鯨がまったく姿を見せなくなり・・・

一方、江戸の深川にある両替商の大店、伊勢屋は、代々がしっかりとした商いを信条と
してきて人々からの信頼も厚く、安政の大地震の前年、主人の勘兵衛は当主を息子に譲り
ます。
そこで、隠居用の住まいとして離れを普請してもらうことに。完成してすぐに地震があり、
棟梁は震災の犠牲になりましたが、離れはびくともしませんでした。
そして、棟梁の息子のために、庭に高い柱を立て、鯉のぼりをあげ、住民に無料で柏餅を
配ります。
そんな勘兵衛はお伊勢参りに行くことになり、御師から「伊勢では土佐からの客たちと相宿
になるであろう」との”予言”を耳にします。
地震でも壊れなかったのはもちろん棟梁の腕によるものですが、土佐の木材を使ったことが
良かったということで、もし土佐の人たちと会ったらぜひその件を話そうとします。

さて、それとは別に、大地震を”予言”していた裏店の住人がいて、周りの住人はまったく
信じません。しかし、その女性のいうことを信じたのが先に述べた朝太でした・・・

文庫で500ページと、やや長めの話なのですが、正直、話を拡げたりして、もっと長くして
もよかったのではないかと思いました。それくらいの軽い物足りなさを感じてしまうくらい
物語に入り込んでしまいます。まあそのくらいの按配がいいんでしょうね。

コメント
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