前回の投稿で「もっと現代や海外の小説を読まねば」
と書いたにもかかわらず、もう時代歴史小説に。
まあ投稿する順番はさておいて、近いうちに現代や
海外の小説を投稿する予定、ではあります。
そんな与太話はさておいて『山桜記』ですが、時代は
戦国時代後期から江戸初期、歴史の教科書でいうと
当時の主役は武士つまり男。この作品は「武将」の
近くにいた奥さんや娘ら「女性」を描いた短編集。
「汐の恋文」は、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした「文禄の役」
で、秀吉が九州肥前に陣を構えていたところに、家臣が
一通の書状を持ってきて、秀吉に「是非お読み下さい」
と言ってきます。
その書とは、朝鮮半島の戦地にいる竜造寺政家の家臣、
瀬川采女に宛てた采女の妻・菊子の手紙で、船が難破
して積み荷が海に流されて日本に戻ってきてしまった
のです。で、それを読んだ秀吉の家臣が「これほどまで
に夫を慕う妻女がいるのでしょうか」と感動したので
秀吉が読むと秀吉も感動して「この奥方に会ってみたい」
と言い出し・・・
「氷雨降る」は、京の公家の娘、洗礼名ジュスタは、キリ
シタン大名小西行長の紹介で、有馬晴信と結婚をします。
晴信もキリシタンで領地は島原半島。
関ヶ原の合戦で、小西行長は西軍につき、晴信も行長の
応援で戦地に向かいましたが、晴信は途中で引き返します。
結果、東軍の勝利で晴信は領地は没収されずに済んだの
ですが、行長は捕えられて処刑され、ジュスタは夫の行動
に不信感を抱き・・・
「花の陰」は、関ヶ原の戦いの数か月前、細川忠興の妻、
細川ガラシャは、石田三成が人質にとろうとしたのを拒み
大坂屋敷内で命を絶ちます。が、息子の忠隆の妻、千代は
実家である前田家の京屋敷にいます。世間ではガラシャは
(義死)と讃えられ、千代は(義母を見捨てて逃げた)と
誹りを受けます。忠興は息子と千代の離縁を命じますが、
忠隆は京にいる千代と文通をしていて・・・
「ぎんぎんじょ」は、関ヶ原の戦いの半年ほど前、九州、
肥前の武将鍋島直茂の母、慶誾尼(けいぎんに)が九十三
歳でなくなります。直茂の妻、彦鶴は義母の最期を看取り
ます。すると慶誾尼の侍女が「私が死んだら彦鶴に渡すよ
うに」と書状を持ってきます。そこには「ぎんぎんじょ也」
と書かれており、それを見た彦鶴は涙を浮かべ・・・
「くのないように」は、戦国武将、加藤清正に女の子が
生まれます。「八十(やそ)」と名付けられ、のちに八十
は徳川家康の十男で駿府城主(当時)の頼宜に嫁ぎます。
ところが八十は徳川家に嫁ぐと決まっても、ある疑念が頭
から離れません。それは八十がまだ小さい頃、父の清正は
家康と豊臣秀頼との会見を実現させます。そのあとに清正
は急逝します。当時、世間では家康が清正を毒殺したとか。
しかし八十の心配は杞憂で頼宜はとても優しい夫。
ところが八十が輿入れの荷を開けると、中に父愛用の長槍
が入っているのを見つけます。それを見た頼宜はかの有名
な加藤清正公の槍を見て目を輝かせ、槍を持って振り回し
ていると、それを見た老家臣が顔を真っ赤にして怒り・・・
「牡丹咲くころ」は、柳川藩主、立花鑑虎は、牡丹の花を
毎年、隠居している父の忠茂と母の貞照に送っています。
貞照は仙台藩主、伊達忠宗の娘で鍋姫と呼ばれ、時の将軍
徳川家光のご意向で鍋姫は忠茂に嫁ぎます。それからのち、
鍋姫の実家の伊達家では御家騒動が勃発し、伊達家の後見
人でもある忠茂の話を聞くと、鍋姫にとって懐かしい名前
を耳にします。その名は「原田甲斐」・・・。
「天草の賦」は、寛永十四(1637)年、九州、島原と
天草の農民や浪人がまだ十六歳の天草四郎を大将に蜂起
した、いわゆる「島原の乱」が起きます。
はじめこそ天草四郎側が優勢でしたが幕府軍も総攻撃に
出ます。そのさい、筑前の黒田藩主、忠之も駆けつけま
す。忠之は「五年前の汚名返上」と言ったのですが、五
年前、のちに「黒田騒動」と呼ばれる御家騒動があり、
忠之の父の黒田長政は息子があまりにも頼りないので、
廃嫡をしようとしたのですが、家老の栗山大膳が思い
とどまらせたのです。が、忠之はそんな大膳を疎んじ、
仲良しの倉八十太夫を取り立てます。大膳と十太夫は
対立し、大膳は幕府に陳情、十太夫は出家します。
なんと、その十太夫が、忠之に会いに来ます。しかも、
女連れで・・・
葉室麟さんの作品を、まだ全部読んだわけではありま
せんが、読んで感じたのは、すごく「文体が優しい」
なあ、と。間接照明っぽい優しさ。
と書いたにもかかわらず、もう時代歴史小説に。
まあ投稿する順番はさておいて、近いうちに現代や
海外の小説を投稿する予定、ではあります。
そんな与太話はさておいて『山桜記』ですが、時代は
戦国時代後期から江戸初期、歴史の教科書でいうと
当時の主役は武士つまり男。この作品は「武将」の
近くにいた奥さんや娘ら「女性」を描いた短編集。
「汐の恋文」は、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした「文禄の役」
で、秀吉が九州肥前に陣を構えていたところに、家臣が
一通の書状を持ってきて、秀吉に「是非お読み下さい」
と言ってきます。
その書とは、朝鮮半島の戦地にいる竜造寺政家の家臣、
瀬川采女に宛てた采女の妻・菊子の手紙で、船が難破
して積み荷が海に流されて日本に戻ってきてしまった
のです。で、それを読んだ秀吉の家臣が「これほどまで
に夫を慕う妻女がいるのでしょうか」と感動したので
秀吉が読むと秀吉も感動して「この奥方に会ってみたい」
と言い出し・・・
「氷雨降る」は、京の公家の娘、洗礼名ジュスタは、キリ
シタン大名小西行長の紹介で、有馬晴信と結婚をします。
晴信もキリシタンで領地は島原半島。
関ヶ原の合戦で、小西行長は西軍につき、晴信も行長の
応援で戦地に向かいましたが、晴信は途中で引き返します。
結果、東軍の勝利で晴信は領地は没収されずに済んだの
ですが、行長は捕えられて処刑され、ジュスタは夫の行動
に不信感を抱き・・・
「花の陰」は、関ヶ原の戦いの数か月前、細川忠興の妻、
細川ガラシャは、石田三成が人質にとろうとしたのを拒み
大坂屋敷内で命を絶ちます。が、息子の忠隆の妻、千代は
実家である前田家の京屋敷にいます。世間ではガラシャは
(義死)と讃えられ、千代は(義母を見捨てて逃げた)と
誹りを受けます。忠興は息子と千代の離縁を命じますが、
忠隆は京にいる千代と文通をしていて・・・
「ぎんぎんじょ」は、関ヶ原の戦いの半年ほど前、九州、
肥前の武将鍋島直茂の母、慶誾尼(けいぎんに)が九十三
歳でなくなります。直茂の妻、彦鶴は義母の最期を看取り
ます。すると慶誾尼の侍女が「私が死んだら彦鶴に渡すよ
うに」と書状を持ってきます。そこには「ぎんぎんじょ也」
と書かれており、それを見た彦鶴は涙を浮かべ・・・
「くのないように」は、戦国武将、加藤清正に女の子が
生まれます。「八十(やそ)」と名付けられ、のちに八十
は徳川家康の十男で駿府城主(当時)の頼宜に嫁ぎます。
ところが八十は徳川家に嫁ぐと決まっても、ある疑念が頭
から離れません。それは八十がまだ小さい頃、父の清正は
家康と豊臣秀頼との会見を実現させます。そのあとに清正
は急逝します。当時、世間では家康が清正を毒殺したとか。
しかし八十の心配は杞憂で頼宜はとても優しい夫。
ところが八十が輿入れの荷を開けると、中に父愛用の長槍
が入っているのを見つけます。それを見た頼宜はかの有名
な加藤清正公の槍を見て目を輝かせ、槍を持って振り回し
ていると、それを見た老家臣が顔を真っ赤にして怒り・・・
「牡丹咲くころ」は、柳川藩主、立花鑑虎は、牡丹の花を
毎年、隠居している父の忠茂と母の貞照に送っています。
貞照は仙台藩主、伊達忠宗の娘で鍋姫と呼ばれ、時の将軍
徳川家光のご意向で鍋姫は忠茂に嫁ぎます。それからのち、
鍋姫の実家の伊達家では御家騒動が勃発し、伊達家の後見
人でもある忠茂の話を聞くと、鍋姫にとって懐かしい名前
を耳にします。その名は「原田甲斐」・・・。
「天草の賦」は、寛永十四(1637)年、九州、島原と
天草の農民や浪人がまだ十六歳の天草四郎を大将に蜂起
した、いわゆる「島原の乱」が起きます。
はじめこそ天草四郎側が優勢でしたが幕府軍も総攻撃に
出ます。そのさい、筑前の黒田藩主、忠之も駆けつけま
す。忠之は「五年前の汚名返上」と言ったのですが、五
年前、のちに「黒田騒動」と呼ばれる御家騒動があり、
忠之の父の黒田長政は息子があまりにも頼りないので、
廃嫡をしようとしたのですが、家老の栗山大膳が思い
とどまらせたのです。が、忠之はそんな大膳を疎んじ、
仲良しの倉八十太夫を取り立てます。大膳と十太夫は
対立し、大膳は幕府に陳情、十太夫は出家します。
なんと、その十太夫が、忠之に会いに来ます。しかも、
女連れで・・・
葉室麟さんの作品を、まだ全部読んだわけではありま
せんが、読んで感じたのは、すごく「文体が優しい」
なあ、と。間接照明っぽい優しさ。
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