綺麗な花は心を癒すもの。
でも、花を愛でる人のマナーがなっていないと余り癒されない結果になる。
チューリップの首切り事件がそうだ。
悲しむ人が沢山居るのに、何であんな酷い事が出来るのだろう。
憂さ晴らしにあんな事をするのだから、花を見て美しいと思わないのだろう。
医者が言っていたが、「花を見て美しいと思えるうちは鬱ではない」らしい。
では、花を美しいと思わなかったからあんな事件を起こしたのか?
そんな事を言っていたら、
病院ばかり犯罪者で一杯になって刑務所はいらなくなるのだ。
でも、私が一番呆れるのは活ける花の作法やしきたりにこだわり過ぎて
肝心の花の命と美しさを見ていない人だ。
友人の職場には、自分が持ってきた花でもないのに
活けるのを手伝い、まるで自分が持ってきたかのように
上司に見える所に飾りに行く人が居るらしい。
しかも、自分のアレンジメントに合わないと言っては中の花を捨てるのだ。
人(友人)が持って来た花を、である。
そういう人は、花が好きなんじゃなくて(自分の高い)鼻が好きなのだろう。
ムカムカする話になってしまったので、塗り替えるとしよう。
父の友人に、とても可愛い悪戯をする方がいる。
見た目はむさ苦しい(失礼)おじさんだが、
散歩の途中にある、他人の家や公園の花壇にこっそり花の種を蒔いてくるのだ。
勿論、その花壇の持ち主は知る由も無い。おじさんとの面識も無い。
季節が廻り、見知らぬ(蒔いた筈の無い)花が咲き、
ビックリした花壇の持ち主の顔(見れない事の方が多いが)と
咲いた花を見て喜ぶ………と言うものだ。
今流行りのガーデニングを豆にやっているお宅よりも、
本人曰く、ほったらかしの花壇をお持ちのお宅に限るらしい。
(花が咲いた時に判りにくいから)
現代のとぼけた「花咲かじいさん」かもしくは、
「ウロウロして違う種を着土させるタンポポの種」みたいな人だ。
面白い。
では、「花泥棒は罪にならぬ」なら「種蒔きは罪になる」のか…
ちょっと心配ではある。悪戯もホドホドにね、おじさん。
※ほったらかしの割りに、おじさんの蒔いた種は良く咲くらしい…不思議だ。
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