猫の怪談といえば、猫又という怪談話をご存知の方も多いと思う。
「山に猫又という化物が出没するという噂を聞いた僧侶が
夜遅く迄続いた連歌を終えた帰り道で一人、何かに襲われた。
これが噂に聞く猫又かと肝を潰して小川に逃げ込み悲鳴を上げた。
その声を聞いた近隣の住民が松明を持ち現れると、
そこにはびしょ濡れの僧侶が怯えていた。
しかし、実は僧侶の飼い犬が
暗いけれど飼い主とわかって飛びついただけだった…おしまい」
「化け猫」は良く懐いた飼い犬だったという、
フタを明ければなんとも落語のような滑稽なお話。
しかし、僧侶に噂を流した者が夜道を一人で帰る僧侶の後をつけ、
その先回りをして凶暴な犬を放ったのだとしたら、どうだろう。
お話の内容があっという間に、悪意とバイオレンスを孕んでくる。
その流言や噂が真実ならばまだしも、
世間話の多くは「でっち上げ」だったりして始末が悪い。
「伝言ゲーム」がいい例で、誰もが正確に伝えたつもりでも
情報は歪んで伝わるもの、そう自覚して噂話を聞く方がいい。
人の会話というのはそもそも万事に近い程、
「人の噂」と「人の批評」と「お節介な忠告」というデータもある。
建設的な方向へ向かない話は所詮、ムダ話なのかも知れない。
もしその中に「悪意」のある嘘が混じっていたら…
僧侶は小川でびしょ濡れになるだけでは済まない。
事態をややこしくする為に、もう一人登場人物を増やすとしよう。
僧侶に嘘の噂を伝えて狂犬を放った人物の行動の一部始終を
僧侶本人に伝えに来た第三者がいたとすればどうだろう。
何だか、物語がチープなミステリー小説みたいになってきたが
倫理の熟さない世の中や物語の中には、この手の人物が普通に存在する。
味方に思えた第三者が実は主犯で、猫又の噂と狂犬のくだりを仕込んだのは
その第三者だった…となると、な~んて無粋な話だろう。
もうここまで発展させると、僧侶の職業意識の低さや
そこまで嫌われる僧侶の人格や行動にも
焦点を当ててみたくもなるが、話がブレまくって収集がつかない。
話を猫に戻すが、出会ってから結構な時間を経ているにも関わらず
生粋の野良猫『白石さん』は一向に懐いてくれない。
きっと子猫の頃から「人間には気を付けろ」と
しっかりと母猫に教え込まれたからだろう。
我々人間は、嘘を見破れない夜道で冷静な判断力を要求される。
忍び寄る悪意の「猫又」と、自身の心に住まう「猫又」の
両者の正体をしっかりと見極めず、
この世の中を歩くのは実は怪談よりも怖い事かも知れない。
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