天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

ある失敗の背景

2012-01-21 14:34:33 | Weblog
今日はもう1月21日なんですね!

年が明けてから、時間経過のスピードの体感感覚がさらに
速くなったようです。

もう、目が回りそう。

仕事のほうも、冬季の集中講義があるので、その対応でバ
タバタし通しでした。

授業の準備にあたって、うっかりミスがくれぐれもないように
注意していたつもりだったのですが……

そこは粗忽もののロージー、ちょっと困ったミスをやらかして
しまいましたよ。

それは、教材の置き忘れ。

開講前に、教材をコピーする必要があって、地元の駅前に
ある本屋さんのコピー機でコピーをしたのですが……

その教材の本を、そのままコピー機のところに置いてきて
しまったのです。

帰宅後、夕方の5時過ぎにそのことに気づいて大ショック。

すぐに本屋さんへ問い合わせると、確かに忘れ物として保
管しているとのこと。

とりあえずホッとして、取りに行きましたけど……

行きは(なにぶん、田舎町なので)本数の少ないバスに何
とか飛び乗って、帰りはバスの時間まで1時間くらいあった
ので、タクシーで帰って来ました。

おかげで交通費を普段の倍以上使ってしまいました。

でも、最近は、お金が出て行くことに対して、以前のように
嫌な感情を持つことがなくなったんです。

まあ、自分に必要のない浪費はしたくないと思っています
が……

例えば月に1回くらいタクシーに乗ることになっても、運転
手さんがお金を稼ぐ手助けができるのだからと、かえって
ハッピーな気分になるくらいです。

そういうわけで、お金に関する思いはサラッと流れて行く
一方で、自分が今回した失敗にどんな意味があったのか
と気になりました。

私がコピーを取るために本屋さんへ行った時、一人のお
じいさんがそのコピー機を使っていたのですが、実はその
人が自分のコピー原稿(新聞記事の切り抜きでした)を忘
れて行こうとしたのです。

それを、順番待ちをしていた私が発見し、おじいさんは原
稿をちゃんと持ち帰ることができたのでした。

普通、こんな状況であれば、「人のふり見て、我がふり直
す」というように、全く同じ失敗はしないものでしょう。

それなのに……なぜ私はそれをやってしまったのか。

その理由を説明することなんかできないけれど、それは
きっと、存在するもののすべての源である一つの意識
(ワンネスとか、「空(くう)」とか呼ばれることもある)が、
同じ失敗を経験することを欲したためなのではないか。

そんなふうに、ふと思ったのでした。

そういうふうに考えると、自分はつくづくうっかり者だとか、
これからはミスをしないようにもっと気をつけなくちゃとか、
そんな人間としてのちっぽけな、つまらないことで気をも
むことなんて、どうでもよくなってきてしまうのです。

(もちろん、人間としては、失敗しないにこしたことはない
のは確かですが。)

こんなふうに、最近では、自分の身の回りに起こる諸々
のことについて、人間の視点にとどまらず、「存在の源」
の視点で見る習慣ができつつあります。

そうすると、およそ「人生の悩み」などというものは存在
しないという意識ができてきます。

なんだか、大それたことを言ってしまったかもしれないけ
れど……

とにかく、こんなふうに考えれば、自分のドジさ加減も何
もかも許せてしまいますよね。

だって、それは深遠な、「存在の源」の意志なんだもん。