さて、ここから、視点は今という瞬間の私に転換しま
す。
そして、前回までに書いたガン治療の体験を、その
視点で見つめなおしてみたいと思います。
その際の基本姿勢は、極力、「批判」しないこと。
そのわけは、宇宙では存在するものすべてが「ある
がまま」の状態を許され、受け容れられているから
です。
つまり、何事も、宇宙的な見方をすれば、「~でな
ければならない」ということは、一切ないのです。
それと同時に、あらゆる選択の自由が保証されて
いるともいえます。
それならば、ガン治療の過程で私がもし異なる選
択をしていたなら、どんなことが起きていたのか、
そう想像してみることは……
それは「批判」とは別のことでしょう。
そういう基本姿勢で、話を進めることにします。
まず、そもそも、ガン手術をしなくて済んだ道も
あったはずです。
すなわち、ガンと診断される9年前に、大腸ポリ
ープを内視鏡で切除した時、担当の医師から
受けたアドバイスを聞いて、きちんと定期検診
をしていれば……
開腹手術が必要なほど腫瘍が大きくなる前に、
内視鏡で切除できた可能性があるのです。
もしその選択をした場合は、痛みやもろもろの
苦痛をともなう開腹手術をせずにすみ、お腹に
傷をつけることもなかったでしょう。
寿命も、若干延びることになったかもしれませ
ん。
でも、その半面、手術を通して得た経験がすべ
て、なかったことになります。
その中にはいろいろなことが含まれますが、例
えば、お腹を切るってどんな感じがするかは、
実際に切ってみないと味わえません。
すすんで味わいたいと思う人はあまりいないと
思うけれど……
宇宙の根源である「ワンネス」の願望のリストに
は入っているはずです。
また、今でも交流が続いているリラさん、レオさ
んの二人と出会うことも、おそらくなかったでしょ
う。
さらに、ルネさんと知り合うこともなく、したがっ
て、手かざしによってエネルギー的に「完璧」
な状態の自分を体感することも、できなかった
はずです。
その二つのケースの他にも、選択肢は無数に
あって、もし例の下血がなかったら、ガンの発
見が遅れて、今ごろはこうして生きていなかっ
たかもしれません。
でも、もし死を迎えることになったとしても、そ
れは魂の移行であって、永遠の終りではない
と、私は信じています。
だから、それが「不幸」であると決めつけるこ
とはできません。
つまりは、どんな選択をして、どんな道をたど
ったとしても、宇宙的に見れば、どれがいい、
悪いということはないのです。
そういう前提の上で、今回の私がたどった道
を見つめてみると、あるいはこんなことがいえ
るかな、と自分としては思います。
今回のガン体験の中で、自分にとってとりわ
け重要な意味があると感じているのは、生命
エネルギーを実際に体で感じたことです。
文字の情報や、人から聞いた話と、実際に自
分の体で感じることは、全く別もので、その影
響力は比べようがありません。
もしあの時、もっと早くガンが見つかって内視
鏡で処置できてしまい、B病院に入院していな
ければ……
私はその機会、即ちエネルギーを自分の体で
感じる千載一遇の機会を逸していたかもしれ
ないのです。
その場合、こうして今、皆さんにブログを読ん
でいただくことも、なかったと思います。
もし、たった一人でも、このブログがあってよ
かったと思ってくださる方がいたとしたら、私
がガン手術を受けたことも、意味がちゃんと
あったわけですね。
だから、「何と言っても、健康がすべて」とは、
必ずしも言えないと思います。
ただ「健康」であること、それ自体に意味があ
るのではなく、そこから何が経験できるのか、
そのほうが重要です。
もちろん、今回の私の場合、ガンにならず健
康でいたとしたら、それはそれで、全く別の、
意味あることを体験したでしょう。
やっぱり、いい、悪いは、ないのです。
(もう少しだけ、続きます。)
す。
そして、前回までに書いたガン治療の体験を、その
視点で見つめなおしてみたいと思います。
その際の基本姿勢は、極力、「批判」しないこと。
そのわけは、宇宙では存在するものすべてが「ある
がまま」の状態を許され、受け容れられているから
です。
つまり、何事も、宇宙的な見方をすれば、「~でな
ければならない」ということは、一切ないのです。
それと同時に、あらゆる選択の自由が保証されて
いるともいえます。
それならば、ガン治療の過程で私がもし異なる選
択をしていたなら、どんなことが起きていたのか、
そう想像してみることは……
それは「批判」とは別のことでしょう。
そういう基本姿勢で、話を進めることにします。
まず、そもそも、ガン手術をしなくて済んだ道も
あったはずです。
すなわち、ガンと診断される9年前に、大腸ポリ
ープを内視鏡で切除した時、担当の医師から
受けたアドバイスを聞いて、きちんと定期検診
をしていれば……
開腹手術が必要なほど腫瘍が大きくなる前に、
内視鏡で切除できた可能性があるのです。
もしその選択をした場合は、痛みやもろもろの
苦痛をともなう開腹手術をせずにすみ、お腹に
傷をつけることもなかったでしょう。
寿命も、若干延びることになったかもしれませ
ん。
でも、その半面、手術を通して得た経験がすべ
て、なかったことになります。
その中にはいろいろなことが含まれますが、例
えば、お腹を切るってどんな感じがするかは、
実際に切ってみないと味わえません。
すすんで味わいたいと思う人はあまりいないと
思うけれど……
宇宙の根源である「ワンネス」の願望のリストに
は入っているはずです。
また、今でも交流が続いているリラさん、レオさ
んの二人と出会うことも、おそらくなかったでしょ
う。
さらに、ルネさんと知り合うこともなく、したがっ
て、手かざしによってエネルギー的に「完璧」
な状態の自分を体感することも、できなかった
はずです。
その二つのケースの他にも、選択肢は無数に
あって、もし例の下血がなかったら、ガンの発
見が遅れて、今ごろはこうして生きていなかっ
たかもしれません。
でも、もし死を迎えることになったとしても、そ
れは魂の移行であって、永遠の終りではない
と、私は信じています。
だから、それが「不幸」であると決めつけるこ
とはできません。
つまりは、どんな選択をして、どんな道をたど
ったとしても、宇宙的に見れば、どれがいい、
悪いということはないのです。
そういう前提の上で、今回の私がたどった道
を見つめてみると、あるいはこんなことがいえ
るかな、と自分としては思います。
今回のガン体験の中で、自分にとってとりわ
け重要な意味があると感じているのは、生命
エネルギーを実際に体で感じたことです。
文字の情報や、人から聞いた話と、実際に自
分の体で感じることは、全く別もので、その影
響力は比べようがありません。
もしあの時、もっと早くガンが見つかって内視
鏡で処置できてしまい、B病院に入院していな
ければ……
私はその機会、即ちエネルギーを自分の体で
感じる千載一遇の機会を逸していたかもしれ
ないのです。
その場合、こうして今、皆さんにブログを読ん
でいただくことも、なかったと思います。
もし、たった一人でも、このブログがあってよ
かったと思ってくださる方がいたとしたら、私
がガン手術を受けたことも、意味がちゃんと
あったわけですね。
だから、「何と言っても、健康がすべて」とは、
必ずしも言えないと思います。
ただ「健康」であること、それ自体に意味があ
るのではなく、そこから何が経験できるのか、
そのほうが重要です。
もちろん、今回の私の場合、ガンにならず健
康でいたとしたら、それはそれで、全く別の、
意味あることを体験したでしょう。
やっぱり、いい、悪いは、ないのです。
(もう少しだけ、続きます。)