天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

辞書を引く

2016-03-12 20:53:43 | Weblog
春休みも、もうそろそろ折り返し地点。

でもまだまだ、満喫すべき楽しみが残されています。

たとえば、就寝前の読書。

学期中は疲れすぎて手が出せない手強い本だって大丈夫。

今、読んでいるのは、ジュンパ・ラヒリという、インド系ア
メリカ人作家の『停電の夜に』という短編集。

邦訳もあるのですが、オリジナルにチャレンジしてみたくて、
つい英語版を買っちゃって。(写真の左側の本です。)

さすがに、アメリカの普通のオトナが楽しむためのものです
から、私、ロージーには易しくありません。

特に語彙が……インドからの移民の社会に特有のモノが様々
登場するので、見たことも聞いたこともない単語がしょっち
ゅう出てくるのです。

でも、そんな時はめげずに根気よく、辞書を引いています。

「辞書を引く」と言うからには……

ええ、そうです、紙の辞書をね。

もう○十年使っている、年季の入ったデイリーコンサイス。
(写真の、右の方です。)

長年の鍛錬のおかげで、辞書を引くのはかなり、速いです
よ。

つい数日前も、見たい単語が載ったページが何と一発で
出たんです。

すごいでしょ。

なんて自慢しても、近頃じゃああまり意味はないかなあ。

今や、学生にとっての辞書は即ち、スマホの機能の一つ
という存在と言ってしまっては言いすぎでしょうか?

紙の辞書を愛用している大学生なんて天然記念物級でし
ょうね、きっと。

ただ……スマホを手に入れて紙の辞書を手放した若者に
は、失ったものもあるかもしれませんよ。

たとえば、スマホのタッチ画面に触れることと、紙の辞書
のページを繰ること。

この二つの間に横たわる差に、思いを馳せてみてくださ
い。

スマホなら、平板な画面にタッチして文字を入力すれば、
あとは待つだけ。

一方、紙の辞書は、ターゲットを定めたら、その単語が
辞書のどの辺りにあるか、あたりをつけ、ひたすら指を
使ってページを繰らなければなりません。

あるときは大胆に進み、行き過ぎたら戻り、英語の辞書
ならアルファベットの並びを常に意識し......

指先に神経を集中して、紙が指に触れる感じから、その
枚数さえも目標に至るためのヒントにする……。
(紙が指に触れる感触を、三浦しをん作『舟を編む』では
「ぬめり感」と表現していましたっけ…。)

どうですか。

一つの精神活動として、また、身体的活動の面でも、後
者、即ち紙の辞書を引くことのほうが、はるかに厄介では
ないですか。

そう言いつつも、その厄介さをこよなく愛する者は頑とし
て、紙の辞書を手放そうとはしないでしょう。

それはそれでいいし……

スマホを自家薬籠中におさめた若者はそんな厄介さなど、
目のさめるほどの気前よさで手放してしまう。

その潔さも、いい。

(ただし紙の辞書は電気がなくても使えるんだぜ。)