平昌五輪が終わりましたね。
私はウインタースポーツを観るのが大好きで、しかもラッキ
ーなことに、日本語教師の仕事が春休みに入っていたので…
時差のない韓国での大会を、思う存分楽しむことができまし
た。
すでに記事に書いた、フィギュアスケートやカーリング、そ
の他にも、日本選手の活躍は随所に見られましたね。
日本選手に限らず、メダリストたち、また、自分が目指して
いたことが五輪の本番でできた選手たちの歓喜の表情に感動
を覚えました。
でも、今回の五輪で私の胸に一番響いたのは、「喪失感」を
受け止める選手たちの存在でした。
すなわち、自分が目指していたものに手が届かなかったと知
った瞬間、目指すものを手放さざるをえなくなった、その瞬
間の姿でした。
フィギュアスケートでいえば、女子シングルのメドベージェ
ワ選手。
ピカ一の表現力。右足のケガを抱えながら、跳んだジャンプ
はすべて加点が与えられる出来。それでも金メダルには届き
ませんでした。
キスアンドクライで涙を浮かべ、その得点を見つめていた彼
女。その時の心境はどんなだったか。
それは、インタビューする記者の立場なら、聞きたいところ
かもしれません。でも、答えなくてもいいと思うのです。簡
単に、言葉にはできないでしょう。
フィギュアに限らず、全ての競技で、さまざまな挑戦があり、
さまざまな「喪失感」が味わわれたはずです。
私個人が今回、特に印象に残ったのは、スノーボード女子の
スロープスタイル。
今回のコースは日によってかなりの強風が吹く場所にあるよ
うで、予選が悪天候で中止になり、全員が決勝を滑れるよう
になったのですが……
本来3本ずつ滑れるはずだったのが、人数が増えたため2本に
減らされてしまいました。
しかも、その決勝の日も、風が凄まじく……
突風にあおられるなどして転倒する選手が続出。
正確な数はわかりませんが、ざっと見たところ、半分か、そ
れを上回る程度のランで転倒が起きていました。
そして、一度転倒してしまうと、そのランは得点が伸びず、
メダル争いに絡むことはできなくなってしまうのです。
テレビで観ているこちら側も、思わず目をそむけたくなって
しまう痛恨の瞬間です。
この、4年に一度の大舞台に合わせてきついトレーニングも
積んできたでしょう。遠征費を稼ぐため仕事にも労力を割き、
好物のスイーツを我慢し、プライベートの時間を削り……
そうしてまで、目指してきたもの。
それが、ほんの一瞬の転倒でうしなわれてしまう。
なんて過酷な体験を、彼女たちはしているのだろう、そう思
いました。
でも、きっと……
彼女たちは、今回、三次元に生まれてくるにあたって、この
平昌五輪での体験を、予め組み込んできていたのではないで
しょうか。
「喪失感」とは、どんなものか。
それを味わい知るための、「大いなる源」の使者として。
私はウインタースポーツを観るのが大好きで、しかもラッキ
ーなことに、日本語教師の仕事が春休みに入っていたので…
時差のない韓国での大会を、思う存分楽しむことができまし
た。
すでに記事に書いた、フィギュアスケートやカーリング、そ
の他にも、日本選手の活躍は随所に見られましたね。
日本選手に限らず、メダリストたち、また、自分が目指して
いたことが五輪の本番でできた選手たちの歓喜の表情に感動
を覚えました。
でも、今回の五輪で私の胸に一番響いたのは、「喪失感」を
受け止める選手たちの存在でした。
すなわち、自分が目指していたものに手が届かなかったと知
った瞬間、目指すものを手放さざるをえなくなった、その瞬
間の姿でした。
フィギュアスケートでいえば、女子シングルのメドベージェ
ワ選手。
ピカ一の表現力。右足のケガを抱えながら、跳んだジャンプ
はすべて加点が与えられる出来。それでも金メダルには届き
ませんでした。
キスアンドクライで涙を浮かべ、その得点を見つめていた彼
女。その時の心境はどんなだったか。
それは、インタビューする記者の立場なら、聞きたいところ
かもしれません。でも、答えなくてもいいと思うのです。簡
単に、言葉にはできないでしょう。
フィギュアに限らず、全ての競技で、さまざまな挑戦があり、
さまざまな「喪失感」が味わわれたはずです。
私個人が今回、特に印象に残ったのは、スノーボード女子の
スロープスタイル。
今回のコースは日によってかなりの強風が吹く場所にあるよ
うで、予選が悪天候で中止になり、全員が決勝を滑れるよう
になったのですが……
本来3本ずつ滑れるはずだったのが、人数が増えたため2本に
減らされてしまいました。
しかも、その決勝の日も、風が凄まじく……
突風にあおられるなどして転倒する選手が続出。
正確な数はわかりませんが、ざっと見たところ、半分か、そ
れを上回る程度のランで転倒が起きていました。
そして、一度転倒してしまうと、そのランは得点が伸びず、
メダル争いに絡むことはできなくなってしまうのです。
テレビで観ているこちら側も、思わず目をそむけたくなって
しまう痛恨の瞬間です。
この、4年に一度の大舞台に合わせてきついトレーニングも
積んできたでしょう。遠征費を稼ぐため仕事にも労力を割き、
好物のスイーツを我慢し、プライベートの時間を削り……
そうしてまで、目指してきたもの。
それが、ほんの一瞬の転倒でうしなわれてしまう。
なんて過酷な体験を、彼女たちはしているのだろう、そう思
いました。
でも、きっと……
彼女たちは、今回、三次元に生まれてくるにあたって、この
平昌五輪での体験を、予め組み込んできていたのではないで
しょうか。
「喪失感」とは、どんなものか。
それを味わい知るための、「大いなる源」の使者として。
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