天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

俳句のなかの「2020年」

2021-03-13 18:46:22 | Weblog

新聞の俳句投稿欄を見ていたら、こんな句

が載っていました。

 

生みの母会う日なかりし年惜しむ

豊橋市、岡野寛十郎

(2021年1月10日、『中日新聞』「中日俳

壇」より)

 

この句の評として、次のようにありまし

た。

 

物心の付かぬうちに死別した母であろう

か。過ぎ行く年を惜しむように、次第に

生みの母を恋しく思う晩年。それは自ず

から老いと重なる心情であろう。

(選者、長谷川久々子)

 

確かに、年の瀬というのは、過ぎ行く時

を惜しむ気持ちが殊更募る時季ですね。

 

その思いが、齢を重ねるほどに強まる亡

き母への思慕と響き合うのである……

 

選者は作者の思いをそのように読み取っ

ているということでしょう。

 

うーん、この解釈ももちろんあり得ると

思うのですが……

 

例えば、こんなふうに読むことはできな

いでしょうか。

 

作者の岡野さんは、生みの母親と別々に

暮らしている。(つまり、お母さんは存命

である。)

 

いつもなら、年に何度かは、会うことも

できていたのに……

 

その年に限っては、その機会が持てなかっ

た。

 

その理由は……

 

ずばり、コロナ禍の最中であったから。

 

こう解釈すると、この句は、2020年という

特別な年だからこそ生まれた句であると言

えるでしょう。

 

果たして、岡野さんはどちらの心境でこの

句を詠んだのか。

 

私には、真相を知るすべはありません。

 

また、真相に関わらず、どちらの解釈をす

るかは、読み手の自由に委ねられていると

も言えます。

 

ただ……

 

今、これをお読みくださっている皆さんは

どう感じていらっしゃるでしょう。

 

そのことが知りたい、それが私の素朴な気

持ちです。

 

それを知ることは、俳句というフィルター

を通して……

 

2020年という年が私たちにとってどんな

経験であったのかが、自ずと立ち現れて

くるはずだからです。

 

俳句に特に関心をお持ちでなく、読んでい

てつまらなかったなら、ごめんなさい。

 

でも、もし関心がおありなら、あなたなら

どう読むか、聞かせていただけたら嬉しく

思います。

 

よかったら、ぜひ。



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