今年も残すところもう、1カ月を切りましたね。
私は教員(非常勤の日本語教師)をしているのですが、年内
の授業はあと二日でお仕舞い、となり、何とか無事、学期を
終えられることにホッとしているところです。
好きで選んだ職業ではあっても、仕事というものは簡単では
ないなあ、と、いつもつくづく思い知らされるのですが……
今期もやっぱり、いろいろなことがあって、つい嫌気がさして
しまったこともありました。
一番心が傷ついたのが、一部の留学生の勉強に対するモチ
ベーションの低さ。
欠席、遅刻が目立つクラスがあったり、私語の嵐とスマホ閲
覧(ゲーム?)にも悩まされました。
これは、もちろん、教師のほうにも責任があり、学生がやる気
を出せるような魅力的な授業ができさえすればいいのですが、
そうやすやすとできることではありません。
そんな状況で、精神的な疲労があると、どうしても、業務上の
ミスが増えてきます。
最近では、日本語教師の世界でもOA化が進み、パソコンが
業務上、重要な存在になっているのですが……
疲れてくると、いわゆる「うっかりミス」をやらかしてしまいます
ね。
例えば、複数の教師でチームを組んで担当する授業があっ
て、教師間で出席簿などを共有するのに、Eメールを使って
やり取りする、ということをしているのですが…
うっかり、添付すべきファイルを添付し忘れたり、間違ったフ
ァイルを添付して送信してしまったり……
私も今期、何度かやってしまいました。
そういう間違いをやらかすと、その処理のため、ほぼ100%、
ほかの先生の仕事を増やし、迷惑をかけることになります。
そんな時は相手に申し訳なくて、自分を責めてしまい、い
っそうしんどくなったりしました。
でも、こんなことがあったんです。
ある日、私が、連絡メールにうっかり間違ったファイルを添
付して送ってしまい、それを受け取った同僚の先生は、私の
ミスをカバーするため、添付されたファイルの内容を修正す
る必要に迫られました。
実は、それはマイクロソフトのエクセルを使ったファイルで
したが、あいにく彼女はエクセルを使い慣れておらず、その
作業に少し手間取ったようでした。
ミスを犯した私としては、負担をかけたという思いで心苦し
かったのですが、その後、しばらくして、この出来事を別の
見方で見ることができたのです。
というのは……
学期末の最終成績を集計する仕事を、その彼女が担当す
ることになり、その集計表には他でもない、そのエクセルが
使われていたからです。
つまり、私がしでかしたミスでやらされた余分な作業が、エ
クセルに慣れるいい機会になり、学期末の大事な仕事の
ために役立つことになったのです。
そのことを知った時、自分のしでかしたミスも、宇宙の営み
の中ではむしろ、必然として起こったことなのだと思いまし
た。
だから、自分を責めなくてもいいのだと。
もちろんそれは、わざと失敗しろということではない、とい
うことは言うまでもありませんが……
自分のベストを尽くして、それで起きてしまった失敗の責任
は、宇宙にゆだねればいい。
そう思うことができたのです。
私は教員(非常勤の日本語教師)をしているのですが、年内
の授業はあと二日でお仕舞い、となり、何とか無事、学期を
終えられることにホッとしているところです。
好きで選んだ職業ではあっても、仕事というものは簡単では
ないなあ、と、いつもつくづく思い知らされるのですが……
今期もやっぱり、いろいろなことがあって、つい嫌気がさして
しまったこともありました。
一番心が傷ついたのが、一部の留学生の勉強に対するモチ
ベーションの低さ。
欠席、遅刻が目立つクラスがあったり、私語の嵐とスマホ閲
覧(ゲーム?)にも悩まされました。
これは、もちろん、教師のほうにも責任があり、学生がやる気
を出せるような魅力的な授業ができさえすればいいのですが、
そうやすやすとできることではありません。
そんな状況で、精神的な疲労があると、どうしても、業務上の
ミスが増えてきます。
最近では、日本語教師の世界でもOA化が進み、パソコンが
業務上、重要な存在になっているのですが……
疲れてくると、いわゆる「うっかりミス」をやらかしてしまいます
ね。
例えば、複数の教師でチームを組んで担当する授業があっ
て、教師間で出席簿などを共有するのに、Eメールを使って
やり取りする、ということをしているのですが…
うっかり、添付すべきファイルを添付し忘れたり、間違ったフ
ァイルを添付して送信してしまったり……
私も今期、何度かやってしまいました。
そういう間違いをやらかすと、その処理のため、ほぼ100%、
ほかの先生の仕事を増やし、迷惑をかけることになります。
そんな時は相手に申し訳なくて、自分を責めてしまい、い
っそうしんどくなったりしました。
でも、こんなことがあったんです。
ある日、私が、連絡メールにうっかり間違ったファイルを添
付して送ってしまい、それを受け取った同僚の先生は、私の
ミスをカバーするため、添付されたファイルの内容を修正す
る必要に迫られました。
実は、それはマイクロソフトのエクセルを使ったファイルで
したが、あいにく彼女はエクセルを使い慣れておらず、その
作業に少し手間取ったようでした。
ミスを犯した私としては、負担をかけたという思いで心苦し
かったのですが、その後、しばらくして、この出来事を別の
見方で見ることができたのです。
というのは……
学期末の最終成績を集計する仕事を、その彼女が担当す
ることになり、その集計表には他でもない、そのエクセルが
使われていたからです。
つまり、私がしでかしたミスでやらされた余分な作業が、エ
クセルに慣れるいい機会になり、学期末の大事な仕事の
ために役立つことになったのです。
そのことを知った時、自分のしでかしたミスも、宇宙の営み
の中ではむしろ、必然として起こったことなのだと思いまし
た。
だから、自分を責めなくてもいいのだと。
もちろんそれは、わざと失敗しろということではない、とい
うことは言うまでもありませんが……
自分のベストを尽くして、それで起きてしまった失敗の責任
は、宇宙にゆだねればいい。
そう思うことができたのです。
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