■(第6話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ホノオノユラギ」感想
SSの始まりの地。DXで黒白先輩が戦った場所。Fではシュプリームとプリキュアの再会の舞台。
そんな由緒ある場所に、かれんさんと夏木さんも。
(「オトナプリキュア」第6話より)
「大空の樹を切る」という不穏なワードも飛び出しましたが、個人的にはあんまり衝撃はなかった。
「たとえ滅びたとしても、全ての物に命は宿る」のSSの思想的には、切り倒してもどこかで芽吹きそうですし、あの町の人々が「はい、切られました」となるとも思えず。会社的にも、地域住民の信仰の対象になっている大木を切って呪い的な噂が立つよりも、パワースポットとしてアピールした方が売りは良さそうなので。
【夏木さん】
念願かなってデザイン部に配属されたものの、ここ最近はコンペでの成績が振るわず。
営業部への転向を進められたりと、夏木さんはかなりの崖っぷち。
もともと彼女がアクセサリに目覚めたのは「ビーズメーカーの販促要員」という身も蓋もない理由だっただけに、営業の方が向いてるんじゃなかろうか?とは思うのですけど。向いてるかどうかと、本人のやりたいことは必ずしも一致はしないのが難しいところ。
ラストチャンスにも等しいコンペに臨んでは見たものの、やはり結果は芳しくなく。
「フェアトレード」「みんながハッピー」「見過ごさない」等々、綺麗な言葉は並べたものの全く響かず。
実際これらの言葉は完全に正しく、誰も否定はしない。でもモチベーションには繋がりません。
後の夏木さんの行動が見事にそれを物語ってる。
シャドウから目を背けた夏木さんが気にしたのは、「街に被害が出たかも」ではなく、「のぞみに顔向けできない」でした。
身勝手といえばそうですが、顔も名前も定かではなどこかの誰かへの想いより、長年の親友を想うのは人として当然です。
彼女が再変身の際に発した「私がやるしかない」は、かつてかれんさんが変身に失敗した時の言葉に酷似している。
あの時は失敗した。今は成功した。
子供時代は何でもできる、全部やれると思っていた。その無謀な責任感からの「私がやるしかない」はやっぱりネガティブだろうと思う。
今回のは違う。何でもはできない。むしろできないことばかりだった。それでもこれだけは、自分しか頼れる者がいない友にだけはせめて応えたい。故の「私がやるしかない」。
例えるなら、仕事でボロボロ、趣味も上手く行かずで疲弊しきっていても、幼子の前でだけは懸命に奮い立つようなものというか。
行き過ぎると呪縛ですが、最後の矜持としてそこだけは崩したくない一線は、やっぱり大事だと思う。
そしてこれも、夏木さんがコンペで語った「みんながハッピー」の薄っぺらさに繋がる。
結局のところ実社会としては「みんな」と漠然と言われても響かない。大事なのは目の前の特定の誰か。
SDGsの(表面的な)思想に疑義を唱える展開だったのは、なかなか小気味よかったです。
もちろん、フェアトレード等は大事なのは大前提なのですが、綺麗な言葉だけでは実態が伴っていかない。
そういえばプリキュアさんは本来、世界平和のために戦うのではなく、目の前の困っている人やチョコのために戦う存在だったものな。
【夢原さんと時の花】
ココはそれなりにこっちの世界に来ていたようです。
そして夢原さんを遠くから覗いて、帰って行った。
これに関しては色々と難しい。
感情的には「ココ、しっかりしろ!変な遠慮して待たせるな!」なのですが、ココが国王になるのは初めから分かっていたこと。
夢原さんの教師の夢はその後ですから、ココの立場としては待つしかない。
というかココの視点で見るなら、夢原さんが教職に進んだ時点で「振られた」と解釈してもおかしくはない。
おそらくはクレープ王女のような縁談話もあったでしょうし、それらを断ってもいたんじゃなかろうか。
夢原さんはそこら辺のこと、どう考えていたんだろう?夢見る乙女的には受け身で待っていたのかしら。
まぁ男性から告白やプロポーズをして責任を取れ…は明らかに差別としても、ココの方が先に大人になったわけですから、彼の方から何か動くべきだったんじゃないかとは思うのですが、この辺は第三者がどうこういう話ではなくなってきてる気もする。
また、タイムフラワーは不吉だと念押しされました。
すぐに思いつくところとしては「子供時代のプリキュアに頼るのは現実逃避だ」など。ですが、これまでの描写を見る限りでは「逃避」のようには感じません。
明らかに現実を前に進める原動力になっている。
これが「コンペに向かう途中でシャドウを発見。コンペに行くのが怖かったので、シャドウを口実にしてプリキュアになって戦い、コンペを欠席した」などであればまずいでしょうけど、実際には逆です。何より「プリキュアを悪としては描かないだろう」という最後の一線的な信頼もある。
既に半分が終わってしまいましたが、どういう決着をつけるんだろう?
SSの始まりの地。DXで黒白先輩が戦った場所。Fではシュプリームとプリキュアの再会の舞台。
そんな由緒ある場所に、かれんさんと夏木さんも。
(「オトナプリキュア」第6話より)
「大空の樹を切る」という不穏なワードも飛び出しましたが、個人的にはあんまり衝撃はなかった。
「たとえ滅びたとしても、全ての物に命は宿る」のSSの思想的には、切り倒してもどこかで芽吹きそうですし、あの町の人々が「はい、切られました」となるとも思えず。会社的にも、地域住民の信仰の対象になっている大木を切って呪い的な噂が立つよりも、パワースポットとしてアピールした方が売りは良さそうなので。
【夏木さん】
念願かなってデザイン部に配属されたものの、ここ最近はコンペでの成績が振るわず。
営業部への転向を進められたりと、夏木さんはかなりの崖っぷち。
もともと彼女がアクセサリに目覚めたのは「ビーズメーカーの販促要員」という身も蓋もない理由だっただけに、営業の方が向いてるんじゃなかろうか?とは思うのですけど。向いてるかどうかと、本人のやりたいことは必ずしも一致はしないのが難しいところ。
ラストチャンスにも等しいコンペに臨んでは見たものの、やはり結果は芳しくなく。
「フェアトレード」「みんながハッピー」「見過ごさない」等々、綺麗な言葉は並べたものの全く響かず。
実際これらの言葉は完全に正しく、誰も否定はしない。でもモチベーションには繋がりません。
後の夏木さんの行動が見事にそれを物語ってる。
シャドウから目を背けた夏木さんが気にしたのは、「街に被害が出たかも」ではなく、「のぞみに顔向けできない」でした。
身勝手といえばそうですが、顔も名前も定かではなどこかの誰かへの想いより、長年の親友を想うのは人として当然です。
彼女が再変身の際に発した「私がやるしかない」は、かつてかれんさんが変身に失敗した時の言葉に酷似している。
あの時は失敗した。今は成功した。
子供時代は何でもできる、全部やれると思っていた。その無謀な責任感からの「私がやるしかない」はやっぱりネガティブだろうと思う。
今回のは違う。何でもはできない。むしろできないことばかりだった。それでもこれだけは、自分しか頼れる者がいない友にだけはせめて応えたい。故の「私がやるしかない」。
例えるなら、仕事でボロボロ、趣味も上手く行かずで疲弊しきっていても、幼子の前でだけは懸命に奮い立つようなものというか。
行き過ぎると呪縛ですが、最後の矜持としてそこだけは崩したくない一線は、やっぱり大事だと思う。
そしてこれも、夏木さんがコンペで語った「みんながハッピー」の薄っぺらさに繋がる。
結局のところ実社会としては「みんな」と漠然と言われても響かない。大事なのは目の前の特定の誰か。
SDGsの(表面的な)思想に疑義を唱える展開だったのは、なかなか小気味よかったです。
もちろん、フェアトレード等は大事なのは大前提なのですが、綺麗な言葉だけでは実態が伴っていかない。
そういえばプリキュアさんは本来、世界平和のために戦うのではなく、目の前の困っている人やチョコのために戦う存在だったものな。
【夢原さんと時の花】
ココはそれなりにこっちの世界に来ていたようです。
そして夢原さんを遠くから覗いて、帰って行った。
これに関しては色々と難しい。
感情的には「ココ、しっかりしろ!変な遠慮して待たせるな!」なのですが、ココが国王になるのは初めから分かっていたこと。
夢原さんの教師の夢はその後ですから、ココの立場としては待つしかない。
というかココの視点で見るなら、夢原さんが教職に進んだ時点で「振られた」と解釈してもおかしくはない。
おそらくはクレープ王女のような縁談話もあったでしょうし、それらを断ってもいたんじゃなかろうか。
夢原さんはそこら辺のこと、どう考えていたんだろう?夢見る乙女的には受け身で待っていたのかしら。
まぁ男性から告白やプロポーズをして責任を取れ…は明らかに差別としても、ココの方が先に大人になったわけですから、彼の方から何か動くべきだったんじゃないかとは思うのですが、この辺は第三者がどうこういう話ではなくなってきてる気もする。
また、タイムフラワーは不吉だと念押しされました。
すぐに思いつくところとしては「子供時代のプリキュアに頼るのは現実逃避だ」など。ですが、これまでの描写を見る限りでは「逃避」のようには感じません。
明らかに現実を前に進める原動力になっている。
これが「コンペに向かう途中でシャドウを発見。コンペに行くのが怖かったので、シャドウを口実にしてプリキュアになって戦い、コンペを欠席した」などであればまずいでしょうけど、実際には逆です。何より「プリキュアを悪としては描かないだろう」という最後の一線的な信頼もある。
既に半分が終わってしまいましたが、どういう決着をつけるんだろう?