サヨコの独り言

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《 初詣 》(令和初) -成田山新勝寺と大鷲神社にて-

2020年01月05日 | その他

4日(土)、《成田山新勝寺》に参拝に行って来ました。いつもは混雑を避けて15日過ぎに行くのですが、今年は思い切って松の内に行って来ました。混んではいましたが3時過ぎだったので、並んで参拝する程ではありませんでした。本堂の前の「大しめ縄」は稲穂をつるしたような形が特徴で、幅6.6m、高さ1.5m、重さ200kgを超えるそうです。1700年に貫首になった中興第一世「照範大僧正」が五穀豊穣を祈願して考案した事から〔照範じめ〕と呼ばれています。

話は変わりますが、平安時代中期の「平将門の乱」の際、939年に「宇多天皇」の孫である「寛朝大僧正」は「朱雀天皇」から密勅を受けて東国へ遣わされました。翌年に調伏する為に不動護摩の儀式を行ないました。これを起源として《成田山新勝寺》は開祖を「寛朝大僧正」、開基を940年としています。その後、寺は寂れて開基から1700年までの760年間の記録は残っていません。中興第一世「照範大僧正」の頃から「出開帳」や歌舞伎役者「市川團十郎」が成田不動に帰依して〔成田屋〕の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打った事なども相まって庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んになりました。現在の貫首の「橋本照稔大僧正」(92歳)は中興第一世「照範大僧正」から数えて中興第二十一世となります。

5日(日)、欲張って《大鷲神社》にも参拝して来ました。「酉の市」の賑やかさが嘘のように静かでした。拝殿の前には「茅の輪」(ちのわ)がありました。〔茅の輪くぐり〕は1年間の厄を落とし、新しい年に幸あれと願うものだそうです。作法が決まっているみたいでした。書かれていた説明によると、◆まず「茅の輪」の正面でお辞儀をする⇒◆「茅の輪」をまたいで左回りで正面に戻る⇒◆「茅の輪」をまたいで右回りで正面に戻る⇒◆「茅の輪」をまたいで左回りで正面に戻る⇒◆最後にお辞儀をしてから「茅の輪」をまたいで参拝する。ちょうど8の字を書く様な感じになります。

「大本堂」の前の「大しめ縄」 <照範じめ> 


「仁王門」の階段は上りのみの一方通行 / 「大鷲神社」の拝殿前の「茅の輪」

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