2024年11月、学校法人「明治大学」は「山の上ホテル」の土地・建物を取得しました。このことを記念し、《 明治大学と山の上ホテル 》のパネル展が「明治大学」駿河台キャンパス・アカデミーコモン1階のエントランスホールで開催されていました<2025.1.8~2025.3.22>。「山の上ホテル」は1937年(昭和12年)、「明治大学」の校友・「佐藤慶太郎」氏の私財によって建設されました。当初は「佐藤新興生活館」本部ビルとして利用され、1954年(昭和29年)より「山の上ホテル」として営業されました。
「佐藤慶太郎」氏は1868年(明治元年)、現在の北九州市に生まれました。1887年に「明治法律学校」に入学。病気がちだったこともあって司法試験への挑戦は断念し、石炭商「山本商店」に入社。「山本俊子」と結婚し、「佐藤商店」を創業して炭鉱経営に乗り出し、「石炭の神様」と呼ばれ大成功しました。【金持ちとして死ぬことほど不名誉なことはない】と言った 「アンドリュー・カーネギー」を尊敬し、【自分の財産は社会からの預かりもの、世に返すのは当たり前】という信念で慈善事業に取り組みました。
日本で初めての公立美術館である「東京府美術館」(後の東京都美術館)の建設にあたり、「佐藤慶太郎」氏が全額を投じて実現しました。この功績を讃え、「朝倉文夫」による胸像が設置してあります。「明治大学専門部女子部」の建設や「佐藤新興生活館」(後の山の上ホテル)の建設など慈善事業に尽力しました。死後の遺産は「別府市美術館」の建設や財団法人「佐藤育英財団」の創設に充てられました。
「佐藤新興生活館」本部ビルは敗戦後に使用したGHQがこの建物を「HILLTOP HOUSE」と呼んでいたと言われています。1952年に返還され、1954年に「山の上ホテル」の創業者の「吉田俊男」氏が借り受ける形でホテルとして営業を始めました。名称は「HILLTOP」にちなんで名付けられました。「山の上ホテル」は出版社や古書店が集まる神田神保町に近いこともあって、 「川端康成」・「三島由紀夫」や「池波正太郎」などの作家や文化人に愛されました。
「山の上ホテル」は昨年、ホテルの創業70周年を迎え、建設からは86年を迎えて老朽化への対応を検討する為、2024年2月13日より当面の間、休館する事に。ニュースでその事を知りビックリしました。ずっと気になっていたホテルだったので、残念な気持ちもあって次の週に行って来ました。2024年11月に学校法人「明治大学」が「山の上ホテル」の土地・建物を取得した事を知り、またビックリしました。でも、パネル展で「佐藤慶太郎」氏との関係を知って納得しました。
余談ですが、映画『私にふさわしいホテル』[主演:のん、監督:堤幸彦、原作:柚木麻子]が2024年12月27日に公開されました。本作は主人公の加代子が憧れるホテルとして、2024年2月に全面休館となった「山の上ホテル」で最後に撮影された貴重な作品でもあります。
「山の上ホテル」(2000年代) 宴会場 / 天ぷら山の上 / バー / レストラン

「佐藤新興生活館」竣工時の内観 理事在職時の駿河台キャンパス

佐藤慶太郎氏 「佐藤慶太郎」在学時の「明治法律学校」南甲賀町校舎

休館後の「山の上ホテル」(下の方には囲いが)<2024.2.20> ホテル脇のサボテンの案内看板

表通りにある看板(今は金属網が掛かっています) 写真左:客室 / 写真右:結婚式場

映画『私にふさわしいホテル』[主演:のん、監督:堤幸彦、原作:柚木麻子] 2024.12.27公開

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