連続テレビ小説「虎に翼」が9月27日(金)で放送が終わりました。10月22日(火)、「明治大学博物館」で開催されていた《 連続テレビ小説「虎に翼」展 》を観に行って来ました。番組小道具・劇中衣装・出演者全身パネル・セット再現など、そして「三淵嘉子」氏に関する資料が展示されていました。 ついでに、ゆかりの地を巡って来ました。題名の「虎に翼」は「鬼に金棒」と同義語になります。
主人公のモデルの「三淵嘉子」氏は日本初の女性弁護士で後に裁判官となった女性。「明治大学」は、いち早く法学を志す女性に門戸を開き、1929年(昭和4年)に専門部の一部門として女子部を設置。1931年(昭和6年)には「明治大学」が設置する学部への入学を認めました。その結果、「三淵嘉子」(ドラマでは猪爪寅子)、「中田正子」(ドラマでは久保田先輩)、「久米愛」(ドラマでは中山先輩)という3名の日本初の女性弁護士が誕生しました。
「三淵嘉子」氏(1914年~1984年)は武藤家の長女として生まれ、弟が4人いました。書生だった「和田芳夫」(戦病死)と結婚し、長男の「和田芳武」(寄生虫研究者)が生まれました。恩師の喜寿の祝いの寄せ書きには「和田嘉子」の横に「ヨシタケ」(当時5歳位)と名前が書かれていました。1956年に「三淵乾太郎」氏(裁判官)と再婚しました。ドラマの設定とは多少違いがありますね。同級生たちは殆ど創作ですが、朝鮮から来た留学生がいたことは確かだそうです。
「三淵乾太郎」氏は初代最高裁長官「三淵忠彦」の長男として生まれました。忠彦の伯父の「萱野長修」(通称・権兵衛/会津藩家老)は、「戊辰戦争」に敗れた会津藩の責任者として主君の「松平容保」を命がけでかばって処刑されました。忠彦が建て、晩年を家族と共に過ごしたのが小田原市板橋の「甘柑荘」です。
話は変わりますが、「中田正子」氏は昭和20年から夫の実家の鳥取県に疎開し、昭和23年に「鳥取県弁護士会」に登録しました。会長として「日本弁護士連合会理事」も歴任し、62年余り弁護士活動を続けました。2016年には「鳥取県弁護士会」がマスコットキャラクター「まさこ先生」を作成しました。
「桂場」や「寅子」たちが度々訪れていた「竹もと」のモデルとなった神田須田町にある「竹むら」 (創業1930年/昭和5年)に行って来ました。昭和の面影が残った木造3階建で、「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。ドラマが終わってから1ヶ月近く経っていたのに30人程並んでいました。甘味が好きなので、入ってみたかったのですが諦めました。この辺りは戦災を逃れた古いお店が多く残っている地域だそうで、道路の反対側にはあんこう鍋の「いせ源」 (創業1830年/天保元年)がありました。関東大震災を経て、昭和5年に店舗を再建。同じく「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。別の機会にまた来ようと思いました。
「明治大学」の裏手、神田猿楽町にある「錦華公園」と隣接した所にあった「錦華小学校」は、明治6年の開校で「夏目漱石」も学んだ歴史のある学校です。現在は「お茶の水小学校・幼稚園」となっています。公園は昭和4年の開園で、「明治大学」の学生たちが憩いの場所としていた写真が残っています。「階段」と「自然池」と「滝」などは当時の面影が残っているそうです。小学校・幼稚園が近く遊具もあるので、子ども達がいて賑やかでした。
パンフレットの法服には寅子の人生や物語にちなんだイラストが描かれています
「めいじろう」も法服を着ています 「猪爪はる」と「桂場等一郎」の全身パネル
法服とガウン 「明律大学」・「同女子部」の看板 「明治大学女子部」の制帽(資料)
「明律大学」の校旗 女子部の階段踊り場のステンドグラス 「花岡」と「寅子」の着用衣装
「島田鉄吉」(3代目女子部長)の喜寿祝の寄せ書き 「三淵乾太郎」と「三淵嘉子」 -「甘柑荘」にて-
おしるこ屋「竹もと」のモデルとなった「竹むら」 道沿いには30人程並んでいました
「錦華坂」 「錦華公園」の案内板 「錦華公園」の自然池と滝
矢張り 都会は良いなあ~って思える一コマ。
田舎ではなかなかチャンスもなく、お町に行かなくてはいけません。長男が学生の頃は、良く【はとバス】に乗りに東京見物しましたよ。
ドラマの反響って大きく、今でも行列が出来、賑わっていますね。
良いものを見せていただき感謝です。
私はドラマで観るまでは「三淵嘉子」氏の事は知りませんでした。
「伊藤沙莉」さんは適役でしたよね。展示会を観て感動がよみがえって来ました。
新しいビルが立ち並ぶ中で、「竹むら」の辺りは古いお店が多く残っていました。
甘味が好きなので、その内に機会を見て行ってみたいと思います。
結婚するまでは都内に住んでいましたが、知らない所もたくさんあります。
ぜひ「はとバス」で都内巡りをしてみたいです。新しい発見があるかも