最近は、割と調子がいい感じがあります。少なくとも精神的には。
そんな時には、ふさいでいる時には気づかず、忙しい時には気付かないふりをしている、自分の率直な気持ちや感情、或いは現実の姿と、向き合う羽目になったりもします。
夫として、父として、自分は何かできているのだろうか…。
特に娘には、色々と窮屈な思いをさせていないだろうか。我慢が習い性になってしまっているんじゃないだろうか。こんな家庭でも、それなりに幸せを感じてくれているのだろうか…。
父として、夫として、自分には決して合格点は付けられない。認めたくはないけど、何一つまともにできない、ちっぽけな自分。
訳も分からず、ただ、がむしゃらに走り続けて来た、この10年。
何にせよ、自分からは逃げられない。
自分の背負ったものからも…。
これからも、走り続けるよりほか、仕方がない。
平均寿命まで生きると仮定して、まだ半分…。
先は長い。
「先に光が見えない」と言って、妻が時として嘆くことがあります。
僕には、光が見えようが見えまいが、ただ、自分の人生を走る道しか残されていない。
そんな時には、ふさいでいる時には気づかず、忙しい時には気付かないふりをしている、自分の率直な気持ちや感情、或いは現実の姿と、向き合う羽目になったりもします。
夫として、父として、自分は何かできているのだろうか…。
特に娘には、色々と窮屈な思いをさせていないだろうか。我慢が習い性になってしまっているんじゃないだろうか。こんな家庭でも、それなりに幸せを感じてくれているのだろうか…。
父として、夫として、自分には決して合格点は付けられない。認めたくはないけど、何一つまともにできない、ちっぽけな自分。
訳も分からず、ただ、がむしゃらに走り続けて来た、この10年。
何にせよ、自分からは逃げられない。
自分の背負ったものからも…。
これからも、走り続けるよりほか、仕方がない。
平均寿命まで生きると仮定して、まだ半分…。
先は長い。
「先に光が見えない」と言って、妻が時として嘆くことがあります。
僕には、光が見えようが見えまいが、ただ、自分の人生を走る道しか残されていない。