恒例のニセコ町文化まつりが10月29日から11月3日まで開催されます。
その開会式が10月29日(土)12時30分から町民センター大ホールで
行われました。
開会式には文化協会会員と開催担当の町職員他一般の参加者は10名程、
発表を控えた大正琴の会員と女性コーラスの会員等が参加しました。
主催のニセコ町文化協会会長、後援のニセコ町・ニセコ町教育委員会から
町長、議会議長、教育長のご挨拶がつづき、15分程で終了しました。
年々参加者が少なくなるようで、広い会場が閑散として寂しく感じました。
せめて〇〇ぐらいは参加すべきではないかと言う声があります。
11月1日から3日まで会場の町民センターでは写真・短歌・俳句・書道展、
町民作品展、あそぶっく作品展、児童生徒の作品展、交通安全ポスター展など、
多彩な作品が展示されていますので、ぜひご覧ください。
また11月3日(木)にはピアノ演奏発表会、社交ダンスの夕べなどがあります。
*小樽しりべし岳風会羊蹄支部第45回詩歌吟道大会は開会に先立ち23日(日)
に終了しています。
*開会式とコールブーケの発表会の模様です。
今年度のニセコ町敬老会がヒルトンニセコビレッジで開催されました。
この敬老会には通常議会からは議長、副議長、各委員長の5名(今期は委員長が
兼任なので4名)が来賓として招待されますが、今年は私が3月議会で行った
一般質問「『長寿祝い金』の見直しと『敬老会』のあり方について」を受けて、
全議員に敬老会を体験してもらおうとの趣旨で招待されることになりました。
この件について議員数名から「一般質問を受けて」の招待なら、参加費を支払う
べきだとの声があり、私も会費を支払うべきだと考えていましたが、敬老会を担当
する保健福祉課と話し合った結果、今回は議員全員がご招待ということになりました。
今年の敬老会への参加者は他の行事と重なったこともあり、例年より少ない160人台
とのことでしたが、来賓、招待客を含めると約196名とのことです。
88歳のお祝い対象者は16人、77歳のお祝い対象者は54人でそれぞれ5万円と3万円
のお祝い金が送られました。他には結婚50年を迎えたご夫婦8組が招待され、
記念品が贈られました。
敬老会は11:30分から13:00までで、帰りは5カ所の地区別送迎バスに乗せてもらい、
自宅近くまで送っていただきました。
バスに同乗していた民生委員さんもおっしゃっていましたが、何よりお元気で足が
達者でないと「敬老会」には参加できないようです。その通りと思います。
毎年この敬老会に参加される方は30%未満です。
現在の敬老会のように75歳以上の高齢者のみを対象にしたヒルトンホテルで
コース料理をいただきながらのお祝いではなく、もっと小規模でもその地区の皆さんが
集まって、仮にお赤飯ひとつ、紅白饅頭ひとつでも、それぞれの持ち寄りでも,
みんなで温かくお祝いしてあげられないものか、いろいろ考えさせられました。
2010年(平成22年)北海道大学公共政策大学院主催の地方議員向けセミナーに参加した際、
鷹栖町の議員さんからの発表があり、まちの誇れる事業の一つに鷹栖町の「長生き感謝祭」
がありました。「長生きさせてもらってありがとう」の感謝の気持ちから、社会福祉協議会が
主催し、老人会が自主的に開催し、元気な高齢者が今こうして健康で長生きしていることに
感謝して、町民センターで文化祭のような芸能発表会を開いて、むしろ町民を招待するものです。
センターでは出席した町民全てにお赤飯とお茶が振る舞われ、一度に入りきれないため、
入れ替え制にしているとのことでした。
今年2月に鷹栖町役場に電話で問い合わせたところ、感謝祭への行政からの助成金は33万円、
老人会からは46万円の経費で賄っているとのことでした。
人口7100人、高齢化率30%以上の鷹栖町では長寿祝い金は米寿からで商品券で2万円、白寿は
現金で3万円、百歳以上はお花が贈呈されるそうです。その経費は150万円です。
(77歳の喜寿の祝い金は廃止)
ニセコ町の高齢者の健康寿命を考えると、他の自治体の例を参考にニセコ町ならではの
敬老会のあり方を検討していくことがこれからの課題ではないかと思います。
この敬老会には通常議会からは議長、副議長、各委員長の5名(今期は委員長が
兼任なので4名)が来賓として招待されますが、今年は私が3月議会で行った
一般質問「『長寿祝い金』の見直しと『敬老会』のあり方について」を受けて、
全議員に敬老会を体験してもらおうとの趣旨で招待されることになりました。
この件について議員数名から「一般質問を受けて」の招待なら、参加費を支払う
べきだとの声があり、私も会費を支払うべきだと考えていましたが、敬老会を担当
する保健福祉課と話し合った結果、今回は議員全員がご招待ということになりました。
今年の敬老会への参加者は他の行事と重なったこともあり、例年より少ない160人台
とのことでしたが、来賓、招待客を含めると約196名とのことです。
88歳のお祝い対象者は16人、77歳のお祝い対象者は54人でそれぞれ5万円と3万円
のお祝い金が送られました。他には結婚50年を迎えたご夫婦8組が招待され、
記念品が贈られました。
敬老会は11:30分から13:00までで、帰りは5カ所の地区別送迎バスに乗せてもらい、
自宅近くまで送っていただきました。
バスに同乗していた民生委員さんもおっしゃっていましたが、何よりお元気で足が
達者でないと「敬老会」には参加できないようです。その通りと思います。
毎年この敬老会に参加される方は30%未満です。
現在の敬老会のように75歳以上の高齢者のみを対象にしたヒルトンホテルで
コース料理をいただきながらのお祝いではなく、もっと小規模でもその地区の皆さんが
集まって、仮にお赤飯ひとつ、紅白饅頭ひとつでも、それぞれの持ち寄りでも,
みんなで温かくお祝いしてあげられないものか、いろいろ考えさせられました。
2010年(平成22年)北海道大学公共政策大学院主催の地方議員向けセミナーに参加した際、
鷹栖町の議員さんからの発表があり、まちの誇れる事業の一つに鷹栖町の「長生き感謝祭」
がありました。「長生きさせてもらってありがとう」の感謝の気持ちから、社会福祉協議会が
主催し、老人会が自主的に開催し、元気な高齢者が今こうして健康で長生きしていることに
感謝して、町民センターで文化祭のような芸能発表会を開いて、むしろ町民を招待するものです。
センターでは出席した町民全てにお赤飯とお茶が振る舞われ、一度に入りきれないため、
入れ替え制にしているとのことでした。
今年2月に鷹栖町役場に電話で問い合わせたところ、感謝祭への行政からの助成金は33万円、
老人会からは46万円の経費で賄っているとのことでした。
人口7100人、高齢化率30%以上の鷹栖町では長寿祝い金は米寿からで商品券で2万円、白寿は
現金で3万円、百歳以上はお花が贈呈されるそうです。その経費は150万円です。
(77歳の喜寿の祝い金は廃止)
ニセコ町の高齢者の健康寿命を考えると、他の自治体の例を参考にニセコ町ならではの
敬老会のあり方を検討していくことがこれからの課題ではないかと思います。
「ニセコ町百年史」によると「狩太神社の始まりは1896年(明治29年)
岩手県人松岡陸三が奉斎したのに始まり・・・」とあります。
その後幾多の変遷を経て「大正15年8月22日『村社』につらなり、
昭和3年9月7日村社が実現、狩太村の総鎮守となった」とあります。
狩太神社はニセコ町の前身、狩太村の神社として本町で最も古い歴史のある神社です。
その狩太神社祭が例年通り今年も8月25日に行なわれました。
このお祭りはニセコ町最大のイベントの一つであり、全町を挙げての祝祭日
と言えます。
ニセコ町商工会が中心になって準備を進め、狩太神社祭を盛り立てています。
町役場では町長、副町長、教育長を始め、職員が総出でお祭りに参加協力しています。
児童生徒も任意でお祭りに参加しています。
私は昨年膝の怪我のため欠席しましたが、毎年踊り山に参加しています。
今年は男女とも80人が参加しました。その内ニセコ高校から13人の生徒が参加しました。
朝7時から町民センターで商工会が準備した揃いのゆかたを着付けてもらい、
9時から16時過ぎまで、元町から始まり町内10カ所で「これから音頭」と「おみこし音頭」
の曲目に合わせて踊り歩き、最後は狩太神社で踊って参拝して終わります。
日中は強い陽射しで気温も上がり、湿度も高く蒸し暑い一日になりました。
私は熱中症にならないように絶えず水分の補給に努めましたが、かなりの人が
踊りが始まる前からビールを飲み町内の休憩所ごとにビールやお酒が
ふるまわれるので、暑い中でこんなに飲んでよく踊れるものかと感心しました。
狩太神社境内では「狩太神社例大祭」や「子ども剣道大会」・「子ども相撲大会」等
が行われ、夜には「狩太神社民謡ショー」やビール会がひらかれるなど、例年にない
お祭りのイベントで大いに盛り上がったように思います。
今年から狩太神社にかなり若いイケメンの神主さんが来られて神社の雰囲気も
変わってきたように感じられるとのことです。
最近町内のあちこちで世代交代が見られるように感じます。
岩手県人松岡陸三が奉斎したのに始まり・・・」とあります。
その後幾多の変遷を経て「大正15年8月22日『村社』につらなり、
昭和3年9月7日村社が実現、狩太村の総鎮守となった」とあります。
狩太神社はニセコ町の前身、狩太村の神社として本町で最も古い歴史のある神社です。
その狩太神社祭が例年通り今年も8月25日に行なわれました。
このお祭りはニセコ町最大のイベントの一つであり、全町を挙げての祝祭日
と言えます。
ニセコ町商工会が中心になって準備を進め、狩太神社祭を盛り立てています。
町役場では町長、副町長、教育長を始め、職員が総出でお祭りに参加協力しています。
児童生徒も任意でお祭りに参加しています。
私は昨年膝の怪我のため欠席しましたが、毎年踊り山に参加しています。
今年は男女とも80人が参加しました。その内ニセコ高校から13人の生徒が参加しました。
朝7時から町民センターで商工会が準備した揃いのゆかたを着付けてもらい、
9時から16時過ぎまで、元町から始まり町内10カ所で「これから音頭」と「おみこし音頭」
の曲目に合わせて踊り歩き、最後は狩太神社で踊って参拝して終わります。
日中は強い陽射しで気温も上がり、湿度も高く蒸し暑い一日になりました。
私は熱中症にならないように絶えず水分の補給に努めましたが、かなりの人が
踊りが始まる前からビールを飲み町内の休憩所ごとにビールやお酒が
ふるまわれるので、暑い中でこんなに飲んでよく踊れるものかと感心しました。
狩太神社境内では「狩太神社例大祭」や「子ども剣道大会」・「子ども相撲大会」等
が行われ、夜には「狩太神社民謡ショー」やビール会がひらかれるなど、例年にない
お祭りのイベントで大いに盛り上がったように思います。
今年から狩太神社にかなり若いイケメンの神主さんが来られて神社の雰囲気も
変わってきたように感じられるとのことです。
最近町内のあちこちで世代交代が見られるように感じます。
3月1日第64回北海道ニセコ高等学校卒業証書授与式が執り行われ
ました。昨夜から今朝にかけて北海道は暴風雪に見舞われ、
10時からの卒業式は午後3時からに変更され行われました。
ニセコ高等学校は町立高校なので、町長始め教育委員会、学校関係者、
議会議員、警察関係者他、大勢の来賓が出席しました。
学校の歴史の始まりは昭和23年10月20日に遡ります。
学事報告によると64回目になるこの卒業式で総計1669人の
卒業生を送り出したことになります。
今年の卒業生は31人で、その内女子は18人、男子は13人でした。
大学・専門学校進学は11人、就職は公務員2人・民間企業15人の
計17人でした。
高校の卒業式はとりわけ意義深いものを感じます。
子どもから大人へ移行する節目の年でもあり、今年から18歳選挙が
始まり卒業と同時に選挙という政治に大人と肩を並べて参加する
ことになります。
日本では成人は20歳からとなっていますが、選挙権を持つと言うことは
大人としての責任ある社会参加が始まる第一歩でもあります。
これからの人生に幸多かれと祈ります。
ました。昨夜から今朝にかけて北海道は暴風雪に見舞われ、
10時からの卒業式は午後3時からに変更され行われました。
ニセコ高等学校は町立高校なので、町長始め教育委員会、学校関係者、
議会議員、警察関係者他、大勢の来賓が出席しました。
学校の歴史の始まりは昭和23年10月20日に遡ります。
学事報告によると64回目になるこの卒業式で総計1669人の
卒業生を送り出したことになります。
今年の卒業生は31人で、その内女子は18人、男子は13人でした。
大学・専門学校進学は11人、就職は公務員2人・民間企業15人の
計17人でした。
高校の卒業式はとりわけ意義深いものを感じます。
子どもから大人へ移行する節目の年でもあり、今年から18歳選挙が
始まり卒業と同時に選挙という政治に大人と肩を並べて参加する
ことになります。
日本では成人は20歳からとなっていますが、選挙権を持つと言うことは
大人としての責任ある社会参加が始まる第一歩でもあります。
これからの人生に幸多かれと祈ります。