斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

大間原発の視察と「あさこはうす」訪問

2014-10-21 19:02:33 | 原発問題
10月12日・13日日本YWCAが主催する「大間原発に学ぶスタディーツアー」
に参加しました。このツアーには全国から20名の方々が参加しました。
大間原発は世界でも初めてのフルMOX原子炉です。
フルMOX原子炉とはプルトニュウムとウランの混合酸化物燃料を使用します。
プルトニュウムはウランの20万倍の毒性があり、その半減期は2万4千年かかると
言われています。気の遠くなるような年数です。
その時人類はどんなになっているか私には想像さえ尽きません。
フルMOX原子炉の危険性は
・制御棒の効きが悪い ・出力が不安定でコントロール困難
全く実験、実証の経験がない【世界初の原子炉】です。
いったん事故が発生すると福島の原発事故以上の危険性と被害が
予想されます。このプルサーマル計画の背景には「プルトニュウムの
核兵器への転用疑惑への『釈明』」があります。

プルサーマルの名称について、
プルサーマル(plutonium burning in thermal reactor)とは
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
現在稼働している原子力発電所の軽水炉でウラン燃料とプルトニウム燃料を
混ぜて利用すること。プルサーマルとは,プルトニウムとサーマルリアクター
(→熱中性子炉 ) からの造語。使用済み核燃料を再処理して燃え残った
プルトニウム 239を取り出し,酸化物として4~9%をウラン酸化物と混合した
MOX (mixed oxide) 燃料に加工し,通常のウラン燃料と同様に軽水炉で利用する。

「あさこはうす」訪問
大間町は函館から津軽海峡を挟んで向かい側に位置し、直線距離にして約30キロ、
マグロで有名な町です。住民の70%が漁業に従事しています。
ここで世界初の原発が建設されようとしています。
その大間町にある【あさこはうす】を訪ねました。

【あさこはうす】は大間原発建設予定地に土地をもっていた熊谷あさこさんが
電源開発による買収を拒否し続け、そこにログハウスを建てました。
熊谷あさこさんは9年前に亡くなりましたが、その娘さんの小笠原厚子さんが、
その意志を引き継ぎ自分の土地を守り続けています。
その土地は原発敷地内のど真ん中にあって炉心から250mしか離れていません。
まるでお隣さんのように【あさこはうす】のすぐ横には炉心のある原発が建設
されているのが見えました。
【あさこはうす】への狭い道の両側には頑丈な高いフェンスが張り巡らされていて
【あさこはうす】のある約1町歩(3000坪)の土地の周囲にも同様のフェンスが
確り張り巡らされていました。
【あさこはうす】には今福島から避難してきたご夫婦も住んでいて家の周りには
小笠原さんと一緒に猫のレン、2匹の子犬、なちとベン、つがいの鴨、10数羽の
烏骨鶏とにわとりなどが飼われて、さながらミニ動物園のような賑やかでした。

自然の中で人間らしい生き方、人間性の回復を求めて、そこに根を張って一歩一歩
あせらず、人間とは何か、人間として何が大切かを考えていると話されていました。

かつてそこの住んでいた人たちがみな土地を売却し立ち去った中、たった一人で
30年間小笠原さんのお母さんである熊谷あさこさんは自分の土地を守りつづけて
きました。それを引き継いできた小笠原さん、母娘のお二人の勇気とその信念の強さ
に深く敬服の念を抱きました。

小笠原さんは「みんなが訪れてくれて嬉しい、たくさんの方々にここに来て
いただきたい」と大変喜んで下さいました。小笠原さんは大変明るい屈託ない表情で
話され、約2時間近くここでの生活の様子等たくさんのお話を伺うことができました。

この大間原発視察に先立ち前日の12日には函館で大間原発差し止め訴訟弁護団
共同代表の弁護士、森越清彦さんと2006年「大間原発訴訟の会」発足時から
代表を務める竹田とし子さんから大間原発についてのお話を伺いました。

なぜ今大間原発建設続行なのか、その背後には特定秘密保護法や集団的自衛権の
問題、憲法9条の改訂と深くかかわっていることを私たちは忘れてはならないと
思います。

第62回北海道女性議員協議会総会

2014-10-15 00:14:20 | 議員活動
1952年(昭和27年)に女性議員7人による意見交換会から始まった
北海道女性議員協議会が今年で62回目を迎えました。
今年は10月11日~12日、七飯町大沼国際セミナーハウスで開催
されました。
1日目は総会と議案審査が行われました。
提出された要望議案は
北海道議会
○子ども・子育て支援策の充実・強化を求める要望
○高齢者の福祉向上のため地域の実情に応じた支援を求める要望
札幌市議会
○子宮頸がんワクチン接種の対策を求める要望
○特定秘密保護法の執行停止と撤廃を求める要望
函館市議会
○大間原子力発電所建設の無期限凍結を求める要望
浦河町議会
○医療・介護総合確保推進法の撤回をも求める要望
様似町議会
○光回線による超高速情報インフラ未整備地域の解消を求める要望

活発な議論を闘わせ審議を尽くした結果、以上8件の議案が提出され
関係機関へ改善を要求してことになりました。

北海道女性議員協議会の目的は
【女性議員相互が超党派的立場で諸活動を推進し女性議員の資質の
向上を図るとともに、各自治体ひいては北海道の発展に寄与すること
を目的とする。】ものとあります。

北海道の女性議員は約250名いますが今年の参加者は52名でした。
総会開催地は道内各地を持ち回りで開催しています。
後志町村議会からは全女性議員15名中12名が参加しました。

2日目は研修会が行われ
「北海道新幹線時代の幕開けに向けて」~七飯町における新幹線について~
七飯町役場総務部政策推進課から説明を受けました。
つづいて建設中の新函館北斗新幹線駅を視察しました。
開業は2016年(平成28年)春を予定しています。

今年の参加者は例年より少ない人数でしたが、充実し親睦もより深まった
協議会でした。





ヒートポンプさまへ

2014-10-06 00:23:42 | 政治
いつも適切なコメントをいただき感謝しております。
これは弁解、言い訳以外のなにものでもありませんので
ご批判は重々覚悟の上です。

いつも議会は問題が山積しています。
正直何から手を付けて良いのか暗中模索の状態です。
私はまず何よりも議会で普段から議員間討議・議論
が必要と考えています。

さて今回ご指摘の問題は9月20日の北海道新聞の「議会だより」
に掲載されている通り、2011年8月にニセコ町観光課の外国人職員が
中国の旅行会社から、現地ツアー取材とTV番組の制作・放映をしたい
旨の相談を受け、蘭越の観光業者に相談したところ、観光業者は
ニセコ町の商工観光課職員からの相談依頼であることから全面的に信頼して
協力し、5日間に及び総勢18名で番組取材のためのツアーが実施されました。
その際の宿泊・飲食の経費は観光業者が負担することになったようです。

当初の説明では9月下旬の番組放送、夏冬計300人の旅行商品の予定だった
ようですが、その後連絡は一切なく、中国でテレビ放送がされたかも不明、
予定されていた合計300人の送客もありませんでした。
蘭越町の観光業者は約300万円の被害を被ったようです。
この事件に関してニセコ町の責任問題を問われて町長は謝罪したもようです。

この事件は関係者以外全く知らなかったようで、私も今回話を聞くまで
全く知りませんでした。しかしこの問題も何かあやふやで、これで事件が
解決したわけではありません。

同年12月~翌年2月にかけて同じ中国の旅行会社からのスキーツアーで
ニセコリゾート観光協会と売上金に関してトラブルが発生し未収金約300万円
以上が出ています。
最初に問題が発生した時点であやふやにせずに確認を徹底させておけば、
スキーツアーの未収金問題も発生しなかったのではないのか、蘭越の観光業者
へのニセコ町の責任が問われた問題です。

またもう1件は「町有地における立木の盗難被害について」です。
ニセコ町字羊蹄7番地にある町所有の約3ヘクタールの山林で天然混合林、
林齢41年の樹木が無断伐採されていたことが5月12日の現地調査で発覚。
伐採されてからすでに3年が経過しており、被害額は約37万円になるとの
ことです。伐採者が特定できないので告発することもできず対処する
ことができないとのことでした。

私は3ヘクタールもの土地の立木が伐採されていたことに3年も気付かず放置して
おいた問題は町に責任があると思っています。こうした盗難は現行犯逮捕でなければ
告発できないので、これも町は知らないうちに起こってしまったことで
「仕方ありません」と言った態度でした。あまり問題意識、責任感は感じられません
でした。また議員の方からも特に町の管理責任を追及する姿勢は全く見られませんでした。
被害額が少ないこともあり、「不問に付す」ということではないでしょうか。

赤十字奉仕団北海道支部 道南ブロック協議会総会・研修会

2014-10-03 22:51:11 | 活動日誌
10月2・3日、函館湯の川観光ホテルに於いて、赤十字奉仕団
道南ブロック協議会総会と研修会が開催され出席しました。
ニセコ町赤十字奉仕団から過去最高の12名が出席しました。
役員8名全員と会員4名でした。全体では約140名の参加が
ありました。
参加地区は函館、室蘭、苫小牧、登別、伊達、北斗の6市からと
松前、知内、森、鹿部、福島、ニセコ、余市、白老、豊浦、浦河の
10町でした。

1日目の研修会は「奉仕団の活性化について・奉仕団の役割」と題して
日本赤十字社北海道支部の橋田雄一事業部長からの講話がありました。

2日目の研修会は「防災について・災害時に求められるボランティア活動」
と題して函館赤十字病院の常田智子看護係長から東日本救護活動報告:
東日本大震災の実践活動について現地での活動状況と日本赤十字社の
こころのケア、災害時のストレス反応について具体的な活動内容の
詳しい報告がありました。

私は赤十字の活動には普段から共感して、会員として活動に参加させて
いただいておりますが、赤十字活動の基本である【ボランティア】の意味は
自発的な意思に基づき、何かに貢献するとあります。
このボランティアの精神と赤十字奉仕団の【奉仕】の精神とは矛盾する
ものがあるのではないかと感じています。

【奉仕】は謹んで仕えること。奉事。献身的に国家・社会のために尽くすこと。
 とあります。
【奉事】は長上につかえること。とあります。
【長上】とは年長、目上とあります。

私は赤十字のボランティア活動に楽しく参加させていただいていますが、
奉仕(目上の方に謹んでお仕えする)活動に参加する気はありません。
【奉仕】という言葉がどこから来たのか、語源は「Ministration」を
世話、奉仕、援助と訳したことにあるようですが、よく理解できません。

【ボランティア】と【奉仕】の意味には根本的に相反する、矛盾する意味を
含んでいると思っています。
ボランティア=奉仕と単純に結び付けて、何の疑問を持たずに活動することに
違和感を抱いています。
赤十字の【奉仕】の意味についてこれからもっと議論しても良いのではない
かと思いますが、いかがでしょうか。

ニセコ町 町名改正50周年記念式

2014-10-01 23:43:07 | 町の行事
今日10月1日は狩太町からニセコ町へ町名を改正して50周年に当たります。
ニセコ町民センターで午後2時から記念式がしめやかに開催されました。

町名について (ニセコリゾート観光協会の説明から抜粋します)
【ニセコ町は、1964年までは「狩太(かりぶと)町」という名称でした。
「狩太」というまちは、1901年、隣の真狩村(まっかりむら)から分村し
 誕生しました。分村するとき、新しい村となる地域で最も栄えていた地区が
「真狩太(まっかりぶと)」と呼ばれていたので、その地名の一部を利用し
「狩太村」としました。 1963年、ニセコアンヌプリ一帯が「ニセコ・積丹・
小樽海岸国定公園」 に指定されました。このとき、国鉄(現JR)の駅名は
「狩太駅」でした。地域ではニセコの玄関口である狩太駅を「ニセコ駅」へ
変更しようと働きかけましたが、当時の国鉄は駅名は地名であるという方針
を持っており、「ニセコ」に変更することができませんでした。
そこで、その活動は発展して町名を変更するまでにいたり、1964年に
「ニセコ町」が誕生することになりました。】

当時の町長は笠原町長、改名のきっかけになったのは南谷議員の駅名を
ニセコ駅に改名してはどうかという発言が発端でした。

ニセコ町が現在のニセコ町に発展した由縁は「狩太町」から「ニセコ町」に
改名したことによると思います。

私はこの記念式でニセコ町のコーラスグループ、コールブーケの会員として
“ふるさと(嵐)”と“ニセコ町の歌”の合唱に参加しました。
コーラスを聞いた町民の方々から「素晴らし歌だった、涙があふれてきた」
と大変賞賛していただき、すっかり感激させられてしまいました。