斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

芽室町議会フォーラムに参加しました

2014-01-29 17:48:15 | 政治
芽室町議会から「平成25年度芽室町議会フォーラム」開催の
ご案内をいただき参加しました。
【テーマ】は「議会は『町民の思い』をどのように政策化するか」
1月26日(日)10:00~16:20、芽室町駅前の駅前プラザで
開催されました。
第1部「議会報告と町民との意見交換会」
第2部基調講演「住民の願いを実現する議会からの政策サイクル」
講師 山梨学院大学法学部教授 江藤俊昭氏
第3部 パネルディスカッション
「議会は『町民の思い』をどのように政策化するか」
パネリスト
山梨学院大学法学部教授 江藤俊昭氏
福島県会津若松氏議会議員(前議長)目黒章三郎氏
長野県飯田市議会議員(議会運営委員長)清水可晴氏
芽室町議会モニター 江崎満氏
芽室町議会議長 広瀬重雄氏
コーディネーター議会運営委員会委員長 小倉孝雄氏

芽室町は10年前から議会改革へ向けて様々な取組を行い、
2013年3月定例会で議会基本条例を議決し4月1日から施行。
「町民に分かりやすく、開かれ、行動する議会」を目指していること。
芽室町議会は北海道大学公共政策大学院とも連携し、今回のフォーラムの
講師である山梨学院大学の江藤俊昭氏をサポーターに議会改革を積極的
推進する姿勢は見習うべきものがたくさんあると思います。

誰のための、何のための議会・議員であるのか、常に町民の目線に立って
研鑽する姿勢こそ議会に求められることであり、各議員が常に自らに
問い質される原点になるのではないかと思います。

全道の市町村から議長・副議長・議員・事務局長他、60名余名
が参加し、主催の芽室町議会関係者を含め約90名の参加がありました。
芽室町までJRで片道約6時間、2泊3日の旅になりました。


議会報告・町民との意見交換会・研修会

2014-01-25 10:36:55 | 議員活動
来る2月13日(木)夜6時半からニセコ町議会主催で議会報告会を開催します。
場所は町民センター2階 研修室1です。
テーマは公共施設の整備についてです。
町民以外の方々も参加できますので、ぜひご出席下さい。

24日(金)は議員全員集まり、議会報告会へ向けて打ち合わせをおこないました。
公共施設の整備といってもたくさんありますが、最も大きな事業としては
ニセコ町役場庁舎の再整備ではないかと思います。

この後議員会の研修があり「ニセコ町の防災対策について」総務課千葉参事より
説明をうけました。防災の中でも原子力防災計画が最も深刻な課題です。
あらゆる状況を想定して31ページにわたる退避等措置計画(素案)の資料他
を元に説明を受けました。
しかしいざ原発事故が起こった時、その事故のレベル・時期・時間・天候・風向き
等々多くの問題をどう判断して避難するか、課題は限りなくあります。
その中で、まず町民の方々に原発事故そのものについて、よく認識し理解して
もらうことが、第一歩であり、最大の課題ではないかと思います。

この後は議員会主催で新年会が「いこいの村」で開かれ、議員10名他、
副町長、教育長、監査委員、原子力防災説明員の千葉参事、議会事務局員
2名の16名の参加がありました。

ニセコ町寿大学・老人クラブ連合会合同新年交流会

2014-01-21 22:46:02 | 地域活動
寿大学と老人クラブの合同新年交流会が町民センター大ホール
で行われ出席しました。参加者は80名~90名位でした。

初めにニセコ町寿大学学長である菊地博教育長のご挨拶があり、
つづいて来賓の片山町長、高橋議長から祝辞をいただきました。
乾杯につづき余興のプログラムではカラオケと踊りが披露され、
高齢者の元気な活躍ぶりを存分に見せていただきました。

今や人生90年時代、健康で自立した長寿をつづけられるように
私たちの生き方を考えていかなければならないと思います。
私は高齢者に対して“老人”という表現よりも“実年・熟年”
(実って熟す)という言葉がふさわしいのではないかと思っています。

北海道の高齢者人口の状況は2013年3月31日現在の住民基本台帳に
よると179自治体の中でニセコ町の人口は4,723人でその比率と順位は
65歳以上は1,189人で25.2% 156位
75歳以上は 655人で13.9% 144位となっています。
ニセコ町の高齢化率は全国平均並みで高い方ではありません。

ニセコ町ではこれから乳幼児の人口が増えることが予測されているので
高齢者の比率は現状維持か下がることも考えられます。

後志町村女性議員協議会総会

2014-01-20 23:34:11 | 政治
後志町村女性議員協会総会が20日(月)に開催されました。
後志19町村の女性議員は現在15名ですがその内会員は13名です。
総会には13名中10名が出席しました。
(出席予定の3名は急きょ身内の不幸と病気のため欠席で残念です。)

後志町村女性議員協議会は会則が1993年2月26日施行とすることから
発足してから約20年ほどになると思います。
「この会は、女性議員相互が超党派的立場で諸活動を推進し女性議員の
資質の向上を図るとともに、各自治体ひいては後志の発展に寄与すること
を目的とする。」とあります。

各町村は千差万別、議会も様々、女性議員ならではの悩みをたくさん抱えています。
こうした女性議員同士の交流・意見交換は大変貴重であり、女性議員を増やすためにも
もっと盛んになってよいと考えています。

女性議員協議会(北海道女性議員協議会も含み)に対して経費を出す議会と
経費を出さない議会、これまで出していたにも関わらず女性議員協議会が果たす
役割、なぜ今必要か理解できず話し合いもせず、一方的に打ち切ろうとする議会など
議長の判断で後退する議会もあり、時代の流れに逆行する行為はその議会の体質を
よく現しています。

住民の半数以上が女性であり、日々の生活と密着している女性が「政策決定の場」に
約10%にも満たない現状は政治の貧困さを招く大きな原因になっています。
まだまだ男性優位・男性思考型社会の中で、この格差の打開が健全な社会の発展への
鍵になっていると考えてます。

1995年1月17日5時46分

2014-01-17 13:48:22 | 災害
もう19年目という時の流れが経ったのかとつくづく思います。
あの日以来すっかり地震のトラウマに罹ってしまい今だに
癒えることはありません。小さな地震にも神経がピリピリします。
私の記憶では地震直後から大小様々な余震が1年余りに渡って
800回位つづいたように思います。
地震が来る度にまたあの大きな地震が、いやもっと大きな地震が
来るのではないかという恐怖に絶えず怯えていました。

この地震が起こるまで神戸は地震のない街と思い込んでいました。
あとで専門家たちの研究によるとこうした大地震が発生する可能性は
十分あったことが分かってきました。

夜明けにしては1月の半ばはまだ真っ暗で私たち家族は熟睡中でした。
突然頭の上からまるでブルトーザーが大きな音を立てて
ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダと押し寄せてくるような感覚が
つづきました。頭の所にあった大きな洋ダンスが上下したのだと思います。
“地震だ!!!”と気付き起き上って、カーテンを開けて外をみましたが、
まだ真っ暗で家の周りは静で誰一人外へ飛び出している人はいませんでした。
*しかしあとでこの時間にすでに起きていた人の話ではとても立っていられる
 状態ではなかったと話しています。

少しづつ外が白け初め、最初に目にしたのは隣の家の方が、犬を連れて
散歩をしているいつもと変わらぬ光景でした。
一体あの地震は?何だったんだろう?と思われるほどでした。

私はカメラを持って家中の様子を映して歩きました。
洗面所の棚に無造作に置いてあった陶器のカップが落ちて割れていたことと、
地下にあったワインの瓶が棚から落ちて数本割れていた程度で幸い我が家は
ほとんど無傷に近い状態でした。

ご近所では瓦の屋根が崩れたり、半壊、一部倒壊、家具の下敷きになった人たちも
いることがあとでわかりましたが、けが人が出るまでには至りませんでした。
ライフラインは一時全て止まりましたが、水を除いては徐々に回復していきました。
神戸市でも西外れの離れた場所でしたので被害は一番少なかったようでした。

これが私が最初に見た阪神淡路大震災の幕開けでした。
まさか6,000人余りの死者が出る惨事になるとは当初は全く想像も
つきませんでした。この震災を通じてさまざまな経験・体験をしました。

阪神淡路大震災を機に、以来日本における本格的な『ボランティア元年』が
始まったといえます。