1月29日(月)の議員協議会の協議事項です。
13:00~13:30 ニセコ町住生活基本計画について
ニセコ町空き家等対策計画について
上記の計画案の説明が建設課課長、係長、職員の3名出席も元、
以下のような説明がありました。
ニセコ町の人口増で住宅施策が近々の問題である。
高齢者向け住宅の整備が必要。今後高齢者人口の増加が予測される。
高齢になっても既存住宅に安心して暮らせるよう、住宅のバリアフリー化や、
生活支援サービスなどハード・ソフトの両面での対策が必要である。
ニセコ町の公営住宅の供給状況について
2017年(平成29年)7月現在で
公営住宅 54棟312戸、特定公共賃貸住宅(特公賃) 4棟40戸、
町単独住宅 2棟48戸 合計60棟400戸が供給されている。
新築住宅の供給状況について
2007年(平成19年)~2016年(平成28年)の10年間で553戸。
持家が234戸、貸家302戸で貸家が多くなっている。
特に貸家は2015年74戸、2016年126戸と急増している。
空家対策
国は2014年(平成26年)11月27日「空家等対策の推進に関する特別措置法」
を成立し、各市町村が空家等対策を取り組むための法整備を行った。
ニセコ町では、2011年(平成23年)から「しりべし空家BANK」と協力し、
空家対策を行っているほか、「ニセコ町景観条例」に基づき景観上問題のある
廃屋について指導等を行っている。
2016年(平成28年)には、ニセコ不動産業協会と協定を結び、別荘・空家等の
管理体制整備も行っている。「ニセコ町空家等対策計画」を策定する。
以上がおおまかな説明です。
ニセコ町の空き家率は2.1%と非常に低い比率になっています。
空き家所有者にアンケートを行ったところ、60代~70代が80%を占めている
ことがわかりました。
不動産業界と連携して有効活用を検討していく必要があります。
13:35~15:00
新庁舎建築基本設計(案)についての説明
役場から黒瀧総務課参事他2名とアトリエブンクから3名の6名が出席。
新庁舎整備のこれまでの経緯、新庁舎建設基本設計の進捗状況について、
A3サイズの資料16ページと模型を展示して説明がありました、
この議員協議会での私の結論は
庁舎は新築され、防災センターを兼ね備えた立派な新しい庁舎になっても、
基本的に設計、構想は従来と何も変わらないものであり、ニセコ町の
未来を見据えた新しい発想のある役場庁舎とは程遠いいものであると
いう感じがしています。日本中どこにでもある普通の庁舎です。
私はAGORAアゴラ(ギリシャ語の集会所・広場)を基に町民が自由に
いつでも集い合える集会所=議場を1階に置くことを提案してきました。
議員誰一人として、また建設関係の職員誰にもまた建築設計会社も含めて
全く理解してもらえませんが、役場庁舎は誰のために、何のためにあるのか
もう一度原点に戻って考えてみて欲しいと思います。ニセコ町「まちづくり
基本条例」の目的をもう一度よく考えて、それを実行・実現するために
何を考え、なにが必要か思考することではないかと思います。
確かに日本中に私が理想として提案しているようなそうした役場庁舎は
ありません。だからこそニセコ町に日本で初めての町民参加を基本に
据えた議場のある役場庁舎にしてもらいたいという希望・願望があります。
議会での発言・討議は議員と説明員に限定せずに時には議員ではない町民も
議会へ参加して発言できるような議会運営を描いています。
議会こそが町民に一番近い、利用しやすい場所にあることが重要なのです。
議会が開かれている日数は年間で約40日~50日ほどです。普段は町民に
広く開放された居場所として多目的に利用され、町民が互いに交流し、
自ずと情報交換・情報共有できる最高の広場として役場庁舎があることを
念じています。人口5,000人のまちだからこそできることがあると思います。
13:00~13:30 ニセコ町住生活基本計画について
ニセコ町空き家等対策計画について
上記の計画案の説明が建設課課長、係長、職員の3名出席も元、
以下のような説明がありました。
ニセコ町の人口増で住宅施策が近々の問題である。
高齢者向け住宅の整備が必要。今後高齢者人口の増加が予測される。
高齢になっても既存住宅に安心して暮らせるよう、住宅のバリアフリー化や、
生活支援サービスなどハード・ソフトの両面での対策が必要である。
ニセコ町の公営住宅の供給状況について
2017年(平成29年)7月現在で
公営住宅 54棟312戸、特定公共賃貸住宅(特公賃) 4棟40戸、
町単独住宅 2棟48戸 合計60棟400戸が供給されている。
新築住宅の供給状況について
2007年(平成19年)~2016年(平成28年)の10年間で553戸。
持家が234戸、貸家302戸で貸家が多くなっている。
特に貸家は2015年74戸、2016年126戸と急増している。
空家対策
国は2014年(平成26年)11月27日「空家等対策の推進に関する特別措置法」
を成立し、各市町村が空家等対策を取り組むための法整備を行った。
ニセコ町では、2011年(平成23年)から「しりべし空家BANK」と協力し、
空家対策を行っているほか、「ニセコ町景観条例」に基づき景観上問題のある
廃屋について指導等を行っている。
2016年(平成28年)には、ニセコ不動産業協会と協定を結び、別荘・空家等の
管理体制整備も行っている。「ニセコ町空家等対策計画」を策定する。
以上がおおまかな説明です。
ニセコ町の空き家率は2.1%と非常に低い比率になっています。
空き家所有者にアンケートを行ったところ、60代~70代が80%を占めている
ことがわかりました。
不動産業界と連携して有効活用を検討していく必要があります。
13:35~15:00
新庁舎建築基本設計(案)についての説明
役場から黒瀧総務課参事他2名とアトリエブンクから3名の6名が出席。
新庁舎整備のこれまでの経緯、新庁舎建設基本設計の進捗状況について、
A3サイズの資料16ページと模型を展示して説明がありました、
この議員協議会での私の結論は
庁舎は新築され、防災センターを兼ね備えた立派な新しい庁舎になっても、
基本的に設計、構想は従来と何も変わらないものであり、ニセコ町の
未来を見据えた新しい発想のある役場庁舎とは程遠いいものであると
いう感じがしています。日本中どこにでもある普通の庁舎です。
私はAGORAアゴラ(ギリシャ語の集会所・広場)を基に町民が自由に
いつでも集い合える集会所=議場を1階に置くことを提案してきました。
議員誰一人として、また建設関係の職員誰にもまた建築設計会社も含めて
全く理解してもらえませんが、役場庁舎は誰のために、何のためにあるのか
もう一度原点に戻って考えてみて欲しいと思います。ニセコ町「まちづくり
基本条例」の目的をもう一度よく考えて、それを実行・実現するために
何を考え、なにが必要か思考することではないかと思います。
確かに日本中に私が理想として提案しているようなそうした役場庁舎は
ありません。だからこそニセコ町に日本で初めての町民参加を基本に
据えた議場のある役場庁舎にしてもらいたいという希望・願望があります。
議会での発言・討議は議員と説明員に限定せずに時には議員ではない町民も
議会へ参加して発言できるような議会運営を描いています。
議会こそが町民に一番近い、利用しやすい場所にあることが重要なのです。
議会が開かれている日数は年間で約40日~50日ほどです。普段は町民に
広く開放された居場所として多目的に利用され、町民が互いに交流し、
自ずと情報交換・情報共有できる最高の広場として役場庁舎があることを
念じています。人口5,000人のまちだからこそできることがあると思います。
久しぶりに戸籍謄本を取り寄せにニセコ町役場に立ち寄りました。
戸籍証明書等請求書用紙の生年月日の所に明治・大正・昭和・平成
と並び一番下の段に西暦という文字を見つけました。
さっそく西暦の方に記入しました。
「もっと知りたいことしの仕事」の表紙は2014年まで元号のみで
書かれていましたが、2015年版から表紙の真ん中に大きく2015年が
表記されていました。下の方に元号がこれまで通りに載っています。
また今年2月発行の「議会だより」No172号からは発行年を西暦と
元号を併記することになりました。
この西暦表記について2013年6月議会で「公文書の元号と西暦の
使用について」一般質問を行っています。元号と西暦を併記して
記入できるように提案しました。元号のみの表記だと年数を数え
るのに様々な混乱が生じてきます。
先日の老人クラブでも年齢の確認で明治生まれの人はいませんでしたが、
大正、昭和、平成と重なるのでその分差し引かなければなりません。
そして来年2019年5月1日からまた新たな元号が始まります。
とすると5代にわたる元号を体験する高齢者もいる可能性があります。
1911年(明治44年)生まれの方は、2019年の新たな元号になると
108歳以上になり5世代の元号に渡ることになります。
近年100歳を超える長寿の方が急速に増えてきています。
そこで一体何人いるのか調べてみました。
以下は2017年9月15日付け日本経済新聞からの記事です。
100歳以上、最多の6万7千人 最高齢は117歳
厚生労働省は15日、100歳以上の高齢者が全国に6万7824人いると
発表した。前年から2132人増え、47年連続の増加。今年度中に
100歳になる人も3万2097人と過去最多だった。大半は女性で、
5万9627人と87.9%を占めている。
100歳以上の人数を都道府県別にみると、東京が最多の5835人で、
神奈川3737人、大阪3559人。人口10万人当たりの人数が最も多いのは、
5年連続で島根(97.54人)、鳥取(92.11人)、高知(91.26人)。
100歳以上の人数は調査が始まった1963年は153人だった。
98年に1万人、2012年に5万人、15年に6万人をそれぞれ突破した。
今年度中に100歳を迎える3万2097人のうち、女性が2万7461人と
85.6%を占める。都道府県別では東京の2720人が最多。
国はお祝い状と記念品として「銀杯」を贈る。
戸籍証明書等請求書用紙の生年月日の所に明治・大正・昭和・平成
と並び一番下の段に西暦という文字を見つけました。
さっそく西暦の方に記入しました。
「もっと知りたいことしの仕事」の表紙は2014年まで元号のみで
書かれていましたが、2015年版から表紙の真ん中に大きく2015年が
表記されていました。下の方に元号がこれまで通りに載っています。
また今年2月発行の「議会だより」No172号からは発行年を西暦と
元号を併記することになりました。
この西暦表記について2013年6月議会で「公文書の元号と西暦の
使用について」一般質問を行っています。元号と西暦を併記して
記入できるように提案しました。元号のみの表記だと年数を数え
るのに様々な混乱が生じてきます。
先日の老人クラブでも年齢の確認で明治生まれの人はいませんでしたが、
大正、昭和、平成と重なるのでその分差し引かなければなりません。
そして来年2019年5月1日からまた新たな元号が始まります。
とすると5代にわたる元号を体験する高齢者もいる可能性があります。
1911年(明治44年)生まれの方は、2019年の新たな元号になると
108歳以上になり5世代の元号に渡ることになります。
近年100歳を超える長寿の方が急速に増えてきています。
そこで一体何人いるのか調べてみました。
以下は2017年9月15日付け日本経済新聞からの記事です。
100歳以上、最多の6万7千人 最高齢は117歳
厚生労働省は15日、100歳以上の高齢者が全国に6万7824人いると
発表した。前年から2132人増え、47年連続の増加。今年度中に
100歳になる人も3万2097人と過去最多だった。大半は女性で、
5万9627人と87.9%を占めている。
100歳以上の人数を都道府県別にみると、東京が最多の5835人で、
神奈川3737人、大阪3559人。人口10万人当たりの人数が最も多いのは、
5年連続で島根(97.54人)、鳥取(92.11人)、高知(91.26人)。
100歳以上の人数は調査が始まった1963年は153人だった。
98年に1万人、2012年に5万人、15年に6万人をそれぞれ突破した。
今年度中に100歳を迎える3万2097人のうち、女性が2万7461人と
85.6%を占める。都道府県別では東京の2720人が最多。
国はお祝い状と記念品として「銀杯」を贈る。
知床100平方メートル運動40周年記念講演会と
知床100平方メートル運動推進北海道支部 設立総会が
来る2月24日(土)北海道大学総合博物館 S105室で
午後2時から開催されます。
記念講演会の講師は午來 昌氏(元斜里町長)です。
問合せ:斜里町役場 総務部 環境課 自然環境係
電話:0152-23-3131
Fax:0152-23-4150
E-Mail 100m2@town.shari.hokkaido.jp
この運動のことは新聞その他で少しだけは知っていましたが、
協力会員になったきっかけは2014年5月にニセコ町で開催された
【ニセコ会議】でした。この運動のパンフレットを手にして早速
申し込んだのを覚えています。このトラスト運動というのはイギリスに
居た時に【ナショナルトラスト】の会員だったので、日本にも同じような
運動が始まったのはとても良いことと思ったのを覚えています。
しかし、会員になるチャンスがありませんでした。
【ニセコ会議】で手にしたパンフレットに、申込書があったので、
早速申し込みました。
こうした自然遺産を大切に保護して未来へ残していこうとする運動が
日本中に広がっていくことを念じています。
知床と言えばもう数十年前になりますが、北大理学部山の会のメンバー
のとき、羅臼岳と硫黄山を縦走しました。カムイワッカの滝で入浴した
ことも、その時の記憶は今も鮮やかに残っています。その後斜里岳に
登りました。まだその頃は交通の便が無くて、斜里岳の帰りは数十キロ
歩いて町に着いた記憶があります。途中熊の足跡や糞をたくさん見かけました。
知床に行ったのはこの1回限りで、約1週間の日程でテントと山小屋で
過しただけですが、いつかまた行ってみたいと思っています。
以下は朝日新聞2016年11月26日からの記事です。
世界自然遺産知床の歴史
1964年6月 - 知床半島が知床国立公園に指定
1986年~1987年 「知床国有林伐採問題」発生
1998年 - 斜里町、羅臼町の町予算に世界遺産登録事業費が計上
2003年 - 日本政府が知床を世界遺産物件としてユネスコに推薦する
ことを決定
2004年 - ユネスコに対して推薦状を提出
2004年7月 - IUCNによる実地調査
2005年7月 - 世界自然遺産として正式登録
知床に自然大学院大学を 午来昌
羅臼岳(右奥)のふもとに「しれとこ100平方メートル運動」の
参加者の名簿が並ぶ=1986年
●午来昌 元斜里町長
ごらい・さかえ 元斜里町長 1936年、斜里町ウトロ生まれ。
開拓農家の3代目として生まれ、農業や山ガイドに従事。
斜里町長を5期20年務め、世界遺産登録を見届け勇退。
現在は知床自然大学院大学設立財団評議員。
■再生の困難さ・保全の歴史学ぶ
2005年、知床はユネスコの世界遺産に登録された。
世界の宝として認められ、世界に向けて発信できる土台ができた。
次なる目標は、地元としてどんなアクションプログラムを組むこ
とができるのか。
07年4月に斜里町長を退いた後、民間の皆さんがワーキンググループを
立ち上げ、町も加わり、知床に自然保護を学ぶ大学院大学を創ろうという
計画が生まれた。17年の開学を目指したが、残念ながら資金が集まらず、
スタートは大幅に遅れる見込みだ。
しかし、何としても実現させたいと考えている。
◇ ◇ ◇
斜里町人口1万2千人。羅臼町6千人。知床半島は古くは縄文時代の
初期から今日まで自然の恵みを受けてきた。人も動物も、森と川、海を
守りながら数千年を経て今日がある。知床の価値とは、流氷をはじめ
とする厳しい環境がつくりあげた自然生態系と生物多様性だ。
だが、この大地に住む人々は、自然との闘いの中に畏敬の念を持ちながらも、
生きるために、森を、大地を、海を、荒らして来た。私もこの地に生まれ
育った人間として反省し、変わりゆく故郷を見るにつけ、環境の大切さを
思うようになった。
知床は1964年に国立公園に指定されたが、70年代初めに日本列島
改造論が全国に広がると、入植し苦労を重ね離農した開拓者の土地を、
不動産業者が現ナマをちらつかせ安い価格で買い占め始めた。
同じ農家の仲間として無性に腹が立ち、当時斜里町議だった私は
藤谷豊町長(故人)に直訴した。町長はすぐ行動を起こし、道庁、
農水省、環境庁や大学の先生方にも精力的に要請活動をするも、
救うことはできなかった。
そんな時、朝日新聞の「天声人語」で紹介された英国のナショナルトラスト
運動に注目した藤谷町長が77年、トップダウンで決断したのが
「しれとこ100平方メートル運動」だった。
「知床で夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、全国から寄付を募り、
土地の買い上げや森林再生のための資金とする。多くの人々の協力で、
支援の輪は全国へ広がった。あれから40年になるが、つい昨日のように頭をよぎる。
その後に起きた国有林伐採問題で、私は伐採賛成の町長と戦い87年に当選する。
首長として豊かなオホーツク海と知床の環境を守ることが何よりも大切と心に
決めて歩き始めた。子や孫の世代が未来に夢を抱き、故郷に誇りが持てる
町の姿を求め、羅臼町と協力して知床を世界遺産として残すことができた。
半世紀にわたって自然保護運動にかかわる中、様々な問題が起こったが
知床に生きる人々の思いを結集し、開発計画などに歯止めをかけることが
できたのは、この地に生きる一人として誇りに思う。
◇ ◇ ◇
だからこそ、知床に自然大学院大学をつくりたい。
斜里町と羅臼町、小さな町の大きな挑戦である。変わりゆく地球、野生動物と人間、
そして生態系との調和にどう答えを出してゆくのか? 知床をフィールドに
学ぶこととは、豊かな自然に触れるだけでなく、失われた自然の再生が
いかに大変か、環境を守るために重ねてきた歴史を実感できることでもある。
知床の現場でそうしたノウハウを学んだ「ワイルドライフ・マネジャー」を育て、
全国、世界へと送り出したい。これこそが未来への贈り物となるはずだ。
知床100平方メートル運動推進北海道支部 設立総会が
来る2月24日(土)北海道大学総合博物館 S105室で
午後2時から開催されます。
記念講演会の講師は午來 昌氏(元斜里町長)です。
問合せ:斜里町役場 総務部 環境課 自然環境係
電話:0152-23-3131
Fax:0152-23-4150
E-Mail 100m2@town.shari.hokkaido.jp
この運動のことは新聞その他で少しだけは知っていましたが、
協力会員になったきっかけは2014年5月にニセコ町で開催された
【ニセコ会議】でした。この運動のパンフレットを手にして早速
申し込んだのを覚えています。このトラスト運動というのはイギリスに
居た時に【ナショナルトラスト】の会員だったので、日本にも同じような
運動が始まったのはとても良いことと思ったのを覚えています。
しかし、会員になるチャンスがありませんでした。
【ニセコ会議】で手にしたパンフレットに、申込書があったので、
早速申し込みました。
こうした自然遺産を大切に保護して未来へ残していこうとする運動が
日本中に広がっていくことを念じています。
知床と言えばもう数十年前になりますが、北大理学部山の会のメンバー
のとき、羅臼岳と硫黄山を縦走しました。カムイワッカの滝で入浴した
ことも、その時の記憶は今も鮮やかに残っています。その後斜里岳に
登りました。まだその頃は交通の便が無くて、斜里岳の帰りは数十キロ
歩いて町に着いた記憶があります。途中熊の足跡や糞をたくさん見かけました。
知床に行ったのはこの1回限りで、約1週間の日程でテントと山小屋で
過しただけですが、いつかまた行ってみたいと思っています。
以下は朝日新聞2016年11月26日からの記事です。
世界自然遺産知床の歴史
1964年6月 - 知床半島が知床国立公園に指定
1986年~1987年 「知床国有林伐採問題」発生
1998年 - 斜里町、羅臼町の町予算に世界遺産登録事業費が計上
2003年 - 日本政府が知床を世界遺産物件としてユネスコに推薦する
ことを決定
2004年 - ユネスコに対して推薦状を提出
2004年7月 - IUCNによる実地調査
2005年7月 - 世界自然遺産として正式登録
知床に自然大学院大学を 午来昌
羅臼岳(右奥)のふもとに「しれとこ100平方メートル運動」の
参加者の名簿が並ぶ=1986年
●午来昌 元斜里町長
ごらい・さかえ 元斜里町長 1936年、斜里町ウトロ生まれ。
開拓農家の3代目として生まれ、農業や山ガイドに従事。
斜里町長を5期20年務め、世界遺産登録を見届け勇退。
現在は知床自然大学院大学設立財団評議員。
■再生の困難さ・保全の歴史学ぶ
2005年、知床はユネスコの世界遺産に登録された。
世界の宝として認められ、世界に向けて発信できる土台ができた。
次なる目標は、地元としてどんなアクションプログラムを組むこ
とができるのか。
07年4月に斜里町長を退いた後、民間の皆さんがワーキンググループを
立ち上げ、町も加わり、知床に自然保護を学ぶ大学院大学を創ろうという
計画が生まれた。17年の開学を目指したが、残念ながら資金が集まらず、
スタートは大幅に遅れる見込みだ。
しかし、何としても実現させたいと考えている。
◇ ◇ ◇
斜里町人口1万2千人。羅臼町6千人。知床半島は古くは縄文時代の
初期から今日まで自然の恵みを受けてきた。人も動物も、森と川、海を
守りながら数千年を経て今日がある。知床の価値とは、流氷をはじめ
とする厳しい環境がつくりあげた自然生態系と生物多様性だ。
だが、この大地に住む人々は、自然との闘いの中に畏敬の念を持ちながらも、
生きるために、森を、大地を、海を、荒らして来た。私もこの地に生まれ
育った人間として反省し、変わりゆく故郷を見るにつけ、環境の大切さを
思うようになった。
知床は1964年に国立公園に指定されたが、70年代初めに日本列島
改造論が全国に広がると、入植し苦労を重ね離農した開拓者の土地を、
不動産業者が現ナマをちらつかせ安い価格で買い占め始めた。
同じ農家の仲間として無性に腹が立ち、当時斜里町議だった私は
藤谷豊町長(故人)に直訴した。町長はすぐ行動を起こし、道庁、
農水省、環境庁や大学の先生方にも精力的に要請活動をするも、
救うことはできなかった。
そんな時、朝日新聞の「天声人語」で紹介された英国のナショナルトラスト
運動に注目した藤谷町長が77年、トップダウンで決断したのが
「しれとこ100平方メートル運動」だった。
「知床で夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、全国から寄付を募り、
土地の買い上げや森林再生のための資金とする。多くの人々の協力で、
支援の輪は全国へ広がった。あれから40年になるが、つい昨日のように頭をよぎる。
その後に起きた国有林伐採問題で、私は伐採賛成の町長と戦い87年に当選する。
首長として豊かなオホーツク海と知床の環境を守ることが何よりも大切と心に
決めて歩き始めた。子や孫の世代が未来に夢を抱き、故郷に誇りが持てる
町の姿を求め、羅臼町と協力して知床を世界遺産として残すことができた。
半世紀にわたって自然保護運動にかかわる中、様々な問題が起こったが
知床に生きる人々の思いを結集し、開発計画などに歯止めをかけることが
できたのは、この地に生きる一人として誇りに思う。
◇ ◇ ◇
だからこそ、知床に自然大学院大学をつくりたい。
斜里町と羅臼町、小さな町の大きな挑戦である。変わりゆく地球、野生動物と人間、
そして生態系との調和にどう答えを出してゆくのか? 知床をフィールドに
学ぶこととは、豊かな自然に触れるだけでなく、失われた自然の再生が
いかに大変か、環境を守るために重ねてきた歴史を実感できることでもある。
知床の現場でそうしたノウハウを学んだ「ワイルドライフ・マネジャー」を育て、
全国、世界へと送り出したい。これこそが未来への贈り物となるはずだ。
今年も《第28回おおたき国際スキーマラソン》が2月12日(月)に
開催されます。
2013年2月から初めて、今年で6回目の参加になります。
これまで確か3㎞2回、5㎞2回、8㎞1回に参加してきました。
スキーマラソンは男女とも15㎞で、年齢別に40歳未満~70歳以上
の5段階に分けられています。歩くスキーコースは7,5,3㎞で上・
中・初心者の3コースです。この7㎞は今年から新設されたコースで、
この7㎞のコースに参加します。
今日は少し曇っていましたが、風もなく穏やかな冬日和でちょうど
昼間の時間帯に約7㎞歩きました。今年2回目の練習ですが、
靴の履き方も慣れていなくて、息子に手伝ってもらって無事履けました。
その後、息子に履き方の指導を受けました。「ありがとう、助かったわ!」
原因は靴底に雪が少しくっついていたため、スキー板に靴が上手く
嵌まらなくて装着できなかったようです。
家の周りを7㎞歩くのにアップダウンがあるとはいえ、なんと1時間30分も
かかってしまいました。本番は10時半スタートで12時50分閉鎖なので
2時間20分もあれば完走できそうですが、年々タイムは遅くなってきて
います。一方、高齢の参加者が増えているので、順位は上がってきて
いるようです。不思議と本番になるとタイムはずっと良くなります。
周囲に刺激されてやる気が起こってくるからのようです。
頭の中では7㎞1時間が目標でしたが、今日の様子では無理なので、
80分を目標にしたいと思いますが、お天気が良ければ時間を気にせず
歩くスキーを十分に楽しんでゴールできれば満足です。
開催されます。
2013年2月から初めて、今年で6回目の参加になります。
これまで確か3㎞2回、5㎞2回、8㎞1回に参加してきました。
スキーマラソンは男女とも15㎞で、年齢別に40歳未満~70歳以上
の5段階に分けられています。歩くスキーコースは7,5,3㎞で上・
中・初心者の3コースです。この7㎞は今年から新設されたコースで、
この7㎞のコースに参加します。
今日は少し曇っていましたが、風もなく穏やかな冬日和でちょうど
昼間の時間帯に約7㎞歩きました。今年2回目の練習ですが、
靴の履き方も慣れていなくて、息子に手伝ってもらって無事履けました。
その後、息子に履き方の指導を受けました。「ありがとう、助かったわ!」
原因は靴底に雪が少しくっついていたため、スキー板に靴が上手く
嵌まらなくて装着できなかったようです。
家の周りを7㎞歩くのにアップダウンがあるとはいえ、なんと1時間30分も
かかってしまいました。本番は10時半スタートで12時50分閉鎖なので
2時間20分もあれば完走できそうですが、年々タイムは遅くなってきて
います。一方、高齢の参加者が増えているので、順位は上がってきて
いるようです。不思議と本番になるとタイムはずっと良くなります。
周囲に刺激されてやる気が起こってくるからのようです。
頭の中では7㎞1時間が目標でしたが、今日の様子では無理なので、
80分を目標にしたいと思いますが、お天気が良ければ時間を気にせず
歩くスキーを十分に楽しんでゴールできれば満足です。