斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

初七日

2013-11-03 22:31:39 | その他
今日3日は母が逝って初七日になります。
96歳の生涯でした。老衰でした。
最後まで“気力”で自身の生を全うした感じがします。

病院に見舞うごとにこれが最後になるかもしれないと
思いながら心の準備は出来ていたつもりですが、
葬儀を終えて、今は虚脱状態のような感じです。

家族と極一部の近親者のみの葬儀でした。
子ども、孫、曾孫たちに囲まれて見送られ
旅立って行った母は幸せな生涯だったと思います。

  曼珠沙華極楽浄土をみる思ひ<(9月に詠んだ句)

母に贈った句になったように思います。


貪瞋痴(とんじんち)

2013-03-02 17:40:39 | その他
今日3月2日は父の祥月命日です。
私は4人兄弟姉妹の末で兄が2人いますが、事情があってか、
実家の仏壇を家に預かってから10数年になります。
お坊さんには年3回、父の祥月命日、お盆、新年に
お経をあげていただき、お寺の行事にも参加していますが、
信者ではありません。
しかし宗教というものに強い興味・関心があります。

お坊さんに尋ねると今日はなんと父の23回忌でした。
存命なら101歳になります。
母は高齢で施設にいることもあって、父の法事の事など誰一人
として言い出す者もなく、預かっている実家の仏壇はどうなるか
時々考えさせられます。

この仏壇は曽祖父の時代からあり、100年以上が経ち、
置かれている仏像の裏には「享保第十二丁・・・」奉開眼とあり、
過去帳の一番古い年代では弘化3年と記されています。
(昭和の初めごろに書き換えられているので、追記した可能性
もありますが?真偽はわかりません。)

弘化3年は明治維新前の孝明天皇朝1846年に当たります。
この時曽祖父はすでに北海道に渡って来ていたのか、
歴史に思いを馳せられます。札幌の豊平川の豊平橋のそば、
今のルネッサンスホテルの辺りで、初めは居酒屋を営み、
(本州からお酒を仕入れ)まもなく少し離れた所で造り酒屋を
開業し終戦まで営業していたと聞いています。

その酒造業をしていた酒蔵は戦後20年以上は住居として利用され、
私はそこで生まれて10歳まで育ちました。壁の厚さは40~50㎝位
あり、真夏でも20度位の温度で快適だったことを思い出します。
ある建築家がその酒蔵を解体する前に克明に写真を撮り写真集を
出しています。(解体時は日本にいなかったので、一度だけ、
帰国後その写真集を見せてもらったことがあります。)
未来の住居は冷暖房がなくても住むのに適した温度を一定に
保てる構造を目標にしたいものです。

1856年(安政3年)~1858年(安政5年)にかけて蝦夷地の
探検に来た松浦武四郎は豊平川を遡りここに立ち寄ったのでは?、
他にも間宮林蔵、最上徳内、近藤重蔵は?等、多くの探検家や、
蝦夷地に渡って来た人たちの休憩地点になっていたのでは!?
あれこれ勝手に想像が広がります。

仏壇とは別に20数年前、父から生前それぞれ朱塗りの厨子に入った
仏像3体を渡されました。一番大きい厨子で縦30、幅25、奥行き15㎝、
次が27,17,12㎝、一番小さい厨子で26,11,9㎝あります。

父から「これは大切なものだから、大事にするように」と
言われました。
仏像には金箔が施され、その裏には大正6年5月15日と記された
像が2体、8月7日と記された仏像が1体、それぞれの仏像の裏に
いろいろ文字が記されていますが、いずれも感得主は曾祖母です。
一体の中に曾祖母の年齢が記されており、今の私と同じ年でした。
大正6年(1917年)は、ロシア革命の起こった年、
1914年~1918年は第1次世界大戦の最中でした。

歴史を調べていくとその当時の様子が限りなく広がってきて
のめり込んでしまいそうですが、今しばらくはお預けして
本業の仕事に打ち込まねばなりません。

《貧瞋痴》は6年余り前、昆布のお寺でのお説教から教わりました。
今日も原発エネルギー問題からその議論が展開しました。
人間の持つ《三毒》をどこまで抑えられるか、これからの
人類のエネルギー政策の方向性と結びついていることは
確かな気がします。

貧瞋痴(とんじんち):人間が生まれながらに持つ《三毒》
貧=貪欲、あくなき欲望 
瞋=自分の心に逆らうものを怒り、恨むこと、
痴=言っても仕方のないことを言って嘆くこと、




“吹雪”に想うこと

2013-01-02 23:08:39 | その他
冬のニセコは吹雪く日が多くこれがニセコらしさかも
しれません。
昨年11月18日の初雪以来、今年は特に吹雪く日が
多いように感じます。12月の始めに降った雪は
そのまま溶けることなく根雪になりました。
積雪は今の所例年並みか、大雪情報はありません。

今もまた時々吹雪く音が轟音のように唸ります。
風向きも一瞬に変わります。
道を歩いているとよそれがよく分かります。
今向かい風と思ったら、いきなり横殴りに変わり、
足元から噴き上げたかと思うと今度は頭の上の方から
吹き下りてくる、“変幻自在”とは猛吹雪にぴったりの
言葉のように思います。

こうした冬のニセコは自然現象ですが、もし猛吹雪の中で
泊原発事故が発生したら一体どうなるのか、猛吹雪に
阻まれ雪道を逃げるに逃げられない状況に追い込まれ、
放射能汚染から住民を避難させるための正確な情報発信
など果たして可能かどうか、原発がある限り不安が
なくなることはないように思います。

ジェロントロジー

2012-06-07 22:03:43 | その他
「ジェロントロジー」という聞きなれない言葉をご存じない
方も多いのではないかと思います。
日本語では「老年学」・「加齢学」と訳されているそうですが、
本来のイメージとは異なってきますので「ジェロントロジー」
のままで内容を理解されていく方が良いのではないかと
思います。

「ジェロントロジー」は急速に進む高齢化社会を医学、介護、
福祉の立場に加え社会学、心理、工学、経済、法律の
幅広い分野から総合的に研究・教育していく領域です。

日本は世界で最も長寿化が進み65歳以上の高齢化率は
1960年から2010年までの過去50年間で総人口に占める
割合が5.7%から23.1%へと4倍以上増加しています。

2030年には団塊の世代が80歳を超え65歳以上の高齢者が
人口の3分の1を占めることになり人類がかつて経験した
ことのない超高齢化社会を迎えることになります。
私たちはどういう意識をもって人生設計をしていくか、
この新しい状況に対応した新しい社会をどのように構築
できるか今その転換点に立っていると言えます。

私たちは後世に何を残していけるのか。
自分ができることは何なのかを考え、行動を始めなければ
ならないと思います。
新しい国づくり、まちづくりが必要です。

少し先のことになりますが、今年2012年10月26日(金)
18:30~ニセコ町民センターで「ジェロントロジー」の
講演会を予定しております。

講師は朝倉利光氏  
NPO法人北海道ジェロントロジー推進協会理事長
北海学園大学前学長、北海道大学名誉教授

朝倉利光先生は超高齢化社会の研究の第一人者として
2010年12月NPO法人「北海道ジェロントロジー推進協会」
を発足、講演会などで普及、啓蒙活動をつづけております。

超高齢化社会は豊かな長寿社会になりえるか、元気な
高齢者の社会参加と、対応が今後の重要な問題になると
思います。

ぜひご参加下さい。




ニセコにも桜の花が咲き始めました

2012-05-07 15:47:22 | その他
予報では5月5日頃からお天気が良くなるとのことでしたが、晴れたり、曇ったり、雨が降ったりと変化に富んだ肌寒い日々です。

ふと気がつくと“桜の花”!が咲き始めています。
“もうニセコに”との想いがしました。

札幌では5月の連休初めから桜が咲き始め、25度を超す夏日もあり、一日で開花と満開が
同時になり、このような珍しい現象は初めてとのことです。

今日倶知安からの帰り道、国道5号線から宮山に桜の木が一本だけ咲いているのが
はっきりと見えました。一瞬でしたが、宮山全体が薄らとピンク色に包まれている
ような感じがしました。

4年前から植樹した千本近い桜の苗木が一年一年と成長して少しづつ花をつけ始め、
それがかすかにピンク色を醸し出しているのかもしれません。

あと5年、10年経つと、本当に宮山は一面ピンク一色に染まる日が来ることでしょう。
今から楽しみです。