いきなりですが、神様を信じていますか?
神様というか、神的存在、造物主。
いやいや、宗教の勧誘じゃないです。私も特になにかの宗教に帰依してるわけではありません。
私は少なくともトシヤを育てる過程で、信じざるを得ないというか、信じないと今の自分の存在の意味が分からなくなってしまったので、疑うことなくいます。
ただ、信じてますということが、具体的にどういうことを指すのか?と言われたら、ちゃんと答えられませんでした。
ところが最近、ふと、わかったんです。
自分に与えられた容姿、肉体の状態、生まれ育った環境、人間としての本能(欲とかも含む)などは勿論のこと、途中で与えられる試練、逆境なども、すべて神様から貰ったカードであり、その持ち札のみで自分はシアワセになっていける・・・と、信じることが、神様を信じてるということなんじゃないかなと。
自分に配られたカードだけで勝負する、という考えは、かれこれ15年くらい前にエッセイにも書いていますが、その当時の心境は、逆境に何とか抵抗して攻めの姿勢で生きていくぞ!という剛腕系のものでした。
そして10数年経った今、相変わらず逆境モードの続く人生にいる私の心境は、攻めではなく、「よかよか」という受容の思いに変わってきたのです。
このところ相方の仕事が忙しく、トシヤの入浴介助を平日に頼めないので私が主にやっていますが、やっぱり私がやるのを快く思っていないトシヤは、風呂場でよく暴れて私を叩いたり突き飛ばしたりします。
力が強いので、私も怪我をすることが多いし、ほんとにめげてしまいます。
どうして私だけがいつまでもこんな思いをしなくちゃならないんだろうと、正直思います。
そういうことを含めて、「私はトシヤがいるけど自分の道を究めるぞ」と、ずっと思ってやってきたのだけど、
すごく肩に力が入っていたこともあっただろうし、すごく悲壮感が漂う考えだったなと。
それを「私はトシヤがいるから自分の道を究められるんだぞ」=シアワセになれるんだぞ、と考えられたら、次元すら変わるような気がしたのです。
天から与えられたものに要らないものはない。
生きるというのは、手持ちのカードを活かし切る(生かし切る)ことじゃないだろうか。
そしてそれが、神様を信じるということじゃないだろうか。
明日から相方は海外出張となり、私とトシヤのふたりだけの生活になります。
自分に与えられているものを丁寧に探索してみる機会かもと思っています。