今朝、駅の自動改札に私につられて入って機械に行く手を阻まれ、トシヤは跳び上がって怒ってしまった。
自分が駅員さんにパスを見せて通ることをすっかり忘れてしまったせいなのだけど。
「トシヤが間違ったんでしょ?」とクールに対応して、それ以上興奮させないようにするとじきに収まる。
トシヤはちょっとした失敗にパニックになる。
自分で失敗したと思ったときもそうだけど、失敗したことを人に指摘されたときなんかが特に堪えるようで、飛んだり跳ねたり大騒ぎになる。
前にここで紹介した、自閉症の中学生が書いた本(「自閉症の僕が跳びはねる理由」)にもそのことが書いてある。
『僕は、何か失敗すると頭の中が真っ暗になります。泣いてわめいて大騒ぎ、何も考えられなくなってしまうのです。(中略)例えばコップに水を注ぐ時に、少しでも水がこぼれることさえ僕は我慢ができません』
それがいったいどういうことを意味するのかは不明だけれど、スムーズに流れていたことが失敗で中断される(秩序が乱れる)のが我慢できなくなるのかな?とも思えるのだけどどうでしょう。
今日もデイサービスの帰りに、ギラギラと日差しが痛い中をふたりで駅まで歩いた。
私はバッグに日傘と手がふさがっているのに、トシヤは一瞬も私の腕から手を離さず、手首をつかまれたまま歩くので暑苦しくてしょうがない
でも、時おり風が吹いてくるのが救いだ。
通る人もいない道を風に吹かれて歩いていると、こうやって手首をつかまれてふたりで歩くのも、私だけしか知らない私の人生のひとコマなのだと思った。
他の人には無意味で関わりもないこの時間でさえ、私の貴重な時間のひとかけら。
息子の奇妙な行動は、手のひらからさらさらとこぼれ落ちていく瞬間をハイスピードカメラで捉えてくれるような効用もあるのだ。