私の気質。
たとえていうならマグロ、つまり回遊魚と同じ。
泳ぎ続けていないと死んでしまう。
私がトシヤという人と出会ってからの興味の対象は、「わたしってなに?」ということに尽きる。
なぜこのように重い障害を負った子どもが私を親として生まれてきたのだろう?という思いがすべての始まりで、そこから「じゃあ、その私って何者?」「私の人生の課題は何?」「では、人間ってなぜ存在するの?なんのために生きるの?」「魂とは?宇宙とは?」と、興味は尽きることもなく今も強く私の思考や行動に影響を与えている。
トシヤが生まれるまで、私は私自身のことをまるで知らないのも同然だった。
自分がわからないのだから、他人のことなどもってのほか。
ほんとに未熟で世間知らずな母親。
言葉も話さず、(当時の私の)理解を越えた行動を繰り返すトシヤのことを知るためには、まず私を知らねばならない。
私は自分を表現出来そうな手段を見つけることに終始した。
それは、染織だったり水彩画だったり文章だったりしたのだけれど、文章を書くようになってから、自分の深い部分を見つめ癒す効果があることを知り、これこそが自分の天命だと思った。
書くことは悶えるほど苦しくて、だが楽しいものだった。
書くという手段で、私はトシヤから得たことを発信することを覚えた。
それをちゃんと見ていてくれた人がいたのは幸いだった。
私は夢にまで見た著書を世に出すことが出来た。
その後、前の記事で書いた思春期の嵐が訪れ、私の表現活動は2年ほどの休止を余儀なくされ、トシヤが群馬に行くようになって出会ったのが色によるセラピー、今のセラピーアクセサリー制作のきっかけになったものである。
なぜまたそういう方向へ?と思われるかもしれない。
私の中では、実は何の矛盾もないのだけれど。
まず、トシヤが言葉を使わない人だったということで、彼の内面を知るのに水彩画の色や反応する音を手がかりにしてきたという経験から、私に馴染みのある色(染織をやっていた)で何かを伝えられないだろうかと思ったのだ。
言葉は便利である。
しかし、自分の伝えたいことを余すことなく表現できるかというと、残念ながら違う。
言葉には限界があるし、相手のキャパからはみ出たものは伝わらない。
文章のグレードを上げる極意は、結局本人の人間性を上げることだと知ってから、すべて人間が生み出すものは生み出す本人そのものなのだと気がついた。
だから私は、究極的にアクセサリー(色と形)を作るところに行きついたように思う。
興味の矢印は内へ向かうが、それはまた外へ向かわなければ(開放されなければ)成長は出来ないことも知った。
ヒトの魂はどうすれば人として成長するのかをあらかじめ知っていると思う。
だから自分の胸に「何がしたいの?」と問うてみて、素直に従う。
きっと苦労するだろうと想像がつくことでも、自分を含めて誰かがきっと幸せな顔になることがはっきり浮かべばチャレンジが出来る。
私は以前本にも、ヒトは何のために生きるのかという答えを「生きるために生きる」のだとトシヤが教えてくれたと書いた。
今ならば「活きるために生きる」あるいは「生きるために活きる」とでも書くだろうか。
私が心豊かに生きれば、おそらくトシヤも安心して活ききってくれると信じている。
トシヤという人の存在の大きさを初めに示唆して下さった竹田先生に、今というタイミングで再会出来たことも偶然ではなさそうだ。
(余談だけれど、私の「智天使工房」という名、天使のモチーフにこだわることもトシヤの本質に影響されているのだと先生に指摘されました)
たまにしか紹介しないけど、これが私の著書です↓
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