福岡・男児殺害 逮捕の母「面倒見るの大変」 自分は病弱 追い詰められ…(産経新聞) - goo ニュース
皆さんもニュースで知ってらっしゃますね、この事件。
私は原則としてこのブログでは、あえて個々の社会的な問題を特筆することはしておりません。
私だっていろんなことにいろんな感想や意見を持っていますが、書かないと決めています。
ただ、今回のことは他人さまのブログなどを読んだりしているうちに、言いたいことが喉元までこみ上げてきてるような状態なので、戒めを破ります。
報道されている範囲でしか当事者のことはわからない。だからいい加減なことは言えない。・・・というのが普段書きたくない理由ですが、このお子さんが発達障碍を持たれていて(報道ではADHD)かつ母親が病弱だったということは確かなようです。
うちの場合と比較してみるというのも乱暴なことかもしれないけど、あまりに子どもの行動障害が手におえなくて追い詰められてしまう、という気持ちはわかるのです。
私もトシヤのその時々の年齢に応じていろんな苦悩を体験しました。
ただ、まだ小学生くらいまでは何とか乗り越えられる(体も力も親の方が勝ってる)と思うのだけど、この母親は布団から起き上がれない日もあったというので、その辺りですでに悲観的になっていたのかもしれません。
うちが一番凄かったのは中学時代。
血反吐を吐くという表現がありますけど、そんな感じ。
育児に悩むなんて生っちょろい話じゃない。
人に相談したところで、誰が何をやってくれるというのか?
誰が世話をし、お風呂に入れてくれるというのか?
うちは家族にトシヤが暴れてると電話したら「なら警察呼べば?」と言われたこともあるし、家族だからって助けてくれる家ばかりじゃないんです。
私の場合、友人たちが根気よく話を聞いてくれ、時には一緒に学校へ行ってくれ、自分の家に私たちを泊めてくれたりと、ほんとに周りの方にとても助けられたから事なきを得た。
ほんとにほんとに感謝してます。
それを乗り越えられたから、今が天国?ってくらい幸せです。
トシヤも成長出来る場に出会うことが出来たし。
だから、この母親もお子さんもとても残念に思います。
ほんとに残念。
私だって自分のことしかわからない。
だからいろんなことを言う人も、決して発達障害児を育ててる母親のことはわからないでしょ。
なんだかんだ言って健常の子とは雲泥の差があるんです。
他人の冷たい視線もいまだにあります。
それに、親は離婚や死別でなければ父親だって親さ。
なぜ父親の話が出ないんでしょ?
(余談だけど、この前バスをトシヤと二人で待ってたとき、行き先が違うバスが来たので「これには乗れないよ」と言った途端、散々待ってたのに!って自傷が始まったんです。
そしたら、私たちの前に並んでたお爺さんが私に「こういう子、頭の線が1本か2本切れてるんだな。かわいそうにな」と言いました。
まあ、私は既にそんな暴言には慣れてるので、「そうですかね~~」とニッコリスルーしましたが。
そういうこと、日常茶飯事あるんですって。あんだーすたん?)
正義を振りかざすのはとても簡単。
でも、その出来事の背景にあるものもよく見ようとした上で糾弾すべきと、自分にも言い聞かせてます。