落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『夜の糸ぐるま』(3)

2012-04-22 06:03:54 | 現代小説
短編『夜の糸ぐるま』(3)
「呑竜仲店協同組合」




 呑竜マーケットの正式名は「呑竜仲店協同組合」といいます。
代表は、「スナック由多加」のママを50年以上も務めている、洋子さん(71)。
読んでいて、『おや?』と感じた方が(たぶん)居ると思います。
戦後直後の闇市から始まったと言う、古い歴史がここには残っています。



 呑竜仲店が生まれたのは、終戦直後の1947年(昭和22年)。
故郷に復員してきた人々が、まずバラックを建てたというのが、その始まりです。
前橋の中心部と言う立地の好条件も有り、衣料や食料などを調達する闇市として発展をします。
規模が広がるにつれて、さらに人々が集まってくるようになります。
飲食店や駄菓子屋なども立ち並び、やがて30店舗がひしめくようになると、
ここは誰ともなく、『呑竜マーケット』と呼ばれるようになりました。



 スナックや居酒屋などが中心の「飲み屋横丁」に変ったのは1960年代に入ってからです。
流しの歌手が、ギターやアコーディオンを手にスナックに飛び入りしては、
客たちに、流行歌などを披露していたと言います。



 そんな呑竜マーケートを、一大惨事が襲います。
1982年(昭和57年)、1月18日、午後5時5分頃。
前橋市の中心市街地に残った最後の、木造大型マーケットで火災を知らせる
非常ベルの音がけたたましく鳴り響きました。



 『戦後そのままの木造住宅に、改装に改装を重ねて、そのまま使っていた結果、
火の回りが早く、あっという間に焼け落ちた』と、当時の地元紙が火事の模様を伝えています。
飲食店が密集していた場所だけに、火の回りはきわめて早く、
瞬く間に、町中の大火災になってしまいました。
『スズラン』や『ニチイ』、『西武』といった、市内きっての大型デパートまでが、
火災のもうもうたる黒煙に覆われ、近隣を走っている国道17号や、立川町通りも
一瞬にして、交通マヒ状態に陥ってしまいました。
まさに、街中の大惨事の始まりです。



 結局、近隣ビルなどとも合わせて、
約660平方メートルが、この火災によって消失をしてしまいました。
仲店内にあった30店舗のうちの23店舗が、全半焼の被害を受けました。
当時、呑竜には2階もあり、おおくが住居用としても使用していました。
そこからは、6世帯が焼き出されてしまいます。
ただひとつ幸いなことに、この火災での死傷者は、誰一人出ていません。

 発見通報が早かったことと、
多くのお店が開店する前の時間帯だった事が幸いをしたようです。
上州特有の強い北風(からっ風)が吹いていなかったことで、焼失の被害が
あれだけの範囲で収まったとも言われています。
火事の原因は、ガス器具の不始末でした。



 丸焼けになった呑竜は、現在の建築基準法制定以前に建てられた
既存不適格建造物とされていたために、焼失のその後になってから、きわめて厳しい、
再建への道を歩むことになりました。
しかし当時の店主たちや、おおくの常連客たちは、絶望視されていた再建を
ものの見事に達成をしてしまいます。


 とりわけ、今なお、ママさんがネオンを灯し続けている
「由多加」の故・マスターが、復興のために、きわめての尽力を成し遂げます。
1年数ヶ月という短期間で、今日の呑竜仲店の基礎を作りあげます。
煙草をくわえた代表の洋子ママは、それでも、いつものように、ただにっこりと笑って、
当たり前のように、ここの歴史について語りはじめます・・・・。



 「まぁね・・・・
 苦労話を語りはじめたら、ちっとやそっとじゃ終わりません。
 なにせ、50年間分の生きざまが、ここには、ぎっしりと詰まってんだもの。
 ひと言でいえば、『義理』と『人情』と『安らぎ』を求めて、
 呑んべぃ達が夜な夜な集まってくる、ここは折り紙つきの酔っ払いの横丁だ。
 一年が経つなんて、あっという間の出来事だよ。
 桜が咲いて・・・多くの出会いと別れの有る春が来て。
 雷さんに追っかけられて・・・夕立ちでびしょぬれになる、そんな夏が来て。
 山が色づいて紅葉が真っ赤になると・・・人が恋しくなる秋がやって来る。
 冬になれば、またいつものように雪の気配と一緒になって、定番のからっ風が吹いてくる。
 それがここの、前橋の一年分だ。
 それを、50数回も繰り返したのが、ここの横丁の歴史だよ。
 あたしゃこのかた、もう、70数回もそれを繰り返しているけどね。あっはっは」








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