落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第16話

2013-03-23 09:40:26 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第16話
「原発労働者との初めての出会い」




 「お待たせ、出来たよ」

 俊彦が温かい蕎麦を響の前へ運んできました。
ドンブリから立ち上る湯気の向こう側から、響の瞳がまっすぐ俊彦を見つめています。
岡本と二人の若い者はすでに帰り、すっかり静かをとり戻した六連星の店内では、
温かい蕎麦をすする響と、煙草をくゆらせている俊彦が
なぜか、向かい合わせに座っています。


 「トシさんは・・・・
 なんで前の奥さんと別れちゃったんですか。
 お母さんから聞いた話では、とても仲の良い幼馴染同士だったと、伺いましたが」


 「別れたのは、すべて俺の不始末が原因だ。
 女房には、なにひとつとして、なんの問題もなかった。
 若かったから俺もずいぶんと仕事もしたが、その分遊びも派手だった。
 俺が、勝手で我がまま過ぎたせいだろう。
 他にたぶん、別れた理由はないだろう。
 なんだい、藪から棒に・・・・」

 「いいえ・・・・ただトシさんみたいに誠実な人が、
 何故、離婚してしまったのかなと、ふと、思っただけです」


 「誠実ねぇ・・・。
 俺もそれなりに歳をとったから、丸くなっただけの話だ。
 若いころには、やんちゃばかりをしでかして、ずいぶんと女房を泣かせた。
 不良の岡本にすら、ずいぶんと説教をされたもんだ。
 堅気のくせに、いいかげんにしろって、ね」

 「お子さんは?。」



 「残念ながら出来なかった。
 いや、幸いにと言うべきなのかな、別れてしまった今となっては・・・・
 兄弟は妹が一人だけいる。
 しかしたった一人の妹も、ずいぶんと遠い処に嫁いでしまった。
 ふた親ともに早くに亡くなったから、早い話が天涯孤独みたいなもんだ。
 そのぶん、悪友どもが多いから、あまり退屈はしていないけどね」


 「悪友?。岡本さん、みたいな人たちのことですか?」



 「奴は、俺の同級生の一人だ。
 生き方はまったく別の世界になるが、なぜかお互いに気が合って長いつきあいになる。
 あいつも・・・・君のお母さんに、惚れぬいていた時代があったはずだ。
 おっと、今のは失言だ。思わず口が滑ってしまった。
 本人の名誉のためにも、今の発言は忘れてくれ」

 「トシさんは・・・・、私のお母さんのことは、好きですか」

 「え。・・・・」

 「あ、ごめんなさい。調子にのりすぎました。
 ついうっかり、私まで口が滑っちゃっいました。
 今のは取り消します。忘れてください」



 温かいうちに、いただきますと響が言いかけた時、『ごめんよ』と細い声が聞こえてきて、
蕎麦屋・六連星の引き戸が、ゆっくりと、静かに開きました。



 「すこぶる遅い時間だとは思いますが・・・・久々に来たもので顔を出しました。
 トシさんは・・・・相変らず、お元気でいますか」


 いきなり現れた、無精ひげだらけの凄まじい男の風貌を見て、
箸をもったままの響が、思わず椅子から、あわてて腰を浮かせてしまいました。
俊彦は笑いながら「大丈夫だよ」と、響の肩を抑えます。



 「熊みたいで、たしかに見た目は確かに良くないが、
 こいつも、俺の大事な友人の一人だよ。
 名前は、戸田勇作と言って、かつて俺のアパートで一年ほど一緒に暮らした間柄だ。
 決して怪しい者では無いが、初めて会うやつは
 たいていお前さんと、同じようなリアクションを取る。
 勇作さんにも紹介をしておこう。
 この子は俺の同級生の娘さんで、名前は響だ。
 一文字で、交響曲のひびきと書く。
 訳あって、その友人から預かっているところだ。
 今のところ、俺のところで同居をしている」


 「嫁さんにしては若すぎるし、病人にしては元気すぎる。
 なるほど、そう言うことですか。
 戸田勇作と言います。
 病気で死にかけていたところを、
 岡本さんと、トシさんに助けられた者の一人です。
 お嬢さんには耳慣れない病気でしょうが、『原発ぶらぶら病』というやるで、
 最近になってから、認定をされた病気です」



 「原発ぶらぶら病?  なんですか、それって」



 箸を手にしたまま、まだ中腰の姿勢の響が、いぶかしい目で雄作を見つめています。


 「気にしないでくれ勇作さん。
 こいつは、いつもこういう奴で、本人的には悪気がないものの、
 どうも土足で、人の心の中に踏み込むという、変な癖と特徴をもっている。
 24歳になったと本人は言うが、どうにも、あまりにも世間の事を知らないようだ。
 いま、旨いものでも用意をするから、こいつに
 原発の実態と言うやつを、たっぷりと教えてやってくれ。
 どうもこいつはいまだに未成熟で、自分がこの先でなにをしたいのか、
 まだ目的と言うものが見つかっていないようだ。
 今もクラブでアルバイトをしているが、それでも自分の人生を持て余している有様だ。
 世の中の厳しい現実っていうやつを、少し教えてやってくれ。
 いくらかこいつも、目も覚めるだろう」



 (確かに私は、トシさんの言うとおり曖昧なままに生きているけど、
 でも、ちょっと待てよ。今たしか、私の歳を24歳と言ったわよねぇ、トシさんは。
 なんでトシさんが、私が本当は 24歳だと知っているわけ? 
 おかしいな、なんで年齢がばれたんだろう・・・・誰かに聞いたのかしら)



 響のいぶかる視線が、今度は厨房へと向かう俊彦の背中を追いかけています。
無精ひげだらけの勇作が、響とひとつ隔てた真向かいのテーブルに腰をおろしました。


 「あら、雄作さん。
 そんなに遠慮をなさらずに、どうぞこちらへ。
 いま紹介をされた、世間知らずの響です。
 姓は正田(しょうだ)で、母は、湯西川で芸者をしています。
 訳あって家出中ですが、母とトシさんは旧知の仲のようでして、
 先日も仲良く、温泉で談笑などをしておりました」



 「・・・・なるほど、たしかに個性的なお嬢さんです。
 急な質問で申し訳ありませんが、その若さで、将来への夢とか、希望は
 どんなふうにお持ちでしょうか。
 差し支えが無ければ、聞かせてもらえるとありがたいですねぇ。
 トシさんならずとも、わたしら年寄りには興味があります」


 勇作の無精ひげには点々として白いものが混じっています。
ろくに櫛も通していない乱れた頭髪にも、半分ほどが白髪が混じっていて、
綺麗に整えればロマンスグレーとも呼べそうですが、その現状を見る限りでは。
ホームレスの乱れ髪のようにしか見えません。
土色に近い顔色と皮膚からは、ほとんど生気というものが感じられません。
皺だらけの指先は、絶えず小刻みに震えています。
それでも響は、おだやかな笑顔のまま、ま正面からこの雄作を見つています。


 「私は、父を探して、勝手に湯西川を出ました。
 というよりも、やるべきことが湯西川という土地では狭すぎて、
 見つからなかったというのが本音です。
 目標が見つからなかった湯西川を飛び出して、何かを求めて
 刺激のある東京へ出てみましたが、そこもまた、
 私のような田舎者には、さっぱりと落ち着かないだけの空間でした。
 やはり母に支えられていないと、私はまだ何も出来ないようです。
 都会と言うものが怖くなって、ここまで戻ってきましたが、ちょっとしたことから
 トシさんに拾ってもらいました。
 でも、ここでもまた私は、目標が見えずに、
 ただ、とりあえず此処に居るだけの生活をただただ続けています」



 「なるほど育ちがよすぎるうえに、嘘もつけない性格のようです。
 お母さんの躾(しつけ)が、そのような方針だったのかもしれません。
 私の身の上を話してもいいのですが・・・・
 きわめて壮絶すぎて、とてもではありませんが、うら若いお嬢さんが、
 楽しく聞けるお話ではありません。
 原発病は、かつては『原爆症』とも呼ばれていました。
 ご存じでしょう、広島と長崎に落とされた原子爆弾の脅威を。
 私の病気の起源は、そこからははじまります
 いいんですか、これから暗い話が始まりますよ、お嬢さん。
 それでも、その先をどうしても聞きたいですか?」



 「是非に・・・・」


 居ずまいを正した響が、テーブルの上へ、箸を綺麗に揃えて置きます。
(なんだろう、原爆病って。初めて聞くわ・・・・)早くも持ち前の好奇心が、
またまた響の中で、ざわざわと動きはじめました。





(17)へ、つづく






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