落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (21)30年前のビニールハウス

2014-06-04 07:30:45 | 現代小説
東京電力集金人 (21)30年前のビニールハウス





 「こいつは約30年前に建てられたハウスだが、補強を繰り返しながらいまだに現役だ。
 地中に埋められているパイプ部分はすでに腐食していてボロボロさ。
 鉄製だからずいぶんとあちこち錆びてきているが、それでもこいつはいまだに元気だ。
 法的な耐用年数は14年と決められているが、あくまでも税制上での話だ。
 こいつと同じように補強しながら生きている、20年物や30年物のビニールハウスは、
 この近郊には、たくさんある」

 人1人がようやく通れるだけ除雪されたハウスへの道を、先輩が先に立って歩く。
長靴を履いたジャージ姿のるみは、真近にみるビニールハウスの様子がよほど珍しいのか、
歩くたびに、仔細に内部の様子を覗いていく。

 「私の住んでいた福島とは、すこしビニールハウスの建て方が違うようですねぇ」


 「雪国や東北では、雪害による倒壊の恐れが有るため、厳しい条例が徹底している。
 パイプの太さも、22ミリ以上と条例で決められているはずだ。
 あまり雪の降らないこのあたりでは、19ミリのパイプで作られることがほとんどだ」

 「19ミリでも、このあたりでは大丈夫なのですか?」



 「赤城山南面のこのあたりは、雪はほとんど降らない。
 雪の重みで倒壊したというビニールハウスの話は、聞いたことがない。
 まれに降ることも有るが、たいていは1日で溶けてしまうほどの、淡い雪だ。
 このあたりでは雪対策よりも、冬の強風からビニールを守ることのほうが優先されている。
 黒い帯状のビニール紐で、屋根全体を細かい間隔で抑え込んでいく。
 群馬は11月から4月にかけて、風速10メートル以上の風が90日以上も吹く。
 樹が激しく揺れ、電線がぴゅうぴゅうと鳴る。雨傘なんか簡単に壊されちまうほどだ。
 たまには15メートルを超える風も吹く。
 取り付けの悪い看板が飛ぶこともある、強さだ。
 中心付近の最大風速が、毎時17メートを超えると台風と呼ぶ。
 群馬は、台風か発達した低気圧並みの強風が常に吹き荒れる、土地柄なんだ。
 このあたりのビニールハウスは、風にはとても頑丈に作られている」


 ほら、ここがブリックスナイン発生のビニールハウスだ。と先輩が指をさす。
他のビニールハウスと比較すると、この棟だけが、少し特別なビニールの色をしている。
『なんだかここだけ、ビニールの色が違いますねぇ』とるみが囁く。
『おっ。よく気が付いたなぁ。お前は東北の百姓の出か?』と、先輩がすかさず切り込む。

 「普通高を出て、地元で、酒蔵の杜氏見習いになりました」


 「女だてらに日本酒の杜氏か。へぇぇ、見上げたもんだね、ネエチャンも。
 こいつはガラス繊維入りで、交換が不要という、特別に丈夫なビニール素材だ。
 大人がこの上に乗って歩いても、破れないというほどの強さを持っている。
 汚れが付きにくいために、透明度が落ちないという特徴も持っている。
 だが、こいつにはふたつ、致命的な弱点と欠点が有る。
 ひとつは、普通に焼却処分が出来ないことだ。
 ガラス繊維が入っているために、燃やすと有害な物質が発生をする。
 使用済みとなったものは、専用の袋に入れて生産メーカへ処分品として送り返す。
 そして、もう一つの欠点は」

 「分かった!。ガラス繊維入りで丈夫過ぎるから、破れない。
 だから風にはとても強いけど、その分、雪の重みでハウスが倒壊をしてしまうんだ!」


 「おっ、鋭い考察だ。よくわかったなぁ。その通りだ。
 驚いたなぁお前。その若さでそこまで気が付くとは、やっぱり只ものじゃねぇ。
 太一の彼女にしておくには、惜しい女の子だ。お前さんは」


 「屋根の上から見ていたら、一番先にこのハウスの雪下ろしをしているのが見えました。
 大事なビニールハウスというだけではなく、雪の影響をもろに受けるためだと気が付きました。
 そういうことでしょう?。真っ先にここから雪下ろしを始めた理由は」

 「おう、まさにその通りだ。良く観察しているなぁお前は。じゃ、早速探検と行くか」
と先輩が、父親が残したビニールハウスの入り口を開ける。
2重に下げられたカーテンを大きくたくし上げると、『こっちだ』と入り口で
待機している俺たちを、目で促した。



 「ビニールハウスも30年前のままだが、栽培しているトマトも原種のままだ。
 最近の農家は、栽培のための種は自分では採らない。
 種苗メーカーが品種に合わせ、最適な農薬と肥料をラインナップしているからだ。
 農家は種苗メーカーから苗や種を買い入れて、毎年、ハウスで生産をする。
 そうした関係が正しいかどうかは別にして、日本の農業はそういう循環で動いている。
 いいかえれば日本の農業は、メーカーによる開発と化学(ばけがく)に支えられているんだ。
 いまや日本の農業は、種苗メーカに、1から10までコントロールされていることになる。
 地産の郷土野菜で飯が食えるのは、京都や加賀といった限られた一部の農家だけだ。
 最近の野菜の種はすべて、種苗メーカの実験室から生まれてくる。
 種や苗も、ほとんどすべてを育苗メーカが準備する。
 農家はそいつを畑やハウスに植え、育苗メーカの農薬と肥料を使って野菜を育てる。
 それが現在の日本の農業の実態だ。
 有る意味、農家は、育苗メーカのために働いているようなもんだ」


 『遠慮しないで、中へ入れ。ここは農業がそんな風になる前の百姓たちの気概が、
ちゃんと残っている、そんな場所だ。
いまも当時のままの方法で、おやじたちが開発したフルーツトマトを育てている。
百姓と言うのは、工場労働者じゃないんだぜ。
支給された種や苗を育てているだけじゃ、生産工場で働いている工場労働者と一緒だ。
未来を見つめながら、百姓として、食うための素材を創り上げていく。
時代に流されず、そんな生き方をしたおやじ達の生き方は、本当に凄いと思う。
そんな俺自身の思いも込めて、ここで、昔ながらのフルーツトマトを育てているんだ』
おやじはいい加減でこんな古いハウスは壊せというが、俺の一存で、今でもこうして
原点のトマトを育てているのは、そういうわけだ。と、
先輩が日に焼けた顔をほころばせ、ニコリと俺たち2人を振り返る。


(22)へつづく

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