落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (28)絶対に積もる、と思う

2014-06-20 10:31:16 | 現代小説
東京電力集金人 (28)絶対に積もる、と思う



 14日、午後3時。
先輩のビニールハウスから、清算のために事務所へ戻る。
この時間で90%以上の達成率というのは、久しぶりの快挙だ。
俺たちの仕事にタイムカードはない。ノルマの達成がすべてだからだ。
要するに、その日の集金率が85%を越えれば、いつでも上がっていいということになる。
反面、相手が思うように捕まらず、場合によっては、深夜まで集金に駆け回るときもある。
清算を済ませ、ハンディターミナルと集金用のグッズ類を返却し、事務所を後にする。


 この時点で空は、どんよりとした重い灰色の雲に覆われている。
気象庁はこの時間帯ではまだ、どこにも大雪警報を発令していない。
東京に大雪警報が発令されたのは、これから7時間後の、午後10時半過ぎのことだ。
ひと冬に2回も大雪警報が発令されるのは、1998年以来16年ぶりのことになる。
関東は15日の明け方にかけての大雪におおいな警戒が必要で、気象庁は大雪による交通障害に
警戒を呼びかけるが、だがそれもまた、いまから数時間後の出来事だ。


 午後4時。実家に戻った頃から、にわかに雲行きが怪しくなってきた。
北関東の群馬や栃木では雪は降り始めていないが、隣接する山梨県ではすでに
14日の未明から、すごい勢いで雪が降り始めている。
これは発達した南岸低気圧が、きわめてゆっくりとした速度で北上を続けているためだ。



 午後4時30分。びっしりと垂れこめた灰色の雲から、ついに粉雪が落ちてきた。
乾燥したさらさらとした雪が、ゆるやかな風の中を、ふわふわと舞い始めた。
先週降った雪がまだ溶けずにいる畑は、またたくまに純白となり、一面が銀世界に変わる。
降り始めてからわずか30分。車の往来の激しい幹線道路の路面が、いつのまにか、
真っ白に変わり始める。

 これはきわめて異例な光景だ。
通常、降り始めからの短かい時間では、往来の激しい路面は白くは変わらない。
激しく行きかう車のタイヤが、雪を潰し、路上面で水に変えてしまうからだ。
短時間で路面が白く変わるということは、今回の雪が、通常時をはるかに上回るペースで
降り始めたことを意味する。


 午後5時30分。
実家の窓から外を眺めていたるみが、ぽつんと『この雪は、絶対積もる。それも大量に』
とささやいた。
『積もる雪なのか?』と俺が見つめ返すと、『間違いなく』と
確信に満ちた返事が返ってきた。
『東北で積もるときと、まったく同じ雪の降り方だ。ほら』と、おふくろの
軽乗用車の屋根を、るみが指さす。



 午後から1度も動いていない車の屋根には、早くも10センチほど雪が積もっている。
降り始めてから、わずか30分足らずで車の屋根に10センチの降雪!。
確かに、生まれて初めて平地で見る、信じられない速度の雪の降りかただ。


 粉雪や、水分の少ない乾いた雪が降ることで知られている高原のスキー場では、
こうした光景を、よく見かける。
一晩かけて降り積もった雪が、翌朝にはすっぽりと駐車場の車を覆い隠す。
それとよく似た光景が、海抜が50メートル余りしかないこの関東平野の北部で、
まさに現実として、目の前で起ころうとしている。

 「この降り方は異常だわ。ホワイトバレンタインなんて喜んでいる場合じゃないと思う」

 「そんなに凄いペースか。雪国育ちの君の眼から見ても?」

 「あたしの育った浪江町は、雪国じゃありません。
 福島の内陸部にある豪雪のスキー場と、同じような降り方をしているという意味です。
 きっと積もります、この降り方は。それも、ものすごい量で。絶対に」


 雪の様子を見つめているるみの目が、自信たっぷりに、もう一度言い切る。
気象庁は、南岸低気圧がもたらしているこの雪は、途中から雨に変わると明言している。
雨に変われば、積もった雪も明日の朝には溶けるだろう。
誰しもがそんな風に、積雪の行方を楽観している。
事実、俺自身も積もるだろうが、先週のような大雪にはならないだろうと思い込んでいる。
だが事態は大方の予想に反して、とんでもない方向にむかって動き始める。


 群馬で雪が降りはじめてから、3時間後の午後8時。
有りあわせの材料で作ったという鍋を囲み、3人での遅い夕食が始まった。


 「油断した。警戒はしていたが、みんながこれほど買占めに走るとは思わなかった。
 行きつけの近所のスーパーなんか、午後の4時を過ぎたら、生鮮品がからっぽだ。
 大雪が降るって言うので急いで買い物を済ませ、自宅へ籠城をしたせいだろうね」


 「コンビニを覗いたら、棚の商品がほとんどからっぽです。
 先週の大雪で外出が困難になった経験から、手当り次第に買いあさっているようです。
 手作りのチョコレートを造るはずだったのに、残念ながら、材料が手に入りません。
 ごめんね太一。チョコレートは、来年のバレンタインまで待って頂戴」

 「おや。気が長いんだねぇ、すでに来年のバレンタインデーの予約かい。
 仲がいいんだね、お前さんたちは。
 でもね。折角のバレンタインがこの雪のせいで、なんだか酷いことになりそうだ。
 今夜は泊っておいき、太一。特別に泊まっていく許可を出すから」

 「おっ。ということは別のバレンタインプレゼントが、
 俺を待っているということになるのかな?」



 「馬鹿者。7歳にして男女席を同じうせずということわざが有る。
 男女が、同じ、ござの中で一緒に座ってはいけないという意味です。
 たとえ幼い男女であっても、性の違いを知らないで親しくなってはならないという
 儒教の古い、 厳しい教えです。
 男女のみだらな性の関係を、いましめる為の言葉です。
 もっとも、今の時代にはちょっと合わないところがあるようです。
 でもね。昔はそれだけ男女の間に、厳しい教えがあったということです。
 この雪だもんね。
 明日の朝は早くから長屋の屋根の雪下ろしをするようだから、ここで待機しろということさ。
 でも、るみちゃんは私の部屋でちゃんと寝るんだよ。
 太一のほうは勝手にするがいい。
 自分の部屋でも炬燵でも、好きな場所でごろりと寝なさい」


 (なんだよ、また世間体というやつが俺たちを邪魔するのか)と心の中でつぶやいたとき、
つけっぱなしになっている茶の間のテレビから、大雪に関するとんでもないニュースが
次々と、臨時のテロップとして流れてきた・・・・


(29)へつづく

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