東京電力集金人 (22)フルーツトマトの原点
フルーツトマトを育てているビニールハウスへ、生まれて初めて足を踏み入れたるみは、
トマト苗の細部にまで、いきいきと眼を輝かせる。
3重のカーテンに仕切られるビニールハウス内の温度は、真冬の2月だというのに20度近く有る。
先に立ち、通路を歩いていた先輩が完熟したトマトをひとつ、プチリともぎ取る。
「食ってみな。これが群馬が生んだフルーツトマトの原点だ」
「30年前に開発したという原種のままのトマト・・・これが、その現物ですか」
原種は直径5センチほどの中玉サイズで、果実の頂点に、こんもりとトゲがある。
皮は少し厚めで、豊富な水分の中に、甘さと同時にほんのりとした酸味も含まれている。
「なんだか普通のトマトを、無理矢理甘くしたような感じが口の中に漂っています」
と果肉を口に含んだ瞬間、るみが率直な感想を言う。
「ネエチャン。なかなか鋭い味覚を持っているな。その通りだ。
こいつは普通に育てれば大きな実をつける、桃太郎という名前の品種だ。
特別な方法で栽培することで誕生したのが、この、糖度9%以上のブリックスナインだ」
そのための工夫がこのビニールハウスの中にはいくつも隠されている、と
先輩が、誇らしそうに広々とした空間を指さす。
「トマトは15度から20度の温度の中で育つ、植物だ。
果実にも、葉や茎の表面のいたるところに、無数の産毛を生やす。
環境の厳しい地方で生まれたため、空気中の水分を体内に吸収するための工夫だ。
それを逆手にとって開発された技術が、ギリギリの水分量でトマトを育てるという農法だ」
「ギリギリの水分量で、トマトを育てるのですか。
そのために、こうして最適の温度と水分の管理が出来る、ビニールハウスという
特別な施設が必要になるわけですね・・・・」
「その答えは、半分は当たっているが半分は外れだ。
トマトと言うやつは南米の高地で育ったため、極端なまでに雨を嫌う植物だ。
そのために雨を避けて栽培することが、良質のトマトを育てるために必須となる。
つまりトマトは、ビニールハウスで育てるのにぴったりの野菜なんだ」
「そういえば、トマトは雨の少ない中南米のペルーや、エクアドル周辺の高原地帯を
原産とする野菜だということを、聞いた覚えがあります。
そうした意味から、雨の少ない乾いた環境を好むという性質が生まれたのですか?」
「トマトの雨よけ対策をするのは、収穫前の果実の裂果(れっか)の防止と、
雨による病害の予防が、いちばんの目的だ。
裂果というのは収穫前のトマトの果実に、ヒビや裂け目ができることだ。
果実のヘタのまわりに、同心円状のひび割れや、放射状のひび割れができる。
根から吸収された雨水による果実の急激な膨張が原因で、こうした症状が出る
日本で流通しているトマトの品種のほとんどは、日本の気候の中でも育てやすいように、
品種改良をされているが、基本的に多すぎる水が苦手という性質は変わらない。
雨による病害からトマトを守るという、もうひとつの目的もある。
雨は多くの植物にとっては恵みをもたらすが、同時に様々な病気をもたらす原因にもなる。
雨とともに病気の原因になる病原菌が、一緒に運ばれてくるからだ。
これらの病原菌からトマトを守ることも、雨よけ栽培の大切な要素だ」
「福島では、路地でトマトが実っていたような記憶がありますが・・・・
ふぅ~ん。大変なんですねぇ、売るためのトマトを育てるお仕事っていうのは。
あら。地面の下にもビニールのシートが敷いてありますねぇ。
これではトマトが地下に向かって根を張れません。
こんな厳しい環境の中で育てるのですか、糖度9%以上の、フルーツトマトは」
「トマトの根は、横にも垂直方向にも、実は無限に伸びる。
一本の茎から1メートル四方の範囲に広がる。
放っておけば地中深く1メートルから1.5メートルまで、水分を求めて
どこまでも強欲に地下茎を伸ばす、植物だ」
「なるほど。そのためにわずかな土を表面に置いて、下へビニールを敷くわけですか。
厳しい環境に耐えて育ったものだけが、フルーツトマトになるわけですね。
こんな凄い特産品が有るから、このあたりには、ビニールハウスが多いのですね」
「ビニールハウス農家がこのあたりに増えた原因は、それだけじゃない。
このあたりは、冬場になると強風が吹き荒れる。
防風林が消えちまったいま、強風を対抗できるものと言えば農業用のビニールハウスだ。
赤城おろしの存在が、このあたりに、施設園芸と呼ばれる農業を普及させた。
いいかえればこのあたりは、ビニールハウス農法に特化をした地域だ。
だから間違って大雪でも降ると、農家の連中は朝から夜中まで雪降ろしで大忙しになる。
急いで屋根から雪を降ろさないと、ハウスが潰れちまうからな。
おかげで俺はこの通り、朝からの雪下ろしで、汗びっしょりになっちまった。
あっはっは!」
(23)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
フルーツトマトを育てているビニールハウスへ、生まれて初めて足を踏み入れたるみは、
トマト苗の細部にまで、いきいきと眼を輝かせる。
3重のカーテンに仕切られるビニールハウス内の温度は、真冬の2月だというのに20度近く有る。
先に立ち、通路を歩いていた先輩が完熟したトマトをひとつ、プチリともぎ取る。
「食ってみな。これが群馬が生んだフルーツトマトの原点だ」
「30年前に開発したという原種のままのトマト・・・これが、その現物ですか」
原種は直径5センチほどの中玉サイズで、果実の頂点に、こんもりとトゲがある。
皮は少し厚めで、豊富な水分の中に、甘さと同時にほんのりとした酸味も含まれている。
「なんだか普通のトマトを、無理矢理甘くしたような感じが口の中に漂っています」
と果肉を口に含んだ瞬間、るみが率直な感想を言う。
「ネエチャン。なかなか鋭い味覚を持っているな。その通りだ。
こいつは普通に育てれば大きな実をつける、桃太郎という名前の品種だ。
特別な方法で栽培することで誕生したのが、この、糖度9%以上のブリックスナインだ」
そのための工夫がこのビニールハウスの中にはいくつも隠されている、と
先輩が、誇らしそうに広々とした空間を指さす。
「トマトは15度から20度の温度の中で育つ、植物だ。
果実にも、葉や茎の表面のいたるところに、無数の産毛を生やす。
環境の厳しい地方で生まれたため、空気中の水分を体内に吸収するための工夫だ。
それを逆手にとって開発された技術が、ギリギリの水分量でトマトを育てるという農法だ」
「ギリギリの水分量で、トマトを育てるのですか。
そのために、こうして最適の温度と水分の管理が出来る、ビニールハウスという
特別な施設が必要になるわけですね・・・・」
「その答えは、半分は当たっているが半分は外れだ。
トマトと言うやつは南米の高地で育ったため、極端なまでに雨を嫌う植物だ。
そのために雨を避けて栽培することが、良質のトマトを育てるために必須となる。
つまりトマトは、ビニールハウスで育てるのにぴったりの野菜なんだ」
「そういえば、トマトは雨の少ない中南米のペルーや、エクアドル周辺の高原地帯を
原産とする野菜だということを、聞いた覚えがあります。
そうした意味から、雨の少ない乾いた環境を好むという性質が生まれたのですか?」
「トマトの雨よけ対策をするのは、収穫前の果実の裂果(れっか)の防止と、
雨による病害の予防が、いちばんの目的だ。
裂果というのは収穫前のトマトの果実に、ヒビや裂け目ができることだ。
果実のヘタのまわりに、同心円状のひび割れや、放射状のひび割れができる。
根から吸収された雨水による果実の急激な膨張が原因で、こうした症状が出る
日本で流通しているトマトの品種のほとんどは、日本の気候の中でも育てやすいように、
品種改良をされているが、基本的に多すぎる水が苦手という性質は変わらない。
雨による病害からトマトを守るという、もうひとつの目的もある。
雨は多くの植物にとっては恵みをもたらすが、同時に様々な病気をもたらす原因にもなる。
雨とともに病気の原因になる病原菌が、一緒に運ばれてくるからだ。
これらの病原菌からトマトを守ることも、雨よけ栽培の大切な要素だ」
「福島では、路地でトマトが実っていたような記憶がありますが・・・・
ふぅ~ん。大変なんですねぇ、売るためのトマトを育てるお仕事っていうのは。
あら。地面の下にもビニールのシートが敷いてありますねぇ。
これではトマトが地下に向かって根を張れません。
こんな厳しい環境の中で育てるのですか、糖度9%以上の、フルーツトマトは」
「トマトの根は、横にも垂直方向にも、実は無限に伸びる。
一本の茎から1メートル四方の範囲に広がる。
放っておけば地中深く1メートルから1.5メートルまで、水分を求めて
どこまでも強欲に地下茎を伸ばす、植物だ」
「なるほど。そのためにわずかな土を表面に置いて、下へビニールを敷くわけですか。
厳しい環境に耐えて育ったものだけが、フルーツトマトになるわけですね。
こんな凄い特産品が有るから、このあたりには、ビニールハウスが多いのですね」
「ビニールハウス農家がこのあたりに増えた原因は、それだけじゃない。
このあたりは、冬場になると強風が吹き荒れる。
防風林が消えちまったいま、強風を対抗できるものと言えば農業用のビニールハウスだ。
赤城おろしの存在が、このあたりに、施設園芸と呼ばれる農業を普及させた。
いいかえればこのあたりは、ビニールハウス農法に特化をした地域だ。
だから間違って大雪でも降ると、農家の連中は朝から夜中まで雪降ろしで大忙しになる。
急いで屋根から雪を降ろさないと、ハウスが潰れちまうからな。
おかげで俺はこの通り、朝からの雪下ろしで、汗びっしょりになっちまった。
あっはっは!」
(23)へつづく
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