落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(19)   第四章(4)らせんの先にあるもの

2012-09-10 10:35:28 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(19)
  第四章(4)らせんの先にあるもの





 1910年に作られた、高さ98.0cmの重要文化財 、「女」のブロンズ像の前で、茜が固まってしまいました。
少し時間をおいてから、またゆっくりと、ブロンズ像からは一度も目を離さずに、歩き始めましたが、
半周ほどすすんだところで、再び、立ち止まってしまいました。

 なぜこの「女」は、ひざまずき、身体を稔転させて顔を宙に向けているのだろう・・・
その答えを探すかのように、茜もまた「女」と同じように、つられた形で顔を上空へと向けました。



 「今度は、ずいぶんと、
 碌山が、お気に入りのようですね。
 今朝のお嬢ちゃん・・・」



 茜の背後に現れたのは、今朝、わさび田で会ったばかりの初老のご婦人でした。
その後ろには人のよさそうな、浅黒い肌をした白髪のご主人が同じように、ニコニコと
後ろ手を組んで立っていました。



 「あ、今朝ほどは、ごちそうさまでした・・・。」



 「私も、碌山の大ファンなの。
 すこし時間があると、こうしてここへ来て
 おじいちゃんと二人で、のんびりと時を過ごしています。
 まァ、今日はたまたま別の用事がありまして、
 偶然、ここの前を通りかかりましたら、
 なにやら、今朝、お見かけした群馬ナンバーを、
 おじいちゃんが見つけました。
 もしかしたら、またあのチャーミングなお嬢ちゃんに
 会えるかもしれない、などと、うちのが言うものですから・・・
 無駄足でもいいからと、とりあえず、



 「チャーミングだなんて、そんなぁ・・・」



 まんざらでもなさそうな茜が あわてて、私の背中に隠れてしまいました。



 「そう言うところが、チャーミングなの。
 ねぇ、お嬢ちゃん、
 この、ブロンズ像が
 あなたには、どんな風に見えていましたか?
 よかったら、私に教えてください。」



 茜が一歩前に出てきました。



 「最初は、
 悲しんでいる人なんだと思いました。
 なにか辛いことがたくさんあって、
 その悲しみのあまりに、
 身体をよじって、嘆いているように見えたのですが・・」



 「ですが?・・・それから。」


 「顔の表情というか、
 全身の雰囲気の中に、おぞましいものと
 崇貴なものが同居していて、
 なんともいえない、どろっとしたものを感じました。
 とても素敵で綺麗な一面と、
 どうにもならない情念と言うか、
 宿命みたいなものを感じてしまいました。
 これって・・・
 わたしの感想は、変ですか?。」





 「黒光(こっこう)のことは、ご存じ?」


 「いいえ、まったく知りません。」




 「そう・・・
 このブロンズ像の「女」が生まれたいきさつを知らないというのに、
 あなたはなんという、すばらしい感性の持ち主でしょう。
 碌山のかなわぬ恋への、
 やりきれない想いのたけが、
 このブロンズ像には存分にこめられているそうです。
 見る人によっても、
 見る角度によっても
 感想は、人によってそれぞれに変わるそうです。
 そうですか・・・
 あなたには、黒光の性(さが)が見えましたか。」




 「黒光の性、ですか・?」


 「黒光は、才気に溢れた明治の女性でした。
 先走りしすぎる才能のために、すこし才気を隠しなさいと、
 恩師が、「光を黒くする」と命名をしたそうです。
 碌山が命をかけて、心底惚れぬいたという
 叶わぬ恋のお相手で、悲しい事に黒光は妊娠中の人妻でした。
 お嬢ちゃんには、
 それが見えたようですね。」


 

 腕を後ろ手に組み、身体を右に回しながら天空を仰ぎ見る「女」のポーズは、
複雑に構成されたものでありながら、足下から額へと静謐に貫き流れる
螺旋状の上昇感を色濃く漂わせていました。



 ロダンに影響を受けたという西洋的な動感と、仏像に見られるような、
東洋的な静感をあわせもったこの作品は、芸術と切実に向い合った碌山の到達した高みであるとともに、
近代日本彫刻を象徴する 一大傑作となりました。


 それと自体と相まって、「女」がたたえている浪漫性と、なによりも碌山自身が悩み苦しんでいた、
相馬良(黒光)への思慕という物語とが、多くの人々の心をいまだに魅了し続けている
最大の理由かもしれません。


 おばあちゃんがにっこりとほほ笑んで、茜を手招きしました。
コクンとうなずいた茜が、素直に歩んでおばあちゃんの隣にたちました。
おや・・・そのツウショットはまるで、知らない人が見たら、二人が親子のように見えてしまいます。


(20)へつづく





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