落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(20)   第四章(5)おばあちゃんに誘われて

2012-09-11 10:38:57 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(20)
  第四章(5)おばあちゃんに誘われて






 碌山こと、彫刻家の荻原守衛によって最後に残された作品、
「女」の像は、相馬黒光をモデルとしたものと言われています。
黒光は、碌山にとっては不条理を伴った運命の人でした。
彼は30歳で亡くなるまでの絶望的な恋幕の中で、ただひたすらに自分の気持ちを振り払うかのように、
幾多の作品を作り続けることになります。


 「女」は、手で運べるくらいの大きさの塑像です。
碌山が生涯公表をしなかったと言う事実から見ても、私的な感情が凝縮された作品であると伝えられてきました。
黒光の夫・相馬愛蔵は仕事で家を空けることが多く、そんな時には碌山が子供の父親代わりを
つとめることも多かったようです。


 そして、次第に彼女に対しても強い恋心を抱くようになります。
そんな中、彼女の夫が浮気しているという相談を受けてしまいます。
自らの恋の気持ちに悩み、黒光への抑えがたい気持ちを封じ込め、碌山はひたすら作品作りに取り組みました。



 一方黒光は、そんな彼の気持ちを知りつつも妊娠もしており、
子供もいるために、夫と別れることが出来ず、碌山も、悶々とする日々を送ることになります。


 出口のない悶着の中、碌山は密かにこの「女」を制作します。
背中の後ろで結ばれた両手には、現状への絶望感を表しており一方で天を仰ぎ見ているその姿勢には、
生きる希望を表現させました。



 黒光の中に有る厳しい状況を認めつつも、
運命にあらがう人間の強さを見い出して、励ます気持ちがこめられていました。
やがて絶作となる作品、この「女」が完成をします。
この作品が完成した1ヶ月後に、碌山は、相馬夫妻の家で突然血を吐いて倒れ黒光に看取られて、
その生涯を閉じることになります。



 おばあちゃんと長い間、「女」を挟さんだまま立ち続けて、
会話をつづけていた茜が、すこしだけ白い顔をして中庭へと出てきました。
外気の寒さに少し襟を立ててから「労働者」の彫像を眺めていた私の背中へやってきました。


 「ねぇ、黒光って・・・知ってる?。」


 
 「穂高にある相馬家に嫁いだ明治の女性だよ。
 仙台生まれで洗礼も受けたという、星良(ほし・りょう)という才女だ。
 黒光というのは、いまでいうペンネームみたいなものだね。
 文学への造詣も深く、芸術家たちのサロンを作った
 明治時代の中村堂と言うパン屋さんのはなしは、
 あまりにも、有名だよ。」




 「う~ん、
 無知はやっぱり、私だけか・・・
 情けない。」



 「そうでもないさ。
 初めて観光のついでにこの美術館を訪れて、
 碌山と、「女」という作品に触れて、
 驚きや、衝撃を受けた人たちはたくさんいるよ。
 かく言う私も、その一人だった。」



 「そうなんだ、
 知らないことってたくさんあるもんね。、
 こんな小さな美術館で、
 人の人生の真髄まで見るとは思わなかった。
 ねぇ、それでさあ・・・」



 茜の声が鼻にかかってきました。
お願い事や、おねだりの時に、決まって出てくるはっきりとした兆候でした。



 「いいよ、
 何でも聞いてあげる。」



 「やっぱり!
 それでねぇ、・・・
 穂高の見どころを、たくさん、
 あのおばあちゃんから、教えてもらいました。
 そこを若い二人で、充分に楽しんでいらっしゃいって。
 とっておきの場所まで、伝授してもらいました。
 ほとんど一日がかりになりそうなほどの
 盛りだくさんなのよ、
 それでさぁ、その先のことなんだけど・・。」



 「その先のこと?」



 「夜になったら、
 たくさんの黒光の話を教えてあげるから、
 是非、訪ねて来てくださいって、お呼ばれされちゃったの。
 ねぇ、行きましょうよ、おばあちゃんの家。
 駄目?
 おばあちゃんのお話しって楽しんだもの、
 茜の知らない世界が、突然、ぱっくり登場するんだよ。
 聞きたいなぁ~黒光のはなし。」



 「いいけど。
 でも、おばあちゃん家の迷惑にならないかい?
 二人で押しかけて、泊ったりして。」



 「あら?
 あたし泊るなんて言ったかしら・・・」



 「もう、そう言う風に聞こえたよ。
 たくさん話をしていたら、間違いなく群馬に
 帰りそびれてしまうだろう。」




 「さすがだわ、やっぱり!。
 おばあちゃんの「読み」がぴったりと当ってる。
 甲斐性が有りそうだからあの人なら、絶対に反対はしないって、
 しっかりと太鼓判を押してくれたもの。
 どうしてもだめな時の、
 とっておきの秘策まで教えてもらったわ。」



 「なんだい、それ?」



 「近くに知人のペンションがあるから
 そこを紹介すると言えば、完璧に落ちるからって・・・
 そうおばあちゃんが、言っていました。」



 「なるほどねぇ、
 もうすっかり筋書きは出来ていたんだ。
 やっぱりねぇ・・・。」


 にっこりと笑った茜が、駐車場を振り返りました。
嬉しそうに飛び跳ねて、さらに背伸びをしながら両手で大きく丸い輪を作ります。
垣根越しに此方を見ていたおばあちゃんが、それにこたえて手を振ると、それから私に向かって、
丁寧に頭を下げてくれました。


(21)へつづく





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