アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(21)
第四章(6)わさび田の地酒
長野県・安曇野は、わさび田でも有名な観光地です。
雄大な北アルプスの雪解け水が、麓の扇状地形に浸み込んで、長い年月を経て湧き水として湧き出してきます。
地下でろ過されて、温度が 一定であるこの清らかな水は、
わさびを育てるのには最適の環境です。
このわさび田が広がる情景は、観光で訪れた旅人たちの心まで充分に魅了し癒してくれます。
おばあちゃんの情報は実にバラエティ豊かで、地元ならではという多彩ぶりでした。
北アルプスに抱かれて、雄大そのものの穂高の大自然と雰囲気を満喫して今朝のわさび田に戻ってきた時には、
すでに西の山頂に日が落ちかけていました。
愛想よく招き入れられた食卓には、待ちかねていたようにすでに4人分の夕食がしっかりと整っていました。
「何もありません。
水が綺麗なだけで、他にとりえのない片田舎ですから
地の物と、とれたての野菜だけです。
年寄りにはこれで充分ですが、お若い人たちには
すこし物足りないかもしれません。
まずは、年寄りからの無理なお願いを聴き入れて頂き、
本当にありがとうございます。
こんなところまで足を運んでいただき、わたしどもも感謝にたえません。
どうぞ、狭い家ですが、遠慮なさらずに、
くつろいでください。」
恐縮しているこちらが、拍子抜けをするほど、老夫婦に歓迎をされてしまいました。
しかしその仔細な理由は、家庭料理で埋め尽くされた夕食を終えた後に、ご主人によって解き明かされることになりました。
「ばあさんの話は、やたらと長くなるし、
おなご二人の雑談に付き合うのも、そのうちきっと退屈になるでしょう。
どうですか、
お近づきの印にその辺で、軽く。
あとのことは、おなごたちに任せて、
男どもは、ちょっと一杯行きましょう。」
返事を待つまでもなく、上着を着込んだご主人は、ゆるりと先に立って夜道を歩き始めます。
あわててこちらも上着を着込み、軽く二人に会釈をしてからいそいで暗い夜道を駆けだしました。
湧水の流れに沿って少しだけ下りました。
小さな橋を越えたところに、昼間は全く気がつかなかった、ほとんど民家同然の可愛いお店が、
暗闇の中から現れました。
「年寄りの隠れ家です。」
ご主人に促され、中に入って驚きました。
6畳そこそこの空間には、今日見てきたばかりの碌山美術館の彫刻たちをスケッチしたものが、所狭しと飾られています。
「同好の士と言えば、聞こえはよいのでしょうが
下手の横好きと、暇を持て余している年寄りが適当に
時間つぶしに書いているだけです。」
たしかに見栄えはそれなりでしたが、
ただ熱心に丁寧に描かれていることだけは、一目見た時から鮮明でした。
「碌山と黒光の出あいも、
安曇野でのスケッチからはじまりました。
今頃は、ばあさんもそんな調子で
黒光のはなしを始めている頃だろうと思います。
悪かったねぇ、うちのばあさんの我がままにつき合ってもらって。
君たちにも色々と都合があったと思いますが。」
「いいえ、私たちのほうが、
かえって押しかけて甘えてしまっているようです。
こちらのほうが、心苦しいのですが・・・。」
「そんな風に言ってもらえると、
気が楽になって、私も肩の荷がおろせます。
まぁ、一杯いきましょう。
安曇野の水は、本物です、
本物の水は、本物の米を作り、
本物の米は、本物の酒を生み出すそうです。
と、言うのが此方の女将の持論です。
まぁ、とりあえず一杯いきましょう、それから
ゆっくりと、男同士で語らいますか。」
女将が持って来てくれた自慢の地酒を注いでもらいました。
軽く盃を合わせて乾杯をしたあとに、それを一気に飲み干しました。
熱い液体が喉をながれ落ち、それが胸元を過ぎたあたりからさらに熱を帯びて胃の腑まで流れ下って行くのがよくわかりました。
それはめずらしく、今では貴重な存在ともいえる、本格的な味わいを含んだ日本酒の辛口(からくち)でした。
こんな酒を、どこかで飲んだ記憶がありました。
思いだしたのは、オヤジが好きだった、あの辛口の日本酒でした。
10代の頃で、オヤジが亡くなる2年ほど前、一度だけオヤジと差し向かいで日本酒を飲んだことがありました。
その時に呑んだ日本酒の味が、ちょうどこんな感じで辛口の口当たりでした。
あの時のオヤジは、なにを伝えたくて、未成年の私と、わざわざ酒を酌み交わしたのでしょうか・・・
ふと、そんな過去のことが頭をよぎりました。
「どうかされましたか?」
おじいちゃんの声に、あわてて我にかえりました。
今飲んでいるのはオヤジではなく、今朝会ったばかりの安曇野の、わさび畑の人の良いおじいちゃんでした。
言われるままに2杯目を注いでもらい、それも一口で、また一気に飲み干しいてしまいました。
(22)へつづく
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第四章(6)わさび田の地酒
長野県・安曇野は、わさび田でも有名な観光地です。
雄大な北アルプスの雪解け水が、麓の扇状地形に浸み込んで、長い年月を経て湧き水として湧き出してきます。
地下でろ過されて、温度が 一定であるこの清らかな水は、
わさびを育てるのには最適の環境です。
このわさび田が広がる情景は、観光で訪れた旅人たちの心まで充分に魅了し癒してくれます。
おばあちゃんの情報は実にバラエティ豊かで、地元ならではという多彩ぶりでした。
北アルプスに抱かれて、雄大そのものの穂高の大自然と雰囲気を満喫して今朝のわさび田に戻ってきた時には、
すでに西の山頂に日が落ちかけていました。
愛想よく招き入れられた食卓には、待ちかねていたようにすでに4人分の夕食がしっかりと整っていました。
「何もありません。
水が綺麗なだけで、他にとりえのない片田舎ですから
地の物と、とれたての野菜だけです。
年寄りにはこれで充分ですが、お若い人たちには
すこし物足りないかもしれません。
まずは、年寄りからの無理なお願いを聴き入れて頂き、
本当にありがとうございます。
こんなところまで足を運んでいただき、わたしどもも感謝にたえません。
どうぞ、狭い家ですが、遠慮なさらずに、
くつろいでください。」
恐縮しているこちらが、拍子抜けをするほど、老夫婦に歓迎をされてしまいました。
しかしその仔細な理由は、家庭料理で埋め尽くされた夕食を終えた後に、ご主人によって解き明かされることになりました。
「ばあさんの話は、やたらと長くなるし、
おなご二人の雑談に付き合うのも、そのうちきっと退屈になるでしょう。
どうですか、
お近づきの印にその辺で、軽く。
あとのことは、おなごたちに任せて、
男どもは、ちょっと一杯行きましょう。」
返事を待つまでもなく、上着を着込んだご主人は、ゆるりと先に立って夜道を歩き始めます。
あわててこちらも上着を着込み、軽く二人に会釈をしてからいそいで暗い夜道を駆けだしました。
湧水の流れに沿って少しだけ下りました。
小さな橋を越えたところに、昼間は全く気がつかなかった、ほとんど民家同然の可愛いお店が、
暗闇の中から現れました。
「年寄りの隠れ家です。」
ご主人に促され、中に入って驚きました。
6畳そこそこの空間には、今日見てきたばかりの碌山美術館の彫刻たちをスケッチしたものが、所狭しと飾られています。
「同好の士と言えば、聞こえはよいのでしょうが
下手の横好きと、暇を持て余している年寄りが適当に
時間つぶしに書いているだけです。」
たしかに見栄えはそれなりでしたが、
ただ熱心に丁寧に描かれていることだけは、一目見た時から鮮明でした。
「碌山と黒光の出あいも、
安曇野でのスケッチからはじまりました。
今頃は、ばあさんもそんな調子で
黒光のはなしを始めている頃だろうと思います。
悪かったねぇ、うちのばあさんの我がままにつき合ってもらって。
君たちにも色々と都合があったと思いますが。」
「いいえ、私たちのほうが、
かえって押しかけて甘えてしまっているようです。
こちらのほうが、心苦しいのですが・・・。」
「そんな風に言ってもらえると、
気が楽になって、私も肩の荷がおろせます。
まぁ、一杯いきましょう。
安曇野の水は、本物です、
本物の水は、本物の米を作り、
本物の米は、本物の酒を生み出すそうです。
と、言うのが此方の女将の持論です。
まぁ、とりあえず一杯いきましょう、それから
ゆっくりと、男同士で語らいますか。」
女将が持って来てくれた自慢の地酒を注いでもらいました。
軽く盃を合わせて乾杯をしたあとに、それを一気に飲み干しました。
熱い液体が喉をながれ落ち、それが胸元を過ぎたあたりからさらに熱を帯びて胃の腑まで流れ下って行くのがよくわかりました。
それはめずらしく、今では貴重な存在ともいえる、本格的な味わいを含んだ日本酒の辛口(からくち)でした。
こんな酒を、どこかで飲んだ記憶がありました。
思いだしたのは、オヤジが好きだった、あの辛口の日本酒でした。
10代の頃で、オヤジが亡くなる2年ほど前、一度だけオヤジと差し向かいで日本酒を飲んだことがありました。
その時に呑んだ日本酒の味が、ちょうどこんな感じで辛口の口当たりでした。
あの時のオヤジは、なにを伝えたくて、未成年の私と、わざわざ酒を酌み交わしたのでしょうか・・・
ふと、そんな過去のことが頭をよぎりました。
「どうかされましたか?」
おじいちゃんの声に、あわてて我にかえりました。
今飲んでいるのはオヤジではなく、今朝会ったばかりの安曇野の、わさび畑の人の良いおじいちゃんでした。
言われるままに2杯目を注いでもらい、それも一口で、また一気に飲み干しいてしまいました。
(22)へつづく
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