からっ風と、繭の郷の子守唄(96)
「マザーテレサの『表の顔』と『裏の顔』。貞園が抱える心の闇」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/49/7f17e56a2152a6c57620eaf91b6dba5a.jpg)
「マザーテレサの人生は、宗教の壁や人種の壁を越えた、
無償で純粋な利他愛の歩みそのものであり、物質文明に毒された地球上の人々に、
人間としての尊厳と理想像を示したことに有るとされている。
マザーは、まさにキリスト教の、神の愛の実践者だった。
マザーは1950年、40歳のときにインドの貧民街に「神の愛の宣教者会」をつくり、
貧しい人々の中の最も貧しい人に、愛の手を差し伸べ、神とイエスの愛の教えを啓蒙してきた。
そうした長年のマザーの献身的な奉仕活動が認められ、1979年に“ノーベル平和賞”
を受賞することに決まった。
その際――「祝賀会にかける時間とお金があるのなら、それを私にください。
それで何万人もの貧しい人々を救えます」と言って祝賀会を断ったマザーの感動的な
エピソードは有名だ。マザーの奉仕精神が本物であることを示した
素晴らしい出来事のひとつと言われている。
しかしマザーにはこうした献身的な活動の『表の顔』とは別に、
信仰上の大きな悩みとして、神の不在感という別の『裏の顔』を持っていた。
『神の存在への疑念』を持っていたという事実は、
1953年(マザー43歳)に、ペリエール大司教へ送った手紙で明らかにされた。
『私の心の中に恐ろしい闇があるために、まるですべてが死んでしまったかのようです。
私がこの仕事(*インド貧民街での奉仕の仕事)を始めるようになって間もないときから、
このような状態(神の存在への疑念という悩みが)がずっと続いています。』
マザーはしばしば神への信仰を力強く語り、多くの人々に励ましと勇気を与えてきた。
だが霊的指導者(霊的指導担当の神父)たちに宛てた手紙には、
それとは全く正反対の、『神の存在への疑念』が、延々と述べられている。
「Come Be My Light」の出版により、マザー自身を長年にわたり悩ませ苦しめてきた
「心の闇(霊的闇)」の存在が、一般にも広く知られるようになった。
神の存在に対する確信の上に、堅固なキリスト教の信仰を確立していると思われていた
マザーが、実は神の存在について、疑念を抱いていたという大きな衝撃だ。
同時にマザー・テレサという、信仰者の鑑(かがみ)と思われてきた人物が
『神の存在への疑念』を抱いていたという事実は、キリスト教関係者たちを震撼させた。
こうした「心の闇」を告白したマザーの手紙を、カトリック教会関係者が
一般向けに出版することを許可したことにも、驚かされる。
もちろんカトリック教会側には、マザーの内面告白を公表することが、彼女の信仰を
一方的に貶(おとし)めるものではなく、カトリック教会の権威を
傷つけるものでもないという確信があってのことだと思われる。
こうしてこの本のおかげで多くの人が、マザーの「表の顔」の奥に、「心の闇(霊的闇)」
という全く反対の「裏の顔」があったことが、広く知られるようになった。
それまで人々の目に映っていたのは、自信に満ち、信仰の中で常に神(イエス)と一体化し、
喜びと感謝に溢れ、一切の苦しみを超越しているマザーの姿だった。
そのマザーとは正反対の、もう一人の悩み苦しむマザーの姿が明らかにされたからだ。
神の存在に対する確信が得られず、
『イエスが自分から去ってしまった、イエスに愛されていない』と感じ、
孤独に悩む、哀れなマザーの姿が、こうして表に出された」
「ありがとう。迷える子羊への、実に的確なアドバイスだ・・・・
ナイスです。康平」
「君はまだ、迷ってはいない。ただ少しだけ傷ついているだけだ。
傷ついたら、たっぷりと時間をかけて直せばいい。
だが、君はその休養を拒否して、また表の顔を使いながら『良い子』を演じてしまう。
少し疲れたからと言って、自分から心の休息をとれ。
誰も咎めたりはしないさ。今の君に必要なのは、こころの休息だ」
「優しいことばかり言うから、また、康平を好きになっちゃうのよ。
愛人なんかやっている女は大嫌いだと、はっきり言って、突っぱねてくれればいいのに。
何かあるたびに駆けつけてきて、私を優しく慰めてくれるんだもの、
何時まで経ってもあなたのことを、忘れることが出来なくなる。
そんな自分が、とっても辛すぎる」
「兄貴が、妹の心配をして、どこが悪い。
お前は、たしかに充分に魅力的だ。
10年前に初めて会った時も、とてもキュートで、とてもチャーミングだった。
たぶん俺の中に、美和子という存在がなければ、君に夢中になり、恋に落ちたと思う。
そのくらい、あの時のお前は素敵だったし、魅力的だった」
「だったと、思う、で過去形ばかりの表現だ。
そうなのか。やっぱり妹分で我慢するしかないのか、愛人をやっている私は」
「いちいち愛人という言葉を持ち出すな。煩わしい!」
「あら。何か気に障ることでも言ったかしら?。
だって事実ですもの。そんなに、ムキにならなくてもいいじゃないの」
「そういう艶(なまめ)かしい言葉は大嫌いなんだ。俺は。
俺が32で、お前も今年で30歳になる。
お互いに健康的な男と女だ。普通に性欲だってあるさ。一つ間違えば大変なことになる」
「間違えたっていいじゃない。お互いに黙っていれば、誰にもわからないもの」
「黙っていればいいって・・・・
お前なぁ、そういう問題じゃないだろう。俺たちは」
「冗談です。そんな風になってしまったら、2度と康平に会えなくなるもの。
私たちはいつものようにいつも会いたいから、お互いの欲望にはきっちりと蓋をして、
こうして禁欲に、じっと耐えている。
康平だって、男として申し分がないし、私自身も、そこそこの女だと思っている。
友達と恋人の中間点を探しはじめると、やっぱり着地点は、兄貴分と妹に落ち着くのか。
長く付き合うにはそれしかなさそうだもの。また、額へのキスだけで我慢をします。
仕方ありませんね、運命だもの」
ベッドへ横たわった貞園が、顔の半分まで布団を引き上げていきます。
刻々と過ぎていく時計の針は、やがて1時を過ぎようとしています。
小さなあくびをひとつ漏らした貞園が、くるりと、悪戯な目を康平へ向けてきました。
「もう寝ます。で、お休みのキスは? 康平くん」
「性懲りもなく、つまらない挑発を繰り返すな。
お前さんが、今度入院した時のために、キスは大切にとっておく。
長い人生のことだ。この先でまだ何が待っているのか、それは誰にもわからない。
もしもまた、お前が傷ついて入院をしたら、またその時も、俺は喜んで看病にくるさ。
ゆっくりと寝ろ。俺も少し休む」
「ねぇ。少しだけ詰めれば窮屈だけど、ベッドで、私の隣で寝られるわよ」
「いい加減にして早く寝ろ。この小悪魔」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/a5/e6343281a98fb8f80a9bed1894499514.jpg)
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら
「マザーテレサの『表の顔』と『裏の顔』。貞園が抱える心の闇」
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「マザーテレサの人生は、宗教の壁や人種の壁を越えた、
無償で純粋な利他愛の歩みそのものであり、物質文明に毒された地球上の人々に、
人間としての尊厳と理想像を示したことに有るとされている。
マザーは、まさにキリスト教の、神の愛の実践者だった。
マザーは1950年、40歳のときにインドの貧民街に「神の愛の宣教者会」をつくり、
貧しい人々の中の最も貧しい人に、愛の手を差し伸べ、神とイエスの愛の教えを啓蒙してきた。
そうした長年のマザーの献身的な奉仕活動が認められ、1979年に“ノーベル平和賞”
を受賞することに決まった。
その際――「祝賀会にかける時間とお金があるのなら、それを私にください。
それで何万人もの貧しい人々を救えます」と言って祝賀会を断ったマザーの感動的な
エピソードは有名だ。マザーの奉仕精神が本物であることを示した
素晴らしい出来事のひとつと言われている。
しかしマザーにはこうした献身的な活動の『表の顔』とは別に、
信仰上の大きな悩みとして、神の不在感という別の『裏の顔』を持っていた。
『神の存在への疑念』を持っていたという事実は、
1953年(マザー43歳)に、ペリエール大司教へ送った手紙で明らかにされた。
『私の心の中に恐ろしい闇があるために、まるですべてが死んでしまったかのようです。
私がこの仕事(*インド貧民街での奉仕の仕事)を始めるようになって間もないときから、
このような状態(神の存在への疑念という悩みが)がずっと続いています。』
マザーはしばしば神への信仰を力強く語り、多くの人々に励ましと勇気を与えてきた。
だが霊的指導者(霊的指導担当の神父)たちに宛てた手紙には、
それとは全く正反対の、『神の存在への疑念』が、延々と述べられている。
「Come Be My Light」の出版により、マザー自身を長年にわたり悩ませ苦しめてきた
「心の闇(霊的闇)」の存在が、一般にも広く知られるようになった。
神の存在に対する確信の上に、堅固なキリスト教の信仰を確立していると思われていた
マザーが、実は神の存在について、疑念を抱いていたという大きな衝撃だ。
同時にマザー・テレサという、信仰者の鑑(かがみ)と思われてきた人物が
『神の存在への疑念』を抱いていたという事実は、キリスト教関係者たちを震撼させた。
こうした「心の闇」を告白したマザーの手紙を、カトリック教会関係者が
一般向けに出版することを許可したことにも、驚かされる。
もちろんカトリック教会側には、マザーの内面告白を公表することが、彼女の信仰を
一方的に貶(おとし)めるものではなく、カトリック教会の権威を
傷つけるものでもないという確信があってのことだと思われる。
こうしてこの本のおかげで多くの人が、マザーの「表の顔」の奥に、「心の闇(霊的闇)」
という全く反対の「裏の顔」があったことが、広く知られるようになった。
それまで人々の目に映っていたのは、自信に満ち、信仰の中で常に神(イエス)と一体化し、
喜びと感謝に溢れ、一切の苦しみを超越しているマザーの姿だった。
そのマザーとは正反対の、もう一人の悩み苦しむマザーの姿が明らかにされたからだ。
神の存在に対する確信が得られず、
『イエスが自分から去ってしまった、イエスに愛されていない』と感じ、
孤独に悩む、哀れなマザーの姿が、こうして表に出された」
「ありがとう。迷える子羊への、実に的確なアドバイスだ・・・・
ナイスです。康平」
「君はまだ、迷ってはいない。ただ少しだけ傷ついているだけだ。
傷ついたら、たっぷりと時間をかけて直せばいい。
だが、君はその休養を拒否して、また表の顔を使いながら『良い子』を演じてしまう。
少し疲れたからと言って、自分から心の休息をとれ。
誰も咎めたりはしないさ。今の君に必要なのは、こころの休息だ」
「優しいことばかり言うから、また、康平を好きになっちゃうのよ。
愛人なんかやっている女は大嫌いだと、はっきり言って、突っぱねてくれればいいのに。
何かあるたびに駆けつけてきて、私を優しく慰めてくれるんだもの、
何時まで経ってもあなたのことを、忘れることが出来なくなる。
そんな自分が、とっても辛すぎる」
「兄貴が、妹の心配をして、どこが悪い。
お前は、たしかに充分に魅力的だ。
10年前に初めて会った時も、とてもキュートで、とてもチャーミングだった。
たぶん俺の中に、美和子という存在がなければ、君に夢中になり、恋に落ちたと思う。
そのくらい、あの時のお前は素敵だったし、魅力的だった」
「だったと、思う、で過去形ばかりの表現だ。
そうなのか。やっぱり妹分で我慢するしかないのか、愛人をやっている私は」
「いちいち愛人という言葉を持ち出すな。煩わしい!」
「あら。何か気に障ることでも言ったかしら?。
だって事実ですもの。そんなに、ムキにならなくてもいいじゃないの」
「そういう艶(なまめ)かしい言葉は大嫌いなんだ。俺は。
俺が32で、お前も今年で30歳になる。
お互いに健康的な男と女だ。普通に性欲だってあるさ。一つ間違えば大変なことになる」
「間違えたっていいじゃない。お互いに黙っていれば、誰にもわからないもの」
「黙っていればいいって・・・・
お前なぁ、そういう問題じゃないだろう。俺たちは」
「冗談です。そんな風になってしまったら、2度と康平に会えなくなるもの。
私たちはいつものようにいつも会いたいから、お互いの欲望にはきっちりと蓋をして、
こうして禁欲に、じっと耐えている。
康平だって、男として申し分がないし、私自身も、そこそこの女だと思っている。
友達と恋人の中間点を探しはじめると、やっぱり着地点は、兄貴分と妹に落ち着くのか。
長く付き合うにはそれしかなさそうだもの。また、額へのキスだけで我慢をします。
仕方ありませんね、運命だもの」
ベッドへ横たわった貞園が、顔の半分まで布団を引き上げていきます。
刻々と過ぎていく時計の針は、やがて1時を過ぎようとしています。
小さなあくびをひとつ漏らした貞園が、くるりと、悪戯な目を康平へ向けてきました。
「もう寝ます。で、お休みのキスは? 康平くん」
「性懲りもなく、つまらない挑発を繰り返すな。
お前さんが、今度入院した時のために、キスは大切にとっておく。
長い人生のことだ。この先でまだ何が待っているのか、それは誰にもわからない。
もしもまた、お前が傷ついて入院をしたら、またその時も、俺は喜んで看病にくるさ。
ゆっくりと寝ろ。俺も少し休む」
「ねぇ。少しだけ詰めれば窮屈だけど、ベッドで、私の隣で寝られるわよ」
「いい加減にして早く寝ろ。この小悪魔」
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