落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第63話 芸妓の化粧

2014-12-17 11:11:59 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第63話 芸妓の化粧




 「お姉さんの化粧を、じっくり見ることどす。
 湯上りのほんのり上気した顔で鏡台の前に座り、首筋を深く抜いた浴衣姿で、
 びん付け油を掌に乗せて、じっくり溶かすことからはじめます。
 両手で顔にまんべんなくつけた後、水で溶かしたおしろいを、
 刷毛で鼻筋に沿って引くんどす。
 それから顔全体、首筋、背中と、全部、自分で器用に塗らはるんどすなぁ。
 眉を描き、目を描き、最後に目元と唇に朱を入れると、
 顔全体が、ぱぁっと花開いたように明るくなります。
 あたしは、お祖母さんの化粧する様子を見ながら、こども心にも
 色っぽいなぁと感心してました。
 あんたもこれから、おしろいの使い方を習得する必要がおます。
 けど。あんたの姉さんの佳つ乃(かつの)はんは、もともと美形どすが、
 祇園のおしろいにかけても、屈指の達人どす。
 あとでゆっくり教せてもろたら、ええ」



 「おしろいを使いこなすのは、そこまで難しいもんなんどすか!」



 「出たての舞妓に、いきなりの白塗りは無理やなぁ。
 たいていは屋形の女将か、専属の美容師が舞妓の顔をつくりあげる。
 出たての舞妓の白い顔が、まだら模様になっていたのでは、話になりまへん。
 白、赤、黒の3色で、祇園で働く女は見事なまでに変身します。
 ま、あんたもそのうちに分かることどす。
 あ。いけん、もうこんな時間や。片づけなならん仕事が有ったんや」


 慌てて置屋の女将が立ち上がる。
立ち去ろうとする女将の手もとから、サラがするりと伝票を奪い取る。



 「お母さん、あきまへん。
 ためになるお話を聞いたうえ、お茶までごちそうになったらバチが当たります」


 「何言うてんの。年配者が払うのは、この世界ではあたりまえのことや。
 あんたは気にせんと、ごちそうさんと笑っていればええことどす」



 「それでは、ウチがお母さんに叱られます。
 帰国子女ですから、ウチはあちこちで面倒かけることが多くなります。
 おしゃべりしてくれたお礼に、どなた様であれ、お茶代くらいは払いなさいと
 勝乃お母さんから、きつく言われとります。
 接待交際費をけちったらあかん。というのがお母さんの日頃からの口癖どす」


 「ほう~。改革派の勝乃らしい教育方針やな。
 よし、分かりました。今日は喜んであんたのごちそうになりまひょ。
 けどなぁ。勝乃とは、死ぬまで一緒に頑張ろうと誓い合った同期の戦友や。
 このまま引き下がったんでは、あたしの女が廃ります。
 ウチからご祝儀をあげますさかい、なんかのときの足しにしたらええ」



 くるりと背を向けた女将が、財布から1万円札を取り出す。
和紙に包もうとしたが、あいにく持ち合わせがない。
懐から取り出した友禅染の端切れに、はらりと包んでサラに手渡す。



 「帰国子女じゃ無理やろうと、正直あたしも思っておりました。
 けどなぁ、はなしをしてみてようやくわかりました。
 薄いブルーの眼をしているけど、あんたは、正真正銘の日本の女の子や。
 けどなぁ。祇園は伝統と格式に異常なまでにこだわる特殊な世界や。
 古典芸能で生きる人たちの中には、保守的な考え方のお人がけっこう多いんや。
 才能のある子でも、普通に挫折するのがこの世界どす。
 結果はシンプルや。競争に生き残った者だけが祇園での成功者や。
 負けたらあかんで絶対に。
 偏見や、誹謗中傷なんかに負けたらあかん。見事に生き残ってごらん。
 その時はあたしも、大手を振ってあんたを応援するひとりになってあげます。
 けどなぁ。いまは隠れた立場の応援者や。
 お母さんの勝乃に伝えておいてや。
 将来楽しみな新人が現れましたねぇ、と、かつての戦友が言っとりましたとね」


 何か有ったらまたおいでと、女将さんが木屋町のカフェを後にする。
(祇園はやっぱり小粋だな、・・・)離れた席から一部始終を見ていた
路上似顔絵師が、そっと小さな声でつぶやいた。




第64話につづく

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