落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (17)早くも立ち往生。

2014-05-29 11:10:13 | 現代小説
東京電力集金人 (17)早くも立ち往生。



 先輩の言葉の意味は、すぐに分かった。
ビニールハウス群を抜け、実家へ続く細い脇道へ出てまもなくのこと。
狙いすませた1発目の雪玉が、いきなり俺の顔をめがけて音を立てて飛んできた。
『危ねぇ!』。雪玉をひらりと避けた瞬間、足元を滑らせて、
垣根に積もった柔らかい雪のかたまりの中へ、顔面から、思い切り倒れこんだ。


 不意を突くとは卑怯なやつだと顔を上げれば、長屋の屋根でるみが笑っている。
長屋の屋根の上にるみが居る?・・・・
昨晩の一連の出来事をようやくのことで思い出した。
屋台のラーメン屋で熱燗を4本も飲んだ後、先輩が営業している深夜の蕎麦屋へ寄りこんだ。
『いい加減に帰らないと、全員が雪だるまになっちまうぜ』
と言われたのが、深夜の午前2時のことだ。
表に出てみると、どこもかしこも別世界のように真っ白だった。
発達した低気圧の影響で、地鳴りをあげて強い風まで吹き荒れている。


 (本格的に遭難するぞ、こりゃぁ)とつぶやいたら、『帰れるかしら』とるみが、
俺の脇から眉にしわを寄せて、吠え狂っている空を見上げる。
『無理だろうな』と応えたら、『じゃ、どこかにしけ込んで朝まで飲もうか。うふふ』
とるみが、悪戯っぽく目を細める。


 地方の小さな町とはいえ、この町は生糸でおおいに繁盛したという歴史を持っている。
そのおかげで、このあたりは、北関東でも有数の歓楽街として栄えた歴史も持っている。
明治の頃には置屋が数軒有り、20人以上の生糸芸者が小さな町を彩った。
戦後になっても、そうした繁栄の歴史が続いたという。
繊維産業が最盛期と言われた昭和20年代の後半には、北関東いちの繁華街になった。
だが、海外から安い絹と生糸が入ってくると、歓楽街はあっというまに斜陽期を迎えた。



 それでも細い路地裏の道をたどると、かつての名店が細々と営業をつづけている。
風営法のために歓楽街は、広い通りに面した店舗から順番に営業の明かりが消える。
飲み足りない連中は、めいめい露地の道へ入りこむ。
風営法の適用を受けない飲食業は、朝まで営業することができる。
表通りから撤退をした、かつての老舗の小料理屋などへ常連客達が入り込む。
るみが口にしたのは、そうした路地裏にある小料理屋群のことだ。
『どうしようかな』と思案していたら、先輩の車が俺たち2人の前に、急停止した。

 「まだいたのか、そんなところに。呑気過ぎるだろう、お前らたちは。
 帰るのなら送っていくが、この雪だ。ぐずぐずしているといつ滑りはじめるかわからん。
 お前のアパートか、実家なら、俺の帰り道の途中だ。
 だが、そっちのネエチャンはどうする?。このあたりじゃ見かけない顔だが」

 「あたしは福島です」


 「馬鹿野郎。寝ぼけたことを言ってんじゃねぇ!。
 出身地を聞いているわけじゃねぇ。今の住まいはどこかという話だ。
 まぁいい。話なら車の中でもできるから、とりあえず乗れ。酔っ払いども」


 降りしきる雪は、強風にあおられて地吹雪のようになっている。
『住まいはどこだ?』とあらためて聞き直す先輩の声に、
『歓楽街の裏手、山の手のアパートです』とるみが、後部座席から身体を乗り出して答える。



 山の手かよ。難しい場所に住んでいるなぁ、と先輩がつぶやく。
『だがまぁ、一応は行って見るか。あの坂が上れたら送り届けてやるから』
先輩の言う『あの坂』とは、だらだらと50メートル余りも続く山の手の坂道の事だ。
ワイパーがあせわしなく動く中、横殴りの雪に視線を翻弄されながら、ようやくのことで、
先輩の車が、ゆるやかな坂道の麓に到着する。


 『駄目だな、こりゃぁ・・・・諦めろという光景が、すでにひろがっている』
ハンドルに身を乗り出した先輩が、絶望的につぶやく。
ハザードランプを点滅させた数台の車が、すでに坂の中腹で点々と立ち往生している。
『ノーマル(タイヤ)じゃ無理だな。ネエチャン、ここからアパートへ帰るのは諦めろ。
それとも自力で歩いて帰るというのなら、ここで降ろしてやるが、どうする?』
好きな方を選べと先輩が、後部座席のるみを振り返りる。

 地吹雪のような坂を見上げて、るみが絶望的な溜息をもらす。
るみのアパートは、坂道を越えてからさらに、500メートルほど山の手の道を歩く。
この状態では、その先のほうがよっぽども怖いと、るみが俺の耳元でささやく。

 
 「でも今夜は、勝負パンツを履いていないので、太一のアパートに寄るのは無理だわ。
 こんな時間に突然実家に押しかけて、太一のお母さんが迷惑をしないかしら?
 『不束者(ふつつかもの)ですが、よろしくお願いします、と挨拶すれば大丈夫かしら?」


 「そっちのほうがナイスだな。ネエチャン。
 太一。いまから花嫁さんを連れていくから、実家で預かってくれと電話を入れておけ。
 困ったときは、お互い様だ。
 だが、郊外はもっと降り積もっているだろうから、たぶん、実家までは無理だろう。
 最後の50メートルは、自力で歩くことになるから、いまから2人とも覚悟しておけ。
 じゃ行くか。こんな場所で、3人して立ち往生しちまう前に」


 方向転換させ、郊外にある俺の実家を目指し、先輩の車がゆっくりと雪道を走り始める。
大通りに出ても路面は、白い絨毯を敷き詰めたように真っ白のままだ。
車の姿は、まったく何処にも見えない。
1時間前までは残っていたはずのわだち跡も、いまは積雪の下に消えかかっている。
『予想以上に降り積もりそうだな、この雪は。甘く見ると明日の朝がおおごとだ・・・・』
慎重にハンドルを握る先輩が、自分に言い聞かせるようにつぶやく。


 指先が凍え始めてきたころ、ようやく全ての出来事を思い出した。
そうだ・・・50メートルの雪道を必死の思いで歩き、るみを実家へ送り届けんだ。
おや大変だったねぇ。雪だるまのように真っ白だと、愛想よく玄関を開けたお袋は、
俺の顔を見るなり、『婚姻前の男女は、別の家で寝るもんだ。
あんたまで泊めるわけにはいかないから、とっとと自分のアパートへ歩いて帰れ』
と問答無用に、俺に拒絶を告げる。
ぴしゃりと無慈悲に、俺の目の前で玄関の戸を閉め切られる・・・
仕方がないので、ふたたび地吹雪の中を雪だるまになりながら、自分のアパートへ
息を切らせながら、駆け戻ったんだ。昨夜の俺は・・・・
 


(18)へつづく

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