落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(34)

2013-07-20 13:59:16 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(34)
「義を重んじる博徒でさえ、お釈迦様の5本の指の上で生きている」





 「義理人情に命をかけてしのぎを削る任侠道の考え方は、
 あくまでも映画の中だけのお話で、現実で実際の指定暴力団やヤクザの世界では、
 ありえない事で、はるかな昔にとうに廃ってしまった。
 暴力団員が、みんな高倉健や藤純子だったら、特に問題は起こらないけれど、
 内部抗争と、競合する組織と利権をめぐって抗争に明け暮れているようでは話になりません。
 彼らの活動を支える軍資金だって、覚醒剤の密売やオレオレ詐欺から生みだされているし、
 市民に対する恐喝や、水商売のみかじめ料なんかでまかなわれているの。
 まぁ。暴力団対策法ができてからは、そうした活動がかなり制限されるみたいですが、
 それでもまだ日本には、多くの組織とたくさんの人数が暴力団には残っています。
 ねえぇ・・・・そのあたりの事情には、特に詳しい、岡本さん?」


 歯に衣を着せない怖いもの知らずの辻ママは、悪びれた様子も見せずに、
そこまでを一息に語り終えると、いきなり、黙って聞き入っている岡本を名指してしまいます。
問いかけられた岡本も、「そうだな・・・」と、嫌な顔もみせず、一息を入れてから
今の暴力団の実態について淡々と語り始めます。



 「暴対法の施行以降、組織の構成人員は横ばい傾向が続いていた。
 だが、ここへきてから少しずつだが、微増の方向へと転換をしたらしい。
 理由は明かされていないが、今の長引く不況と、就職の氷河期状態の影響などもあるだろう。
 いずれにしても暴力団組織は、好景気と不景気の時に、何故か成長を遂げる。
 トップを占めている六代目山口組が、 1都1道2府41県を支配下において、
 構成員は 約15,200人。
 2位が住吉会で、1都1道1府16県で 約5,600人。
 3位が稲川会で、 1都1道17県におよんで、 およそ約4,000人。
 このトップ3の勢力が、21あるといわれている指定暴力団の7割以上を占めている。
 4番目以下は、多くても数百人程度という弱小組織ばかりだ。
 俺のところは、地域限定でそれらよりもはるか下位にある家庭的零細組織だ。
 一極集中の傾向がすこぶる顕著で、準構成員も含めると3万人を超えるという六代目山口組が
 指定暴力団組織の、全体の約45%を占めている」


 「ついでに教えてよ、岡本ちゃん。
 古い付き合いだから、何も言わずにいまだに払い続けていますけど、
 毎月支払っているお花代、通称、『みかじめ料』には、どんな意味があるのかしら。
 なんとなく大雑把にはわかるけど、折角だからそれも教えてちょうだい。
 この辺で、東京六大学を卒業してきた高学歴のヤクザなんて、めったにいないもの」



 「え? 不良なのに・・・ 岡本さんは、東京の六大学を出ているの!」



 となりで聞いていた美和子が、目を大きく見開き思わず大きな声を上げてしまいます。
その声の大きさに、店内に残っていた数名の客たちが、何事かと一様にこちらを振り返ります。
「ごめんなさい・・・・」と、顔を真っ赤にしてうつむく美和子へ、岡本が、
「気にすんな。まぁいいさ。本当のことだから仕方がねぇや」と、肩を優しく叩きます。


 「不良連中が、水商売をやっている店へ毎週のようにしけた花束を届ける。
 二束三文にすぎない花束で、せいぜい百円程度にすぎない代物だが、
 店はその代償として、月に1万から2万程度を「お花代」として不良連中へ支払う。
 それが、地元の暴力団へ上納する『みかじめ料』というやつだ。
 暴力団が飲食店などから徴収する用心棒代やショバ代、挨拶代、挨拶料といったところだ。
 語源には諸説ある。
 毎月3日にお金を払わせることから。3日以内に払わなければ締め上げるといった、
 日数の「みっか」に関連付けた説がひとつ。
 だが、「みかじめ」には、「管理」「監督」「取り締り」といった意味が含まれているために、
 「みかじめ料」は、「守り・取り締り」に対して支払う料金という名目のほうが正しいだろう。
 漢字で、『見ヶ〆』と書くことから、『見』が見張る、見守るという意味で
 『〆』じめは、取り締まるという意味に解釈できる」



 「なるほどねぇ。理路整然としているわねぇ~
 やっぱり違うわねぇ。東京六大学を卒業してきたインテリヤクザは。感心しちゃう!」



 「おいおい、ママさんまで・・・・。
 俺だって別に好き好んで、ヤクザな道に入ったワケじゃねぇ。
 世が世なら霞ヶ関の官僚か、県庁あたりで地方公務員をなっていたはずなんだが、
 気がついたら、いつのまにか地元のやくざ組織の跡目を継いでいたんだ。
 だいたいにおいてだぜ。
 世の中の常識というやつは、最初から少しばかり考え方が狭すぎる。
 常識の範囲内を歩いている奴は常にセーフだが、脇道にそれたり、道を踏み外すと、
 もうそれだけでアウトで、白い目で見られるようになっちまう。
 実はそういう物の見方や考え方に、俺に言わせれば致命的な大きな見落としがある」


 「あら。アウトローにも言い分があるというわけね。
 さすがは岡本ちゃんだ。
 うん。それで、その致命的で大きな見落としというのは、いったいどういうことなの」



 「敵わねえァ・・・・ママには。
 あのなぁ。いま俺たちが生きている、この世の中のことを例えれば、
 お釈迦様がひろげた五本の指の上、ということになる。
 別の言い方をすれば『お釈迦さまの手のひらの上で生かされている』ということだ。
 西遊記の孫悟空は、いくら飛び回っても結局お釈迦様の手のひらから外へは、飛び出せなかった。
 同じように、手のひらの上で踊らせるとか、遊ばせるという表現もある。
 だがなぁ。最近の学校教育と世間で通用する常識というやつに、
 このお釈迦様の手のひらを極端に狭く見せる、危険な風潮が顕著になってきた。
 手のひらを広げてみると中心の部分に、中指へ向かってどこまでも
 まっすぐに伸びていく一本の道がある。
 ほとんどの人間がこの一本みちのことを、「正道」正しい道と呼んでいる。
 この道を外れずにまっすぐに歩いていくことが、人の生きる道だと強調をする。
 せいぜい外れたとしても、人差し指と薬指の間くらいまでだ。
 手のひらの上にあるこの三本の指の幅までが、人が許される許容範囲の生き方だという。
 じゃあ聞くが、残っちまった親指と小指の部分はどうしたらいいんだ。
 今の学校が教えてくれるのは、中指へ向かってひたすら真っ直ぐに歩けという教育だ。
 それが、そべての人が生きるべき正しい道だと言う。


 そりゃそうだが、世の中には、右もあれば左もある。
 表もあれば裏もあるなんていう事を、いちいち学校教育で教えていた日には、
 なにがいったい真実なんだか、子供たちには理解ができなくなる。
 それが面倒くさいために結局は少々外れてもいいから、それでも三本の指の範囲を
 人間らしく、ひたすら歩けと教えこむ。
 問題は、そこからはみ出した親指や小指側の生き方だ。
 お釈迦様の手のひらからはみ出したり落っこちたりすれば、その時点で完全にアウトだ。
 犯罪を犯せば刑務所行きだ。人の道を外れれば当然の制裁を受けるし、処罰もされる。
 だがよ、人の生き方なんてものは、それほど薄っぺらで単純なものじゃない。
 生きていくということは、はるかに幅が広いし奥深いものがある。
 第一よ。額に汗してひたすら真面目に働いて、コツコツと有り金を貯めこんだ奴が、
 世の中で大きくなったり、成功した例が何処かに有るか?。
 夢のマイホームを建てるくらいがせいぜいで、それ以上に成功なんかするものか。
 大きくなるのは、悪どく儲けぬいた奴か、悪知恵を使って法律上の解釈ギリギリで、
 刑務所の塀の上まで歩いた連中だけが、たんまりと溜め込んでいるし、
 事業も大きくした。
 つまり、悪いやつほど余計に儲けてきたし、
 たんまりと肥え太ってきたんだ。


 例えばだ。高学歴の象徴といえば、東大や京大を出たエリートたちだ。
 こいつらが日本のために、真面目に何かをやってのけてくれていると思うか?
 訳の分からない無能すぎる政治家連中はもちろんだが、多くの高級官僚連中だって、
 なんだかんだと言いながら、天下りと利権あさりでしこたま私腹を肥やしている。
 世の中というやつはよくできている。
 多くの人間が、3本指の範囲だけを同じように歩けと教え込まれてきた。
 右の端も左の端もあるが、そこは危険地帯だから歩けばロクな事がないと、叱責をされる。
 そんなことだから、自分の頭で何かを考え出し、信念にもとずいて生きていくという
 ありのままの人間らしい生き方の選択なんか、やがて出来なくなっちまう。
 イエスとノウのあいだには何もないと教え込まれてきた、今の学校教育の弊害だ。
 こいつらは、同じようにイエスとノウの外側にも、何もないと教え込まれてきた。
 こんなことで個性的な子供や、臨機応変に物事が考えられる人間が育つものか。
 だから行き詰まった者は簡単に自殺に走るし、いじめる側も、
 限度が見えずに、人を死に至らしめるまで続くことになる。



 人生には、常に臨機応変の対応が即座に問われる。
 どれだけの揺れ幅で、どれだけの善悪の範囲内で結論を出すのかが、常に問われる。
 イエスと答えるその外側にも、まだイエスと言える生き方があり、
 ノウと答える外側にも、さらにノウが通じる生き方もある。
 世の中には、聞き分けの良い、いい子ばかりが生きているわけじゃないんだ。
 ハミ出し者や落ちこぼれ者だって立派な人の子だし、同じように生きる権利を持っている。
 お釈迦様の広い手のひらの上には、親指から小指の端までが全て平等とされる生き方がる。
 いまだに、指定暴力団の構成員(準構成員含む)は、7万8600人もいるんだ。
 一線を画してはいるものの、同じ右のサイドには右翼組織と右寄りの政治団体がある。
 こいつらは、日本共産党が生まれたことを契機とした誕生をした、左翼よりも、
 はるかに古くからの歴史を持っている。
 最近では『民族派団体』と名乗り始めた右翼組織は、
 1980年代から毎年20~30団体ずつ増え、いまでは約840団体に12万人が加盟している。
 このうちで日常的に活動している行動右翼は、およそ50団体で、2万人。
 法治国家だというのに、これだけの組織と人数がいまだに放置をされている実態もある。
 わかったかい。お釈迦様の手のひらの上には、実はこんな現実が
 ゴロゴロと転がっていることが」



 「たしかにね。
 指定暴力団や右翼団体にもいろいろな人たちがいるだろう。
 社会のルールに従うも従わないのも、みんなそれぞれの判断と生き方で成り立っている。
 あんたが別格だとは言わないけれど、それでも数少ない市民サイドに立っている、
 任侠組織の人情派だってことは、よく知っているさ。
 ねぇ、そういうことだろう。俊彦さん」



 「ママよ。突然、俺に振るな。
 そういう公(おおやけ)に発言しにくい、難しい話を。
 第一、当人の岡本を前にして、そうだとも言えねぇし、違うとも言えねぇじゃねぇか。
 まぁ。人情に脆いことと、熱い男であることだけは確かだが」


 「もういいだろう、歯がゆくて仕方ねぇ、俺の話ならもうそのあたりで十分だろう。
 ママよ。そろそろ勘定をしてくれや。たっぷりと夜も更けたし、
 おじさんたちは、ここらあたりで撤退だ」

 立ち上がり、精算のためにカウンターへ戻って行くママの背中姿を見送りながら、
岡本が小さく、ポツリとつぶやいています。
 
 「だがよ・・・・
 なんだかんだといったって、どんなことをしたところで、
 ここの辻のママが持っている、暖かいうえに、居心地の良い心遣いってやつには敵わないぜ。
 人の優しさというやつが、実はママさんの根底には、たっぷりと有る。
 相手を思いやる心根の素晴らしさというやつが、いつだって満タンに詰まっている。
 そんなママの気風に惚れて、俺もいつのまにかこいつ(俊彦)と一緒に
 ここへ、せっせと、通い始めることになったんだ。実はな」



(35)へ、つづく




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