つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(94)旅の4日目
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旅の4日目。2015年、3日目の朝が明けた。
高台に立つホテルの6階から見下ろす英虞湾の景色は、幻想的だ。
白みはじめた空の下。雲の隙間から、オレンジ色の光が遠慮がちに差し込んでくる。
漆黒の養殖いかだが、明るくなってきた海面上にいくつも浮かび上がる。
複雑に入り組んだリアス式の水際を、乳白色の朝霧が流れていく。
「生きていてよかったぁ。そんな想いを、実感させるような夜明けですねぇ」
隣のベッドで目を覚ましたすずが、ポツリとつぶやく。
時計が深夜の1時を回った頃。すずが愛用の枕を抱えて4階の和室からやって来た。
愛用の枕でないとすずは、旅先で眠れない。
「恵子さんに、私たちに遠慮するのも大概にしなさいと怒られました。
今夜はこちらに泊まるようにと、命令されてやってまいりました。
ご迷惑なら帰ります。でもまさか、夜中に訪ねてきた女を追い返さないでしょうね?」
あなたは」と、すずが勇作の瞳を覗き込む。
どうぞとドアを開けると、「やっぱりね。そうこなくっちゃ」と嬉しそうに
愛用の枕ごと、勇作の胸の中へ飛び込んできた。
『天然の真珠は人魚の涙ですが、養殖の真珠は、それを作った人の涙なのだそうです』
と胸の中で、訳の分からないことを突然言い出す。
「何の話だい?。いきなり?」とすずの顔を覗き込むと、
「御木本夫妻の夫婦愛が、養殖真珠を成功させたという話です」と勇作を見上げる。
「妻のうめは、自分の着物をすべてアコヤ貝に変えて、夫に尽くしました。
おおくの苦労の末、夫婦は明治26年。5個の半円形の真珠養殖に成功します。
それが今日の、アコヤ真珠の原点だそうです。
そこまで話をしたあと。鈍感や女やなぁあんたもと部屋を追い出されました」
「行くところがないんじゃ、しょうがねぇな。こっちへ来いよ。
俺もちょうど、そろそろ君と話がしたかった」
「こんな夜中に話がしたいなんて、変っていますねぇ、あなたも」
「秘湯の湯の若女将が、恵子さんの娘だという話を思い出していたところだ。
なんだか急に胸が騒いできて、眠れなくなってきた。
夜景でも見れば気がまぎれると思ったが、寂しすぎて、ますます眠れなくなってきた。
ちょうどよかった。君が訪ねて来てくれてさ」
「やっぱり親子だったのですねぇ、あのお2人は」
「口止め料は払ってあるから内緒にしろと、多恵さんから厳しく言われている。
君にばらしてしまったが、恵子さんを追い込むような詮索などはしないよね?」
「あたし。それほど性格は悪くありません。
花街と言うのは、特殊過ぎる世界です。
そんな風に人生を送る親子が、ひとりやふたり居てもすこしも不思議じゃありません」
「親子として名乗りあえないのだろうか、あの2人は、一生」
「たぶん、子どもの居ないあなたには、一生わからないことだと思います。
でもね、そんな親子もこの世には居るの。
わたしたちが心配することじゃありません。
先の事はきっと、何かの拍子に、きっとうまく片付くと思います」
「わるかったな。俺に子供が居なくて」
「真似事はできるけど、もう産めませんよわたしは、もう58歳だもの」
ウフフとすずが、嬉しそうに勇作の胸に顔をうずめる。
愛用の枕をベッドに投げ捨てたすずが、突然、「あっ」と大きな声をあげる。
「明日の朝。7時から、旅の最後の打ち合わせをするそうです。
時間になったら訪ねていきますので、お願いだから、ひとつのベッドの中で
抱き合ってなんかいないでね、と、ことづかってまいりました」
うふふ。でも大丈夫よね、もう少し早い時間に起きてしまえば・・・
と、すずが妖艶にほほ笑んで見せる。
(95)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
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