居酒屋日記・オムニバス (60)
第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑥

一行が雨宿りした茶屋も、このあたりにあった。
峠には踊子が越えていったトンネルが、そのまま残っている。
そればかりか、いまも通り抜けることができる。
100年前を、そのまま彷彿とさせる姿がそこにある。
天城隧道は明治37年。3年を費やして完成した石造りのトンネルだ。
全長445.5m。幅は4.1m、高さが3.15m。
昭和45年。下を走る国道414号線の新天城トンネルが開通するまで、
天城越えの主要な交通路として使われてきた。
未舗装のままの曲がりくねった旧道が、当時の姿のまま残っている。
「道がつづら折りになって、いよいよ天 城峠に近づいたと思うころ、
雨脚が杉の 密林を白く染めながら、すさまじい速さで
ふもとから私を追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物にはかまをはき、
学生カバンを肩にかけていた。
一人伊豆の旅に 出てから四日目のことだった。
修善寺温泉に一夜泊まり、湯ケ島温泉に二夜泊まり、
そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。
重なり合った山々や原生 林や深い渓谷の秋に見とれながらも、
私 は一つの期待に胸をときめかして
道を急 いでいるのだった」
美穂が、「伊豆の踊子」の冒頭部分を暗唱している。
いつの間に覚えたのだろう。
10歳の美穂は男の子たちにまじり、夢中でサッカーボルを追いかけていた。
セーラー服をはじめて着た12歳の春も、翌日からジャージに着替えた。
サッカーを卒業した美穂が、叔母の俊子の影響でソフトボール競技をはじめたからだ。
美穂が読書している姿など、これまで幸作は見たことがない。
読書をする子に変えたのも、国語の代用教員をしている叔母の俊子だ。
読書しなさいと強制したわけでは無い。
「今度の旅行は伊豆です」と、川端康成の文庫本をポンと美穂へ手渡した。
「そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。
折れ曲がった急な坂道を駈け登った。
ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、
私はその入口で立ちすくんでしまった。
余りに期待がみごとに的中したからである。
そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ」
つづく文章もスラスラと、美穂が暗唱して見せた。
大した記憶力だ。いつのまに美穂は、文学少女に転向したのだろうか・・・
呆気にとられている幸作を尻目に、車を降りた2人が、
隧道に向かって歩きはじめる。
日中だというのに、隧道の内部には闇が立ち込めている。
足元を照らすための照明も、まったく見当たらない。
手をつないだ2人が、隧道の前で立ち止まる。
(おっ、立ち止まったぞ・・・躊躇したかな、内部のあまりの暗さに・・・)
ハンドルにもたれたまま、幸作が2人の様子をのんびり見守っている。
美穂と俊子が、何やら言葉を交わしはじめた。
美穂はサッカーで鍛えた、カモシカのような脚を持っている。
俊子もかつては大学の山ガールして、名を馳せてきた。
全国の名だたる高峰をいくつも走破してきた、強靭な脚力の持ち主だ。
案の定。「3.2.1・GO」の掛け声のあと、ウオーミングアップもしないまま
2人がいきなり、全速力で走りはじめた。
(えっ・・・隧道内を、ゆっくり歩くはずだったろう・・・
それなのにあいつら、いきなり入り口から、全開で走りはじめた・・・
踊り子のように隧道を、情緒たっぷりに歩くはずじゃなかったのかよ。
どうなってんだ、いったい。
これじゃまるで後ろから着いて行く俺は、箱根駅伝の伴走車だ・・・)
幸作があわてて、ギヤをドライブレンジへ放り込む。
ライトをつけた勇作の車が、子鹿のように引きしまっている美穂の尻と、
脂肪がついて、いくらかふくよかになった俊子の尻を追いかけて、
峠の砂利道を、小石を散らして急発進していく。
(61)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑥

一行が雨宿りした茶屋も、このあたりにあった。
峠には踊子が越えていったトンネルが、そのまま残っている。
そればかりか、いまも通り抜けることができる。
100年前を、そのまま彷彿とさせる姿がそこにある。
天城隧道は明治37年。3年を費やして完成した石造りのトンネルだ。
全長445.5m。幅は4.1m、高さが3.15m。
昭和45年。下を走る国道414号線の新天城トンネルが開通するまで、
天城越えの主要な交通路として使われてきた。
未舗装のままの曲がりくねった旧道が、当時の姿のまま残っている。
「道がつづら折りになって、いよいよ天 城峠に近づいたと思うころ、
雨脚が杉の 密林を白く染めながら、すさまじい速さで
ふもとから私を追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物にはかまをはき、
学生カバンを肩にかけていた。
一人伊豆の旅に 出てから四日目のことだった。
修善寺温泉に一夜泊まり、湯ケ島温泉に二夜泊まり、
そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。
重なり合った山々や原生 林や深い渓谷の秋に見とれながらも、
私 は一つの期待に胸をときめかして
道を急 いでいるのだった」
美穂が、「伊豆の踊子」の冒頭部分を暗唱している。
いつの間に覚えたのだろう。
10歳の美穂は男の子たちにまじり、夢中でサッカーボルを追いかけていた。
セーラー服をはじめて着た12歳の春も、翌日からジャージに着替えた。
サッカーを卒業した美穂が、叔母の俊子の影響でソフトボール競技をはじめたからだ。
美穂が読書している姿など、これまで幸作は見たことがない。
読書をする子に変えたのも、国語の代用教員をしている叔母の俊子だ。
読書しなさいと強制したわけでは無い。
「今度の旅行は伊豆です」と、川端康成の文庫本をポンと美穂へ手渡した。
「そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。
折れ曲がった急な坂道を駈け登った。
ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、
私はその入口で立ちすくんでしまった。
余りに期待がみごとに的中したからである。
そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ」
つづく文章もスラスラと、美穂が暗唱して見せた。
大した記憶力だ。いつのまに美穂は、文学少女に転向したのだろうか・・・
呆気にとられている幸作を尻目に、車を降りた2人が、
隧道に向かって歩きはじめる。
日中だというのに、隧道の内部には闇が立ち込めている。
足元を照らすための照明も、まったく見当たらない。
手をつないだ2人が、隧道の前で立ち止まる。
(おっ、立ち止まったぞ・・・躊躇したかな、内部のあまりの暗さに・・・)
ハンドルにもたれたまま、幸作が2人の様子をのんびり見守っている。
美穂と俊子が、何やら言葉を交わしはじめた。
美穂はサッカーで鍛えた、カモシカのような脚を持っている。
俊子もかつては大学の山ガールして、名を馳せてきた。
全国の名だたる高峰をいくつも走破してきた、強靭な脚力の持ち主だ。
案の定。「3.2.1・GO」の掛け声のあと、ウオーミングアップもしないまま
2人がいきなり、全速力で走りはじめた。
(えっ・・・隧道内を、ゆっくり歩くはずだったろう・・・
それなのにあいつら、いきなり入り口から、全開で走りはじめた・・・
踊り子のように隧道を、情緒たっぷりに歩くはずじゃなかったのかよ。
どうなってんだ、いったい。
これじゃまるで後ろから着いて行く俺は、箱根駅伝の伴走車だ・・・)
幸作があわてて、ギヤをドライブレンジへ放り込む。
ライトをつけた勇作の車が、子鹿のように引きしまっている美穂の尻と、
脂肪がついて、いくらかふくよかになった俊子の尻を追いかけて、
峠の砂利道を、小石を散らして急発進していく。
(61)へつづく
新田さらだ館は、こちら
濡れることは無いでしょうが
雨のゴルフは・・辛いですね
でも ゴルフは全力で・・
彼女達も・・全力で・・さて??
この一帯は平坦ですが、3キロほど東に
標高100mのほどの丘陵があります。
南北15キロほどの丘陵に、ゴルフ場がふたつ。
2ヶ月ほど前、テレビでイノシシ被害の様子が報道されましたが、
その現場が、じつはこの丘陵なのです。